思えば、起伏のない人生だった。
目的もなく、惰性で生きた人生。
「政府は、バベルと命名致しました」
東京の一等地を押しのけて誕生した「それ」が、僕と世界を一変させた。
高さ2000m、直径500mに及ぶその石塔の内部には、外観にそぐわない広大な土地と未知の資源、怪物が待ち構えていた。
「20層、攻略されました!!!」
人類に与えられた新たな開拓地。
中世西洋で見られたような、無骨な装備に身を包んだ「探索者」たちが、バベルから現れる。
「日本、第五級迷宮の踏破記録を更新しました!!」
バベルに続いて、世界各地に現れた迷宮は内部の危険度に応じて第一級から第五級に分類された。
東京のバベル、その他に世界で6カ所確認されている第五級迷宮は一度として完全攻略が成されていない。
「僕も、いつか」
齢15にして、僕は「探索者」という仕事に憧れを抱くことになる。
――――――――
迷宮に入った人間は、その中で生活したり怪物を討伐することで少しずつ体内に幻素と呼ばれる物質を蓄える。
そのうち、身体能力が向上したり強力な能力が覚醒するようになる。
近代兵器が入り用なのは、探索の序盤のみだ。
探索者は覚醒を得て、携行可能な近代兵器を超えた威力の殴打を繰り出せるようになる。
つまり、銃を撃つよりも近接戦闘をした方が効率的に怪物を討伐できるようになるのだ。
単純に弾代と面倒な整備が毛嫌いされている節もある。
「塔立から4年が経って、法整備も進んだ」
高校三年、卒業式を控えたクラス。
人生の先達である先生からの、最後の授業だ。
「探索者資格は高校卒業後の18歳から取得可能だから、大学入学せずに専業を目指す奴も、この中には居るだろう」
僕もその一人だ。
「ギルドの設立によって探索時のノウハウも共有されやすくなり、ここ1年の死亡率は過去最低だ」
その通り、ここ4年で探索者の死亡率は5%まで落ちた。
バベル出現当時が30%であった事を考えれば、大きな進歩だ。
「この間の30層突破のニュース、そして戦闘のライブを観て胸を熱くしたものを居るだろう」
無線電波が迷宮内外で断裂される為、強引に有線ケーブルで放送を断行した某放送局には頭が上がらない。
良いものを見せてもらった。
特に、日本最高の魔術士と名高いツバメさんの勇姿を見ることができたのは最高だった。
覚醒に伴って蒼色になった髪と瞳、陶磁器のように白い肌の彼女が繰り出す氷魔術は圧巻だった。
「だが、彼らは探索者の最上位。お前たちの多くは第一級の一層でゴブリンに怯え、小便を漏らしながら逃げ帰るだろう」
……酷い。
なまじ現実的なだけに耳が痛い。
「5%という死亡率は覚醒後の登録探索者のものだ。未覚醒の探索者の多くは怖気づいて諦めるか、無理をして半数程が死ぬ」
え、そうなの?
教室全体のお祝いムードは鳴りを潜め、クラスの面々は深刻な表情になった。
「この教室で諦めずに探索者を目指した者は、およそ半分が死ぬ」
青汗を垂らし、下を向く生徒が多数。
「しかし、登録探索者になれば成人男性5人分の稼ぎが確約される」
一定頻度で探索を行い、迷宮由来の資材を納入する限り登録探索者にはそれだけの支援金が送られる。
なかなか割のいい話に聞こえるが、先ほどまでの警告を聞いた後だとうかつに喜べない。
「つまり、覚悟があるかということだ」
先生が真剣な眼差しでクラスを見回す。
正面を向き、先生の視線を受け止めるのは30人近い生徒のうち、僕を含めた数人だった、
「……それでもやると決めたのなら、先生は反対しない。その代わり、探索者協会の初心者講習は必ず受けろ。あれを飛ばした人間はほとんど死んでいる」
そう言う先生の目には、悲しみが宿っていた。
「探索者も、大学進学も、お前たちが成し遂げたいと思っている事を先生も応援する。その代わり、やるなら全力でな」
最後にニカッと笑った先生の笑顔で、いくらか和んだ雰囲気。
扉を開けて立ち去る先生の背中を見送ると、生徒たちがガヤガヤと話し始めた。
「先生の弟さん、初期の探索者で亡くなったらしいよ」
そんな生徒の噂話を聞いて、少し憂鬱になるのだった。
――――――――
探索者協会はバベルの正面に設置されている。
国内最大規模の迷宮に何らかの異常が発生した時に対応できるようにする為だ。
「鈴木道成さん、で、よろしかったですか?」
協会の受付嬢さんの言葉に首肯する。
少し古風な名前で恥ずかしいと思う時はあるが、僕は結構この名前を気に入っている。
「身分証と本人確認が完了致しましたので、こちらの書類にサインをして頂けましたら、探索証をお渡しします」
書類の内容は事前に調べていたので、大まかに差異がないか確認。
問題ないようなのでサインして、探索証を受け取る。
「では、これにて道成さんは探索者になりました」
パチパチと拍手する受付嬢。
周囲からの生暖かい視線で少しいたたまれない。
「協会は初心者講習の受講を推奨しております。予約されますか?」
「はい」
午後からの講習を予約できたので、辺りで昼食を済ませる事にする。
探索者向けに味の濃そうな料理屋さんが並んでいる。
入り組んだ路地にぼんやり光る看板が見えたので近づいてみると、古風なカフェがあった。
「僕好みだ」
扉を開けると、カラカラと入店を知らせる木製のドアベルが鳴る。
「お好きな席にどうぞ」
そう話すカウンターの店員は年を召した老人で、貫禄がある。
窓際のテーブル席に座ると、冷えた水を持った彼が注文を聞いてくる。
「ナポリタンで」
頷いた店員が立ち去る。
そうすると、近くの席の探索者らしき面々の会話が耳に入った、
「……覚醒、しねえなあ」
「全然しねえ」
「そもそもするもんなのか疑問になるくらいにはしねえな」
近代装備に身を包んだ3人組。
マガジンが取り外されたアサルトライフルがカフェの壁に立てかけられている。
ここ数年で見慣れたものだ。
「才能ないのかねえ」
「同期に比べて、どうよ」
「まちまちだなあ、才能なんて言う奴いるけど。今のトップ探索者でも3年近く未覚醒だった人居るらしいし」
「近接装備の方が覚醒早いとかいう噂、どう思う?」
「やめとけ、死ぬぞ」
迷宮の難易度は覚醒が前提だと聞いたことがある。
我々人間は近代兵器で下駄を履くことでやっと下層の探索を行えるのだ。
「装備の貸出も2年経つと有料になるからなあ」
「そうなりゃ赤字だ」
それは知らなかった。
未覚醒の探索者を支援する為、協会は新入りの探索者に無料で装備を貸し出ししている。
現代では迷宮資源の獲得量と国力は比例していると言っていいので、国も支援を惜しまないのだ。
「……潮時かあ」
「後1ヶ月やって、覚醒しなかったら就職するわ」
「それまで精々頑張ろうぜ」
そう言ってお冷で乾杯する彼らを見て、僕はああはなるまいと決意を固めるのだった。
ナポリタンは美味しかった。
――――――――
講習が行われる講義室には、20人ほどの初心者が座っていた。
教壇に立つ講師らしき人物からは、未覚醒の人間でも容易に感じ取れるほどの圧があった。
「今から行う講義は至ってシンプルです」
そう言い、講師はスーツの上着を脱いだ。
「この教壇まで来て、私に触れること」
現れた異常な体格と、分厚い筋肉。
「触れられた方は、この講義室を出て次の講義に進んで頂けます。この講義は強制ではないので途中でご帰宅頂くことも可能ですし、例え失敗しても何度でも再挑戦可能です」
――では、開始。
その言葉と同時に、物理的な圧力を錯覚するほどのオーラが講師から叩きつけられる。
席から崩れ落ちる初心者たち。
僕は、机に捕まることでなんとか崩れ落ちるのを堪えていた。
「……事前にお手洗いを勧めるべきでしたか」
そう腕を組んで話す講師は至って平静で、力んだ様子は欠片もない。
僕は臭いに気を配るような余裕はないが、きっと誰かがやらかしたんだろう。
どれだけ時間が経ったのか分からないが、体感それなりの時間堪えても慣れる気配はない。
そんな僕の横の通路を、何事も無かったように通り過ぎる人が居た。
「ほう」
感心する講師をよそに、ポンと彼の肩を叩いた女性らしき人物は鼻のあたりをハンカチで押さえながら講義室から立ち去っていった。
「さて、1名通過です」
そう話す講師は暇を持て余したのか教壇に座り、両手の指先をくるくる回るように魔術の火を出して遊んでいた。
「ちなみに、私の本職は魔術士です」
雑談を始める講師。
魔術士でこれだから、近接職の威圧を食らったら常人はショック死するんじゃないだろうか。
「こう見えて第2級上位なので、まあ探索者として一人前を名乗れる程度の実力でしょうか」
迷宮同様、探索者も実力に応じた分類がある。
第1級から第五級まで、各級は下位・中位・上位で細分化されている。
第1級探索者が全体の6割を占めていることを考えれば、確かに彼は一人前の探索者に違いない。
「この初めの講習は、怪物に相対した際に戦闘意欲を維持する練習だと思ってください」
確かに、これを乗り越えればゴブリンなど屁でもないだろう。
「お、もう1人ですね」
そう話す講師の足元には、這いつくばって足先に手を触れさせている同輩がいた。
「私もあまり暇じゃないので、後3人ほどで本日の通過者は締め切りましょうか」
まずい。
進まなければ。
机から地面に落ちて、なんとか匍匐前進で進む。
他の受講者たちも芋虫のように這いつくばって進んでいく。
「……正直、ちょっと気持ち悪いですね」
列をなし、半円形の講義室の中心を目指す芋虫たち。
1人、また1人と講師の足元に辿り着き、講義室を去っていく。
5人ほどが触れた所で諦めた人間たちの屍を乗り越えて、僕は進んでいく。
今回は通過できなくていい。
今の目標は、この講師に触れること。
さあ、唸れ僕の四肢よ、進め。
吐きそうで、漏らしそうで、全身から吹き出す汗で濡れた衣服が重くてしょうがない。
だけど、進む。
視界が真っ白で何も見えない中、闇雲に進む。
手探りで教壇までの段差を乗り越えて、何かに手が触れた。
すると、今までの圧力が嘘のように消えた。
「おめでとう」
そう話す講師が、こちらを暖かい目で見ている。
「あなたのその気性は、きっと今後の探索に役立つでしょう」
講師のその言葉に安心しきった僕は、気が緩んで吐いた。
高級そうな革靴が汚物で濡れた。
「……失格で」
そう話す講師の目は、とても冷ややかだった。
楽しんで頂けたなら幸いです。