宇沢レイサ×仮面ライダーガヴ概念   作:魚か?

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第11話『仮面の下は』

 

    ◆

 すっかり日が暮れて夜となったトリニティは、お昼の活気が嘘のように気品を従える。寮生が大多数を占める関係上、深夜に外出している人自体が少ないからだ。私にとっては、比較的いざこざが起きづらい休憩の時間となる。

 

「……あ。ここは」

 

 パトロールのコースを歩いていると、いつもは気にも留めない公園が珍しく私の意識の中心を陣取った。

 いつだったろうか、私はこの公園で先生と話したことがある。『普通』の生徒になった杏山カズサのこと、彼女に迷惑をかけていたこと、挑戦状をもう渡さないこと。既に終わった過去のことではあるけれど、それらは未だに色濃く私の頭の中に残ったままだ。

 杏山カズサは変わった。結局戦わなくなった訳ではなかったが、戦う理由は明らかに変化している。戦いよりも向こうを見るようになった、と言うべきか。まるでスズミさんと出会った時の私みたいだ。

 

「今、何をしてるんでしょう」

 

 杏山カズサは何も言わずに突然消えた私のことをどう思っているのだろう。私がいなくなって何か変わったのだろうか。脳裏に現れるのはあの日の彼女。仮面ライダーとして出会った、あの日の杏山カズサ。

 

『それで、いくつかお聞きしたいことがあるんですが』

 

 どうして仮面ライダーと話したいことがあるのだろう。普通の幸せを望んでいるはずの彼女がわざわざ首を突っ込むという状況は、どう考えてもおかしいのだ。あの時はびっくりしてちゃんと話せなかったが──

 

「……いえ、違いますね」

 

 この期に及んで言い訳をする自分を自嘲気味に笑う。

 本当は、単に怖かっただけだ。

 もしも私に微塵も興味がなかったらって、もしも私だけを抜いた日常に杏山カズサが慣れきっていたらって、余計な想像をして余計な恐怖を感じていただけ。もし実際にそうだとして、それは私を拒絶するようなものでもないのに、それでも確かな隔絶になってしまう気がして。だから答え合わせを聞きたくないと願い、彼女の前から逃げてしまったのだ。

 私はお腹の底が冷える心地がして、それを紛らわすようにそばにあったブランコへと身を預ける。しかし、周期的にキコキコと鳴る金属音はかえって私を惨めにした。

 

『ヘンナイス!』

「それはブランコって言うんですよ」

 

 隣のブランコに乗った眷属は、私の言葉を聞くと『ブランコ、ブランコ!』と声を上げながら揺られ始めた。

 

「楽しいですか?」

『シアワセー!』

 

 私に対して気を遣っていなさそうな返答。弱った心を刺激しないそれが今はありがたい。深呼吸を一つ。

 見上げれば、夜空で星がきらきらと光っていた。無秩序にばら撒かれたそれらは定型を持つようには思えず、見ようによっては天の川にも大三角形にも見える。そういえば今は何月だ? そんなことすら気にしていなかった。本当に俗世から離れ離れになってしまったのか。

 

『ヤバイ! ヤバイ!』

 

 地面に視線を戻すと、いつの間にか私の元に近づいていた別の眷属が焦り気味で報告をしていた。せわしなく跳ねている姿は事態の深刻さを嫌でも感じさせる。

 

「どうしたんですか!? グラニュートが現れたのでしょうか……?」

『ヴァレン、ヤバイ! シータ、ジープ!』

「……案内をお願いします!!」

 

 私はブランコから立ち上がってガヴにキャンディの眷属をセットし、バギーを吐き出す。運転席に乗り込み、エンジンを吹かした。

 

 

 

──────────────────────

 

 

 眷属によって伝えられた戦いの場は、町外れにぽつんと存在している小山であった。見たところ山頂は禿げているようだが、山肌や麓には木々が生い茂っている。展望台でも建てられているのかもしれない。

 私はバギーに乗って角度の急な斜面を無理やり登っていく。戦況が全く掴めていない以上、安全な道を使えるような余裕は残されていないからだ。何度も木の幹にぶつかりそうになり、その度に心臓が大きく跳ねるが仕方ない。

 山頂に到着するまで残り二十メートル。危なげのある木もあと二、三本といったところで、突如私の肌がぴりぴりと震わされる。ミシッ、と嫌な音が軋み始めたと思えば──正面の木がこちら目掛けて倒れてきた。

 

「なら、受け流すしかないですね!」

 

 眷属をガヴにセットし、周囲で発生した白いエネルギーの粒を取り込む。全身を鎧で包み、そうして私は全く新しい私に生まれ変わった。

 

《Fuwamallow! Fuwafuwa〜》

 

「出でよ! フワフワシールド!!」

 

 腹部から吐き出されたクッションを掴んで上方へと掲げ、重力に従う丸太を受け止める。そのまま横へ投げ飛ばすことで、大きな衝撃音を響かせながらなんとか難を逃れた。

 

「よぉし! あとちょっと……!」

 

 私は成功による油断もせず、残された切り株をしっかり蛇行して避ける。ついに道のりを邪魔する物は一つもなくなり、山頂まで残り五メートルを切った。

 

「どうか間に合っていてください!!」

 

 スピードを緩めずに、私とバギーは斜面から宙へ飛び出す。つい先程まで何も視認できていなかった現場が視界いっぱいに広がる。存外何もない台地が、三つの人影を強調する。

 

「ヴァレンさんっ! 大丈夫ですか!?」

 

 私の叫びの背中で聞いたヴァレンさんは、待ち侘びたかのようにこちらへ勢いよく振り向いた。

 

「……良いじゃないですか。今回は早いですよ、これから戦うところです」

「よぉーし!」

「来たか。赤ガヴ」

「私達が呼ぶ必要すらなかったみたいね」

 

 双子は既に擬態を解除していたようで、銀の狼に似た頭をこちらへ向ける。シータは杖のようなものを、ジープは持ち手の長いナイフを握っていた。

 

「私達を散々コケにしやがって……!」

「お前のせいで、俺達はクビになったんだ!!」

「クビ?」

 

 私は突然吹っ掛けられた因縁に対し、困惑して首を傾げる。

 

「よく分かりませんが……切り捨てられたということでしょうか」

「みたいですね。ま、ただの逆恨みですよ」

 

 ヴァレンさんはヴァレンバスターを構えた。

 

「私は銃を握ってる方を叩きます。先輩はナイフの方を」

「はい! 私達が力を合わせれば、百人力です!」

「お前らさえいなければ、私達はストマック社のトップに立てるはずだったのに!」

「お前らを潰さなきゃあ、このむかっ腹が治まらねぇんだよ!!」

 

 瞬間、四人全員が地を蹴った。

 私はジープへ、ヴァレンさんはシータへ、それぞれ相手を下すために距離を詰める。

 

《ZakuzakuChips! Zakuzaku!》

 

「切り捨て御免! です!」

 

 双剣の間合いに大きく踏み込み、地面と水平に斬り払った。しかし、ジープはそれが到達する前に跳び上がり、私の頭上を通過していく。

 

「遅いッ!」

「おおっ、中々素早いですね!」

 

 一閃。背を斬りつけられ、私は大きく前方へよろめいた。

 

「こんなヌルい攻撃じゃあ、到底私達なんか──」

 

 しかし、後方へ身体を回して彼の姿を見据える。丁度、ナイフを振り下ろすところだった。

 

「私も、負けてられませんよ!」 

 

 ナイフの軌道に対し、スラッシャーを垂直に当てる。その瞬間、武器のパワーバランスはいとも容易く逆転した。

 

「なっ、強!?」

 

 ジープの振り下ろしたナイフは、ガキンと激しい音を立てながら跳ね返され、彼自身もまたその衝撃に身体を持って行かれる。もちろん、このチャンスを逃しはしない。再度大きく踏み込み、二刀を振り抜いた。

 

「……あ、あれ?」

 

 しかし、手応えがない。私は確かにジープを捉えていたはずなのに、何かを斬るような感触すらなく、腕は既に動かした後だった。

 

「どうして──」

 

 思わず手元を見る。刀身はどこにもなかった。

 

「ありがとう、シータッ!」

「──援護射撃ですか!? この精度で!?」

 

 私は再び両方の刀身を生成するが、予想外の展開によって明らかに反応が遅れていた。

 下に向いたままの頭が激しく揺れる。殴られた!

 

「お前は口先だけの空っぽな奴なんだ! 今ここで、私がそれを証明してやる!!」

 

 まだぐらぐらとした衝撃が残ったままの頭を掴まれ、頭突きが一発。思考が停止し、手の力が抜けた。

 

「──あっ」

 

 意識を取り戻したのも束の間、腹を蹴られてどさりと地面に落ちる。眼前には彼女のナイフが迫っていた。

 

「くっ……!」

 

《Poppin’gummy! Juicy!》

 

 すんでのところで腕を引き上げて盾のように構え、顔を庇う。次の瞬間、装甲が限界を迎えて弾け飛んだ。

 

「セーフ……です、ねっ」

「セーフ?」

 

 ジープは私の言葉をなぞるように繰り返す。そうして、煮えたぎるマグマのように恐ろしい気迫を放ち始めた。

 

「──な訳ないでしょッ!」

 

 前腕に押し付けられていたナイフが、そのまま滑るように振り抜かれる。装甲のない隙間を正確に抉られ、痛みが遅れて焼け付くように広がった。

 しかし、それだけではない。私は直感する。

 ジープの手元、不自然に動く柄。それは彼の引き抜く動作に合わせて分裂するようにスライドすると──もう一本の刃を露わにした。 

 反応が遅れている。それを見た時点で、既にこの一瞬において負けている。

 先の攻撃で力無く地面に叩きつけられた右腕を私が引き戻すより前に、その刃が突き立てられた。

 

「あッ……!?」 

 

 熱い。痛い。右腕が燃やされているような錯覚を覚える。しかし、それに浸っている暇はない。

 

「……ガヴガ……ブレイドッ!!」

 

 腹部で赤い光が爆ぜる。ほとんど零距離だ。避けられるはずもない。射出された両刃が、そのままジープの身体を貫く──

 

「そのやり口はもう分かってるわよ。一回やられたんだから」

 

 酷く冷静な手が伸びる。剣は彼に触れる寸前でピタリと止まった。初めは何が起こったのか分からなかった。しかし、刹那の後に理解する。理解して、絶望した。

 ジープはただ、ガヴガブレイドの柄を掴んだだけだ。

 

「……ウソ」

「残念ながら、現実よ」

 

 彼は自前の刃と奪い取った刃、その二刀を構え直し、狼狽した私に振り下ろした。

 

「先輩ッ!!」

 

 その時、視界の外側から、鋭く空気を裂くような声が飛び込んでくる。

 反射的にジープの表情が変わった。何かを察知したのか、私から弾けるように距離を取る。

 

《 Chocodon 》

 

 次の瞬間、重々しい駆動音が大気を震わせた。視界のすぐ手前を巨大な弾丸が一直線に貫いていく。そしてそれについてくるように、ヴァレンさんが私のすぐそばへと降り立った。

 

「大丈夫……じゃなさそうですね」

「いえ。まだ、やれます」

 

 右腕に突き立てられた刃を、歯を食いしばって引き抜く。裂けるような鈍い痛みが遅れて神経をじりじりと焼いたが、泣き言は言わない。

 

「足を引っ張る訳には、いきませんから」 

「……お互い様ってやつですか」

 

 ヴァレンさんはそれ以上何も言わず、即座に踵を返した。再びシータへと向かっていく背中が、やけに遠く見える。

 私はふらつく身体を無理やり起こし、片手だけで眷属をガヴへセットした。

 

《Gurucan! Peropero!》

《Vrocan Gatling!》

 

 生成したガトリング砲を地面に固定し、ジープに向かって掃射した。しかし、弾丸は乾いた音を撒き散らすばかりで、その影を捉えることは出来ない。左右へ、上下へ、不規則に跳ねるような軌道。狙いを定めるたびに、既にそこにはいない。

 

「強がってても、蓄積されたダメージが深刻だってことはバレバレよ?」

「……だとして、諦める理由にはなりません!」

「あっそ。だったら──これはどうかしら?」

 

 ジープがガヴガブレイドの起動部を押し込む。甲高い駆動音。次の瞬間、振り抜くような構えを見て、一つの解に辿り着いた。斬撃が飛ぶ。思考と同時に、身体が先に動いた。

 地面を蹴る。視界が傾く。真っ二つにされないよう、必死に転がる。すぐに体勢を立て直そうと、ガトリング砲を再び構えようとして──止まった。

 照準の先。そこに重なっていた。

 

「ヴァレンさん!!」

 

 そのさらに向こうに、確実に狙えない線の上にシータとジープの二人。三人の位置関係が、私を封じ込める陣形が一瞬で完成していた。

 

「仲良しごっこも、ここまで来ると滑稽ねぇ!」

「お前らなら、こんな一瞬のチャンスは掴めないだろうがな。俺達は違うんだよ」

 

 撃てない。撃てるはずがない。

 砲身にかけた腕が凍りついたように重い。その迷いを見透かしたかのように、二人の攻撃が無慈悲にも重なっていく。金属音。衝撃。目がチカチカとする。

 距離を詰めるしかない。頭では分かっている。すぐに援護をしなければならない。しかし、今の私はグルキャンフォームだ。この図体では、踏み出す一歩が致命的に間に合わない。フォームを変えなければ──そう思考が結論に辿り着くよりも早く。

 視界が揺れた。

 足元から支えが消える。重心が崩れる。身体が、何の抵抗もなく後方へ倒れ込む。

 

「──何が」

 

 原因を探すため、無理やり首を動かす。そこには、地面に深々と突き刺さったガヴガブレイドがあった。刃は地面を抉り、私が立っていた足場を根こそぎ断ち切っている。

 

「……斬って、なかったんですか……?」

 

 遅れて理解が追いつく。先の斬る構えはフェイント、ブラフだったのだ。本当の狙いは私ではなく、剣を投擲した先にある私の足場。

 

「おい、赤ガヴ」

 

 声に引き寄せられるように顔を上げる。視線の先に立っていたのはシータだった。彼女の手は、ヴァレンさんの首を掴んでいる。

 

「こっからは戦闘じゃねぇ。お前はもう負けたんだ」

 

 言葉と同時に、鈍い音が響く。シータの拳がヴァレンさんの腹部にめり込んだ。直後、衝撃が装甲を軋ませ、もう限界だと言わんばかりの弱々しい光を放ち──変身を解除した。

 

「え、あ、なんで」

 

 理解が追いつかない。目の前で起きていることの意味を、脳が拒絶している。露わになったその姿を見て──

 

「──杏山、カズサ」

「まずは変身を解除しろ。抵抗したらコイツを殺す」

 

 シータはそう言うと、もう一度ヴァレンさんの──杏山カズサの腹を殴った。

 

「ぐっ……ごほっ」

 

 彼女はそれを受けて少量の胃液を吐き出す。反射的に動き出す私の頭に、ジープがガヴガブレイドを突きつけた。

 

「抵抗するなって言ったわよね?」

「……最低ですね」

「なんとでも言えばいいわ」

 

 私の身体の上で、彼は挑発的な笑みを浮かべる。今の私はグルキャンフォームだ。こんなに接近されているのだから、吹き飛ばすことなど造作もないというのに。

 

「……従わないで、いいですよ」

 

 息も絶え絶えに、杏山カズサが言葉を紡ぐ。その声はか細く、震えていた。

 

「私のミスです。そもそも、先輩は律儀に守る義理もないでしょう」

「それは違います! 私が──」

「私がここにいるのは、私自身がそうしたいと思ったからです。そりゃ、死にたくはないですよ。でも、貴方だって、譲れない何かがあるからここにいるはず」

 

 痛みか、あるいは恐怖か。彼女は震えているはずなのに、まっすぐな言葉を吐き出していく。私の目を、杏山カズサの瞳孔が刺す。

 

「逃げてください。ここで二人共死ぬくらいなら」

 

 どうしてそんなことが言えるのか。それが最初に抱いた感想だった。

 杏山カズサは普通の高校生を目指していたはずだ。勉強やスイーツに囲まれた、血生臭さとは縁遠い華々しい日常こそが、譲れない何かだったはずだ。そもそも、この状況自体がおかしいのだ。

 彼女はどうしてヴァレンなんかに変身している? 普通の生活には絶対に要らないだろう。グラニュートと戦うなんてもってのほかだ。日常を守るためだとしても、ここまで前のめりに行動する必要はどこにもない。

 分からない。全然分からない。彼女が何を考えているのか、彼女が何に価値を見出しているのか。全てが唐突に闇に包まれたような気がして、もうとっくに結論を出していたはずのことですら、振り出しに戻る心地がした。

 でも、それでも。私には一つだけ分かることがある。今ここで逃げ出したら、この先ずっと逃げ続けてしまうということだ。

 

「……逃げません。ここからも、貴方からも」

 

 私はガヴから眷属を抜き出した。たちまち光を放ち、元の人間態へと姿が戻る。宇沢レイサがここにいることが、杏山カズサに知られる。

 

「──は?」

 

 彼女は目を大きく見開き、呼吸すら忘れたように、ただ呆然と口を開けて私を見つめていた。

 

「良いじゃない。素直なのは良いことよ」

 

 次の瞬間、私は苦痛で顔を歪める。肩から反対側の脇腹へ、ジープの刃が袈裟に振り抜かれたのだ。遅れて焼けるような痛みが全身を駆け巡る。

 

「がッ……!!」

「待ってっ!!!」

 

 杏山カズサの声が裂ける。これまで聞いたことのないほど切迫した響きだった。

 

「やめてっ、それだけは!! 宇沢だけは──」

「はぁ? さっきまでスカしてたくせに、突然何よ」

 

 もはや全てが怒りの種と化しているようで、ジープは興味を失ったように私から足を離し、そのまま杏山カズサへと歩み寄っていく。しかし──

 

「……え」

 

 杏山カズサは再び凍りついたような顔を見せた。それに、その目はジープを映してはいない。理解が追いつかない化け物でも見ているかのように、私を見ていた。

 何かおかしなことをしているのだろうか。私はただ、立ち上がっただけだ。

 膝が震えていても、身体が軋んでいても、それでも足に力を込めて。逃げないと決めた場所から一歩も退かないように、視線を逸らさず杏山カズサを見据えているだけだ。

 

「お前、抵抗のつもりか?」

「違います。立たなきゃいけないから、立っているだけです」

 

 シータの問いに短く言い返す。直後、苛立ちを露わにしたジープが動いた。

 反応するよりも早く、横合いから衝撃が叩き込まれる。身体が軽々と弾き飛ばされ、地面を転がった。

 

「宇沢ッ!!」

 

 肺の空気が一気に押し出され、視界が白く霞む。空咳が止まらない。それでも、指先で地面を掴む。震える腕に力を込めて、もう一度、身体を起こす。

 

「なんなのよ……なんなのよ、お前はっ!」

 

 悲鳴のような叫び声。ジープは握った刃をわなわなと震わせ、獣じみた圧迫感で周囲を満たした。

 

「私達の邪魔ばっかりして、自分が正しいって顔しやがって!! 何も知らないくせに、私達より弱いくせに──ムカつくんだよッ!!」

  

 瞬間、視界がぼやけた。彼の姿に焦点が合わない。消えたようにも思える。とにかく、私の骨は軋み、内臓は揺られ、攻撃されたという感触だけが伝わってきた。

 声が出ない。身体は宙に浮いていた。

 重力がどこにあるのか分からない。空と地面が入れ替わり、ぐるぐると世界が回転する。杏山カズサはどこだ? シータは、ジープは、私は──考え終わる前に、背中から地面に叩きつけられる。それでも止まらない。勢いのまま、身体が斜面を転がっていく。土の粒が、石の角が、枝の切れ端が、無遠慮に私の全身を蹂躙する。

 

「……ああ」

 

 負けたのか。

 地面の傾きが緩やかになり、ようやく身体が止まったところで、私はそれを理解した。

 

「……でも。立た、なきゃ」

 

 呼吸が荒い。音が遠い。輪郭がぼやけ、色しか分からない。それでも逃げたくない。

 私は身体に力を入れようとして──そこでぷつりと糸が切れ、意識が沈んだ。

 

 

 

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