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寝ぼけ眼を擦りながら扉を開け、自室から廊下へと出る。すると、時を同じくして隣の部屋の扉が開けられた。
「あ! おはよう、カズサちゃん!」
「……おはよう」
アイリだ。私達は寮の部屋割りが隣同士だから、高頻度でこういった遭遇が起こるのだ。彼女は既に制服を着ており、準備万端なようだった。
「カズサちゃんは起きたばっかり?」
「うん。ごめんね、起きるの遅れちゃって」
「全然いいよ! じゃあ私、部屋で待ってるね!」
ひらひらと手を振られ、私も振り返す。初めはパジャマ姿を見られることですら恥ずかしくて仕方がなかったというのに。いつの間にか慣れてしまったみたいだ。
「……先に食堂に行ってもいいのに」
アイリは優しい。出会ったときからずっとそう。
いつも楽しそうに笑っていて、しかし決して能天気な訳ではない。周りの感情を良く観察し、丁寧にそれらをケアしている。清涼剤のようでいて、その実バランサーなのだ。そんな彼女だからこそ、私の憧れる想いは尻すぼみになることがなく、むしろ膨らむばかり。
私は共用の洗面台に着くと、ぬるま湯を顔にかけ、部屋から持ってきた洗顔料を転がすように肌に乗せる。それから入念にすすいで、タオルで優しく水を吸い取った。
「よし」
洗顔はこれで終わり。これから朝ご飯を食べるだけだし、メイクは後でもいいだろう。残りのタスクは着替えのみだ。
早足で部屋に戻ってパジャマを脱ぐ。すると、身体中に巻かれた包帯が露わになった。
「……見られてなかった、よね」
先日の戦いで出来た傷。不審がられないよう、慎重に隠さなければならない。
私はハンガーから制服を外し、順に着ていった。いつもしている事なのに、包帯を隠そうと考えるだけで妙な緊張を感じる。隠し事をしているという事実が思っていたよりもずっと重くのしかかっているようだ。かと言って、秘密を話す気もないが。
最後に黒のパーカーを羽織り、自室を出る。アイリの部屋の前まで行って扉を叩いた。
「アイリ、準備終わったよ!」
私の呼び掛けに対し、「はーい」という軽やかな返事と共に扉が開かれる。
「じゃあ行こっか。今日は何を食べようかな〜?」
「パンケーキは? 確か今日からだったよね」
「あ、ほんと?」
食堂へ向かう道すがら、アイリがポケットからスマホを取り出し、画面を点けた。アプリで今日のメニューを確認する──それだけの、何でもない仕草のはず。だが指先が触れた瞬間、画面に表示されたのは、既に開かれていたニュースサイトだった。そのページがほんの一瞬、視界を掠める。
「──え」
「どうかしたの? カズサちゃん」
「あの、さ。アイリが今見てた記事、もっかい見せてくれないかな」
「記事? ああ、このニュースのこと?」
アイリは首を傾げつつ、画面を操作して先程のページを開き直した。そこには見覚えのある建物の写真が貼られている。
「『過去展展覧会場で連続失踪。正義実現委員会、捜査へ踏み切りへ』……怖いよね、ちょっと」
「それ、事件の詳しい話とか書いてる?」
「うん」
言いながらスマホを手渡される。スクロールしながら文章を追っていくと、事実だけを淡々と並べたはずの文面が、いつもなら他人事でしかないただの文字の集まりが、ひどく頭を掻き乱した。よくあるニュースの構成の中、ある一文で手が止まる。
『関係者への取材によれば、被害者の証言から、誘拐行為は一昨日にも行われていた可能性が高いという。なお、当該時刻に現場付近で不審な人物が目撃されていたとの情報もあり──』
「……一昨日」
おかしい。私がグラニュートを倒したのは四日前だ。であれば、一昨日に誘拐が起こるはずがない。
「カズサちゃん?」
「ああ、えっと……ごめん。神経質になってた」
私は息を吸い込んで、胸の奥に溜まっていた違和感と共に吐き出した。そしてスマホを返し、肩を回す。
「今からご飯食べるんだし、気合い入れてかないとね」
「……ふふっ。そうだね!」
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ニュースになったとはいえ、最近のトリニティにおいては──本来このような状況はあってはならないのだが──それほど大事件でもないし、黄色のテープがあるだけだろう、と思っていたのだが。
総合学園の近辺であることが作用してしまったのか、事件現場となった『過去展』の建物には生徒達が大量に押し寄せていた。それはもう、大スターが立ち寄ったのではないかと思うくらいに。もはや一階部分は人混みのせいで黄色のテープすら見えない。
「すみませーん! 捜査の妨げになる行為はお止めくださーい!」
正義実現委員会の生徒と思われる声が響き渡る。随分と大変そうだ。私にとっても、この状況は非常に困る。
一昨日も誘拐事件が起きたという情報が正しければ、この建物で魚のグラニュートとは別の個体が潜伏していた可能性があるのだ。その場合、ここが閉鎖されてもまた別の場所で誘拐が起こってしまうかもしれない。それを防ぐためには、今のうちに手掛かりを探さなければならない。
正義実現委員会だけなら最悪見つからないように隠れて捜索すれば済むのだが、野次馬がこうも大量にいると、とにかく動きづらい。
「どうにか情報を集める方法は……あれ?」
大きな人の波の中、ふとどこかで見たはずの人物が目に留まった。あの人は確か、変身している時に見たような──
「あ! タマキさんだ!」
「……うぇ?」
ヒトプレスになっていた時の怯えた顔とは印象が違うが、パーツは間違いなく、本当の立彫タマキさんその人だった。
「な、何でしょう? 私達知り合いでしたっけ……?」
「いや、うーん……知り合い、ではないんですけど」
「そうなんですか? だったらなんで私のことを──」
「ファンなんです! 『過去展』見に行ってまして」
怪しまれないよう、適当に嘘を吐く。彼女は私の言葉を聞くと、みるみるうちに元気を取り戻していった。
「あー、そうなんですね! ありがとうございます!」
「それで今日、もう一回見たくなってここに来たんですけど……会場で何かあったんですか?」
「そうなんですよ〜、聞いてください!」
タマキさんは食い気味に返答し、言葉を紡いでいく。
「実は私、この展覧会の開催期間に不思議な体験をしまして。それはそれは不思議なことで、貴重だ! この経験も過去として展示したい! って思ったんです」
「なるほど?」
「謎の書き置きとか、瓦礫とか……そういうものも新しく展示してたんですけど、その辺りから『ツレが消えた』って話も聞くようになって。私、何もしてないんですよ? それなのに誘拐事件の現場だからどうどう〜ってこの有様ですよ!」
「……はあ、そうなんですね」
まさかガヴ先輩の書き置きが勝手に展示されているとは夢にも思わなかったが、あのグラニュートを倒した後も失踪が続いているのは本当のようだ。
「不審な人とか、物とかはありませんでしたか?」
「特には──ああ、そういえば」
彼女は上着のポケットをまさぐると、何かを取り出した。
「この子が床に落ちてましたね」
「……小魚」
「はい! この子も中々不思議でですねぇ、水に入れなくても生きてるんですよ! 水魚も交わらないことがあるんですね〜」
いや、普通に考えてそんなことはある訳がない。十中八九アイツの生み出した小魚だ。死んだ後も生成したものは残る、ということなのだろう。
「それにこの子、コンパスみたいにくるくる回るんです!」
「……はい? コンパス?」
言うが早いか、タマキさんは手を左右に揺らし始めた。すると彼女の掌の上で、小魚が意思を持つかのようにくるり、くるりと向きを変える。尾をわずかに震わせながら、進むでもなく、ただ回転を続けていた。その軌道は無駄がなく、迷いもない。
「……確かに、コンパスの針みたいですね」
「ね、可愛いでしょ〜?」
私は一歩引き、それが指し示す方角を見定める。その先を見れば、当然だが建物が邪魔をした。
「そうだとして、何を指し示してるんでしょう」
「気になりますか?」
「はい。かなり」
「じゃあ手を出してください!」
有無を言わさぬ勢いで促され、反射的に手を差し出した。彼女はにこやかに頷くと、その上へ小魚をそっと移す。
「愚痴を聞いてくれたお礼です。特別にあげちゃいます! あっ、決して処分に困ってたとか、そういうことではないですからね!?」
「……そういうのはわざわざ言わない方が──」
「ではでは! またどこかで〜!」
彼女はくるりと踵を返し、呼び止める暇もなく人混みの向こうへ軽やかに紛れ込んでいった。たまたま私が本当のファンではなかったから良かったものの、ファンに対する接し方としては明らかに良くない方のやつだ。芸術家というのは、あれくらいが丁度良いのか。
「まあいいけど。貴重な手掛かりかもしれないしね」
私は小魚を適当に揺らしながら、指し示す方角へ向かってしばらく歩いた。大体二十分程だろうか。小魚が大きく回り、位置を詳細に特定する。
そこはいわゆるDJクラブだった。
「また、入場料のかかりそうな……」
面倒を察知して頭を掻く。前回と同じ、全く詳しくない分野だ。もっとも、そんな理由では引き下がれないし、引き下がらないが。
「よし。行こう」
「あれ、カズサ君もここに用?」
その瞬間、背後から削られたノイズのような掠れ声が投げかけられた。振り返ると、控えめなネオンに照らされた入口付近で、見慣れた白衣が揺れている。酸賀だった。
「……アンタがなんでここに」
「それはこっちの台詞だよ〜。DJ好きなの?」
「んな訳ないじゃん。グラニュートを探してるの」
「あら、同じ動機だ」
彼女は話しながら白衣の内ポケットに手を突っ込むと、指先で軽く摘まんで小魚を見せびらかした。
「今日ニュースでやってた誘拐事件ってさ、そこそこ前にカズサ君が解決したやつだよね。なのにまだ被害があるってことは、実は上手いこと逃げられてたんじゃないの?」
「……アイツが生きてるってこと?」
「やられる瞬間を詳しく見てないからそう言えるのかもしれないけどさ。とにかく、話を聞く限りでそのグラニュートが行きそうな所を考えると、ここって訳。な〜んか大雑把そうな奴だし、適当に近場で逃げてそうだなぁと」
「じゃあ、その小魚はどこで?」
「さっきここで拾った。怪しさ満点だよね」
彼女は小魚を指から放して地面に落とし、それから力いっぱい踏みつけた。グシャ、とグロテスクな音が鳴る。
「だから、これからカズサ君に連絡しようと思ってたんだけど。手間が省けたね、一緒に捜索と洒落込もう」
「……足だけは引っ張らないでよ」
「はいはーい」
適当な返事。分かってるんだが分かってないんだか。いずれにしても、コイツに構っている暇はない。私は会話を切るように、DJクラブの建物へと足を進めた。
分厚い扉を押し開けた瞬間、外界の空気は内部の圧力に押し出され、代わりに重低音が胸の内側を殴りつけてきた。これでは音楽というよりはただの振動だ。それを耐えながら身体を完全に中へ入れれば、床や壁から一層流し込まれる。
「大丈夫? カズサ君」
「……あー、うん。慣れてないだけ」
呼吸を整えながら周囲を見回す。照明は極端に落とされ、天井から吊るされた無数のライトが、気まぐれに色を変えながら空間を切り刻んでいた。紫、青、赤、オレンジ、緑。視界が定まる前に次々と塗り替えられ、距離感を狂わされる。
右も人、左も人、前も人。通路と呼ぶにはあまりにも曖昧な隙間を、人々が縫うようにひしめき合っていた。汗と酒と、甘ったるい香水の匂いが混じり合い、呼吸するたびに喉に絡みつく。視線を泳がせても、個々の顔は照明に塗り潰され、誰が誰だか判別できなかった。彼らは音楽に合わせて一斉に腕を振り上げ、一体感のみを共有している。
「逃げるにはうってつけ、って訳ね」
「そうだねー。捕まえるにも好都合だ」
背後から遅れて入ってきた酸賀の白衣が、ライトに照らされて様々な色に浮かび上がる。異質だが、逆にこの空間に溶け込んでいるようにも見えた。
私は拳を強く握り、人の波の奥へと踏み込んでいく。視界は大きく遮られ、踊り狂う身体の腹部ばかりが横切った。露出した肌、シャツの裾、ベルトのバックル。音に合わせて上下するそれらをひとつひとつ確認していくが、目的の化け口はない。結局、怪しい影ひとつ掴めないまま、私は人混みの端へと弾き出された。ようやく呼吸が楽になった頃には、フロアの中央が遠くに見える。
「どう? いた?」
「いなさそう。というか、仮にいたとしてもこんなに暗いと簡単には見つからないでしょ」
「まあそうだよね。じゃあ出口にでも行こっか」
「帰るの?」
「違うよ。僕なりに探してみようと思ってさ」
「……何か考えがあるんだね」
「そう」
酸賀は人混みなど気にも留めず、ずかずかと進んでいく。私は一瞬だけ逡巡してから彼女の背を追った。
「グラニュートが腹部に特殊なデバイスをセットすることで擬態するって話はしたよね?」
「うん。着脱がトリガーだって」
「それなんだけどさ、擬態する姿はデバイスによって異なるっぽいんだ。要するに、一度擬態がバレても、デバイスを変えればまた隠れられるってこと」
「……そんな厄介な仕様があるの?」
「そ。だからこそ、姿を変えたグラニュートは油断する」
出口に近づくにつれ、音圧がわずかに薄れ、人の密度も緩やかになる。浮かれた熱と、帰路につく安堵とが入り混じった空気が漂っていた。
「今回のグラニュートは随分と浅慮っぽいから、狩場を変えるにしてもそこまで遠くにはいかないだろうし。目立たないように……なんて考えないで、効率を求めるはず」
その瞬間だった。酸賀が何の前触れもなく、すれ違いざまに男の胸元を掴み、布を捲り上げる。
裂けた口。服の下から現れたのは、笑うように開いた大きな口だった。酸賀は白衣の裾を払うようにして一歩退き、こちらへ振り返る。
「幸せな気持ちで帰路につく出口付近で潜伏……とかね?」
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ざわめきが、一拍遅れて悲鳴へと変わる。
音楽に酔った歓声が悲鳴と混乱に上書きされ、フロアの熱が一気に反転した。実際にそれを見たのは一握りのはずなのに、誰かが叫べば、別の誰かがそれに触発されてまた叫ぶ。光は相変わらず無秩序に瞬き、状況を把握しようとする視線を無慈悲に遮った。
「まさか、こんなに綺麗に当たるなんて! 今日は良い日だね〜、カズサ君!」
「いいから隠れて! 庇いながら戦うのダルいから!」
「また会いましたねぇ、グラニュートハンター!」
「アンタもうるさい!」
私は服の下からヴァレンバスターを取り出し、グラニュートに撃ち込む。しかし、銃弾が届くよりも早くにソイツは動き出し、出口の扉を開け放った。
「待て!」
背中を追って建物を飛び出す。とっ捕まえてやろうと全速力で走るが、相手は逃げ慣れているのだろう、距離が全然縮まらない。むしろ少しずつ離されているような気さえする。
「あらあらぁ、そんな速度じゃー私を捕まえるのは到底ムリですねぇ!」
「だったら……!!」
私は白い眷属をヴァレンバスターにセットした。
《 Choco 》
《 Set choco Set choco Set choco 》
「変身ッ!!」
銃身を閉じ、歩道に撃ち込む。溶け合うエネルギーに包まれた身体の上から生体装甲を纏い、そうして私は懐かしい私に生まれ変わった。
《 Chocodon Pakipaki 》
さらに、変身した直後に再び銃身を開き、振り向かないままで後方の地面を狙う。直後、銃が大きく唸り、凄まじい圧力でチョコレートが放たれた。私の身体はジェット噴射の要領で前方へと突き動かされる。
「なっ、速──!?」
その驚愕の声が最後まで形になる前に、視界いっぱいに標的が迫った。急激な加速で空気が引き裂かれ、次の瞬間にはもう間合いの内側だ。振り向く暇すら与えず、脚に体重と勢いの全てを乗せる。
次の瞬間、乾いた衝撃音が響き、蹴りはそのままグラニュートの背中を貫くように叩き込まれた。
「う、ぐ……ごっ」
ソイツは声にならない泡のような音を立てながら、吹き飛ばされて遠くの地面に激突する。かなりの好感触──だったのだが。
「はは……あははっ!! すごいです、グラニュートハンター! まさか私を見つけて、ここまで追い詰めるなんて!」
再びジェット噴射で近づく私に笑いかけると、蹴られるよりも早く、倒れたままで宙へ浮かび、突如地面と平行に動き出した。
「はっ、え、キモ!!」
どう見ても寝転がっているというのに、ただの走りとは比較にならない程の高スピードで飛んで行く。速度は高圧チョコレートと五分五分といったところか。
「魚に乗って飛んでるのか!」
「その通り! このままでは、貴方はいつまで経っても私に追いつけませんよぉ?」
付かず離れず、歯痒い間合いを保つことしか出来ない自分に腹が立つ。かといって、ヴァレンバスターを推進力として利用している限り、銃撃は不可能だ。
「それに、貴方と違って攻撃手段も豊富なのです。ほら、このように──」
グラニュートが指をパチンと鳴らす。それを合図に、周囲の景色が一変した。
曲がった路地の向こうから、路傍の排水溝から、今進んでいる道の前方から、建物を越えて頭上から。あらゆる場所から凄まじい魚群が噴き出るように現れ、空を泳ぎ始める。それらは竜巻のように巨大な旋回流を描き、次第にグラニュートを中心とした大きな一つの塊を形作った。
「──何でも出来る、何だって見える! チンケな二本腕に悩まされる平々凡々な日々など、もう二度も来やしない! 世に蔓延るあらゆるものが煌めいて輝いて、それでいて全てを簡単にぶち壊せる! そんなの、面白くて仕方がないですよねぇッ!!」
その直後、まるで水揚げの瞬間を再現したかのように、凄まじい密度の魚群が正面から押し寄せる。空気を押し潰す轟音と共に無数の魚が一斉にうねり、巨大な一枚の壁となって迫ってきた。それはもはや泳ぐという次元ですらない。まるで巨人が振り下ろした大槌が、私を空間ごと潰しに来ているようだった。
私は反射的にヴァレンバスターの噴射方向を横へ切り替え、身体を弾き飛ばすように回避する。魚の塊が、ほんの少し前まで私がいた地点を粉砕するように通過した。
しかし、息をつく暇はない。
逃げた先の景色が変わることもなく、用意された二発目が、別方向から集束した魚群が、再び巨大な質量となって私を狙い撃った。
「ならッ!」
私は地面を蹴り、今度は上へと飛び上がる。空へ逃げたその瞬間、追尾するように魚がせり上がってくるのを視界の端で捉え、空中で銃身を閉じた。
完璧だ。ヴァレンバスターの銃口が真下を向く。
《 Chocodon 》
引き金を引くと同時に、チョコレートの砲弾が雷鳴のような音を立てて撃ち出された。私はその真上へと身を滑り込ませ、落下する砲弾の背に張り付くようにして落ちる。砲弾を盾にすることで、下方から迫る魚群を押し潰し、弾き散らしたのだ。
砲弾と共に落下しながら、魚群の密度が薄くなる切れ目を見極めていく。
「──今だ!」
再び銃身を開き、チョコレートを噴射する。圧縮された推進力が身体を撃ち出し、私は魚群の渦を文字通りこじ開けるようにして、その外へと飛び出した。
「簡単にぶち壊せる、だっけ? まだ壊せてないみたいだけど!?」
「あぁ〜〜〜っ、だからぁ!! だから貴方は面白いんですよぉッ!!!」
グラニュートが興奮気味に叫ぶと、周囲を漂っていた魚たちが一斉に進路を変える。今度は、私を中心核として配置を組み替え、球体を形成し始めたのだ。
「もう、逃げ場なんてどこにも作ってあげません! 貴方の身体を押し潰してすり潰して叩き潰して食い潰して、それで全部終わりにしましょう!!」
宣告と同時に、歪な檻が収縮を始める。全方向から均等に、逃げ道を塞ぐように、視界を埋め尽くす魚影が着実に近づいてきた。
「……マジか」
空気が重くなる。圧力が身体を強く締め付けてくる。
このままでは負ける。
「やばっ──」
その瞬間、空気が裂けるような爆音がした。
背後で何かが爆ぜ、衝撃波に背中を殴りつけられる。球体を構成していた魚たちが力なく四散した。
私は反射的に振り返る。そこにいたのはバギーと、その上に仁王立ちする、両肩に砲台を載せたピンク色の巨体だった。優に二メートルを超える体躯が、街の中で異様な存在感を放つ。誰かなんて一目瞭然だ。
「……先輩。もう、遅いですよ!」
「すみません、これから挽回しますので!!」
ガヴ先輩は私の呼びかけに対して、歯切れのいい返事を返した。そして顔を正面へ向け、視線を逸らすことなくグラニュートを射抜く。
「闇菓子との関わり方。考え直してくれましたか?」
「そんなことある訳ないじゃないですか! 私はこんな所で終わりませんから、いつまでもこの世界で遊び続けるんですからぁ!!!」
その直後、グラニュートと呼応するように、散っていた魚が一気に集束し、私達の眼前で大きな腕の形を成した。次の瞬間には、それは躊躇なく振り下ろされる。しかし──
「先輩、お願いします!」
「もちろんです!!」
ガヴ先輩の返事と同時に、こちらから二発の砲弾が放たれた。魚で形作られた腕は悲鳴を上げる暇もなく内側から弾け飛び、衝撃に耐えきれなかった魚が四方八方へ散って、空中にばら撒かれる。
「そんな、そんなそんなそんな!! 私の子供達が完全に負けるなんて、そんな面白いことが……!」
「今です! 私に乗ってください、ヴァレンさん!」
「はい!」
私は迷わずガヴ先輩の肩へと飛び乗った。久しぶりの安定した足場だからだろうか、視野が一段広くなり、戦場全体が見渡せている。ガヴ先輩を見れば、腹部のレバーを力強く回している所だった。
《Charge me!Charge me!Charge me!》
両肩の砲塔は淡い光を帯び、その輝きが次第に増すのが分かる。光は外へ漏れることなく、内部へ、さらに奥へと引き絞られていた。
「二人一緒の、必殺技です!!!」
短く言い切るのと同時に、ガヴ先輩がボタンを押し込む。私も銃身を閉じ、トリガーを引いた。
《Bakucan Blast!》
《 Chocodon 》
ガヴ先輩の全身が光を放ち、装弾筒が撃ち出される。弾頭は空中で分離し、硬質なエネルギーがそれを一気に前方へと押し込んだ。私の銃口からも、大きなチョコレートの砲弾が放たれる。
狙いはただ一つ。一直線にグラニュートへと突き進む!
「う、ぐぁぁぁあああ!!!」
次の瞬間、悲鳴を呑み込むように爆発が起きた。閃光と衝撃が重なり合い、周囲の空気を根こそぎ吹き飛ばす。道路に積み上がっていた魚はさらさらと消えてなくなり、後に残ったのは、遅れて反響した爆音だけだった。
──────────────────────
◇
「さてさて、今日の録画はどうかな〜、っと」
スマホを操作し、撮っていた映像をパソコンへ落とす。再生ボタンを押すと、画面いっぱいに荒れた映像が映し出された。
寂れたネオンと太陽に照らされる路上。画面の奥に豆粒くらいの大きさで見える、両肩に砲台を載せたピンク色の巨体とブラウンの人影。視点は終始安定せず、激しく揺れ、時折フレームの端に手や服が映り込んでいた。
「あー、やっぱ無理か。めちゃくちゃ走ったのにな」
映像を一時停止しても、変わらず仮面ライダー達の輪郭は滲んだままだ。当然だが、拡大すると画質は更に破綻していき、汚い何かにしかならない。
分かってはいた。あの状況で綺麗な映像が残るはずないと、理解してはいたのだ。だが、理屈と実感は別物であり、いざ現実として眼前に叩きつけられるとかなり辛いものがある。
「まあいいや!」
再生画面を閉じ、椅子を軋ませながら立ち上がった。机の上には整理される気配のないまま積み重なった書類の山が広がっている。メモ、写真、走り書きした付箋。
「切り替えて次だ、次。確か報告だと──」
その中へ躊躇なく手を突っ込んで、がさがさと紙をかき分ける。何度か空振りを繰り返し、ようやく目的の一枚を引き抜いた。
「あ、これこれ。末っ子ちゃん達が動いてるって話だよね」
資料に視線を落としたまま、机の端に置いていたマグカップを手に取る。中身は冷めたコーヒーだ。一口含み、喉の奥へと流し込んだ。
「カズサ君、殺されなきゃいいけど」