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トリニティ自治区に帰還してしばらくが経った。慣れというのは本当に身体への巡りが早いもので、今では私が路地裏を、眷属がそのサポートや大通りを、というパトロール体勢がすっかり日常と化している。もう1人で見回っていた以前には戻れないと思うくらいに。
『アッチ、シロ!』
「了解です」
路地裏を歩く私の元に報告が届く。眷属達は──もはやいつものことなのだが──私が教えていないはずの言葉をどこかから仕入れて来る。シロというのは、恐らくグラニュートが見つからなかったということのはずだ。確信が持てないのは気にかかるが、擦り合わせが出来ないのだからどうしようもない。だからといって言葉を矯正するというのも、眷属達の勉強意欲を上から押さえつけるようで気が引ける……なんだかこの思考回路、親みたいだな。
『アッチ、ヒトリ!』
「……はい」
経験則で行くなら、ヒトリは一般人が1人いるという意味のはず。一応私は行方不明者だから、不用意に接触する必要もないだろう。……と、思ったのだが。
「……どうしよう……このままだと……」
その1人だと思われる、ひどく取り乱した声が耳に届いた。彼女が眷属の先回りした場所に留まっているならばそこそこの距離があるはず。それなのに聞こえるということは──
「助けが必要……なのかも」
それを考えた時、既に足は大きく動いていた。頭の中を占有するのはたった1つの言葉。
『自分の心に嘘を吐かない、それだけ忘れんなよ』
困っている人を見捨てられない、見捨てたくない。状況が変わっても、この気持ちは変わらない。思いを胸に、私は声が聴こえた場所へ急ぐ。
少し走った先で見つけた彼女は、しゃがみ込んで室外機をべたべたと触りながら辺りを物色していた。肩にカバンを掛けていて、水色の襟とスカート、胸に着けられた大きな黄色のリボン。私は一目でこの人がトリニティ生だと理解する。どうやら何かを探すのに夢中で、私の存在には気付いていないようだ。
「すみません、何かお困りですか?」
コミュニケーションを取らなければ何も始まらないだろうと思い、とりあえず声を掛ける。彼女は私の問いに対して一言も返さず、こちらを一瞥した瞬間──
「うわぁぁぁああ!!!」
と、上擦った悲鳴を上げながら後ずさった。
「だ、だ、誰ですか!?」
「……えーっと、一応トリニティの生徒です!困ってる声が聞こえたので、お手伝いできればなーと……」
そこまで怖がられるとは思っていなかったから、驚いている姿に驚くことで、一周回って喉から穏やかな口調が飛び出す。にへへと力なく笑う私を見てか、彼女も段々と表情の強張りがほぐれていった。
「そ、そうですか……」
彼女は俯いてそう言うと、再びおずおずと顔を上げる。その目尻には涙を貯めていた。
「……その、大切な物を失くしちゃって。バッグに付けてた三日月形のキーホルダーなんですけど、多分昨日の朝にこの辺りで落としたと思うんです!一緒に探していただけますか……?」
私は彼女の心に立ち込めた雨雲を吹き飛ばすため、親指を立てて元気よく答える。
「もちろんです!このトリニティの騎士、うざ──」
「うざ?」
「……ウェザーマンが協力しましょう!!」
流れで言いそうになった本名を無理やり軌道修正し、とんでもなくダサい偽名を発表してしまった。……試合に勝って勝負に負けた気分。
「ここで落としたというのは、この道を通ったということですか?」
私は言いながら案山子のように腕を横に広げる。この路地裏は東西の通りから直で入ることが出来、真ん中辺りで十字路のように南北にも道が続いている。そのため、少しでも範囲が絞れる情報が欲しいのだ。
「そうです。近道なので、いつもここを真っ直ぐに通り抜けているんです」
「なるほど。では、他の道はあまり優先度が高くないのかも?」
「そうですね。曲がった先は、隅々まで見なくてもいいと思います」
正直、結局見ることにはなりそうだが……順序が明確になったのは大きな進歩だ。
「では、先に曲がってすぐの所だけ見てみますね!」
いかにもな理由を告げ、私は彼女から見えづらい曲がり角へ向かった。その先で待機している眷属を見つけ、命令を伝えるためにしゃがむ。
「三日月形のキーホルダーらしいです、探してください!」
『ワカッタ、サガス!』
『サガス!』
眷属達は頭を小刻みに振ると、それぞれ任務を遂行するために散開した。
「……私も探しましょうか」
両手で頬をパチンと叩いて気合いを入れる。久しぶりの自警団的人助けなのだから、いつもより一層頑張らないと……と心で念じつつ、私は落とし物捜索を開始した。
こういう時は、とりあえず地面をくまなく見ていくのが定石だ。落とし物と言うのだから当たり前ではあるが、基本的には元々あった高さより下にあると見ていいだろう。
「むむむ……むむむむむ」
抜けがないよう、慎重に見て回る。日光の届きづらい路地裏では、キーホルダーだからといって光が反射して分かりやすいとは限らないのだ。
「埃と……抜け毛と……紙くずと……」
見つかるのはどれも想像通りの品々。品と言っていいのか怪しいものばかりだが、それら以上に価値の高い物品がなさそうだし、繰り上げで暫定品々だ。
「もう片方は……っと」
首を振って反対側の道も確認する。しかし、こちらでも同じような塵芥しか視界に入らない。
「……曲がってすぐの所にはなさそうですね」
ならば、次は彼女が通ったと言っていた東西に延びる道で探そう。今あの人が西側を見ているから、私は東側から潰していくのが良い。
東側の端まで歩き、そこから屈んでゆっくりと足を動かした。なんだか子供向けのローラーコースターから見た景色に似ている……そこまでワクワクはしないが。
「むむむ……紙くず、埃、ガム……」
やはりと言うべきか。どれだけ丹念に調査しても、視界に入るのは小さな埃やゴミばかりだ。これはかなり厳しい戦いになるかもしれない──そう思いながら東側の捜査を終える直前、曲がり角付近であるものが目に入った。
それは、とても小さな鉄球だった。
私は指で挟んで顔の近くに持ってくる。かなり近づけないと表面が観察できない程の大きさなのだ……目算で大体3ミリだろうか。完全な球体という訳ではなく、一箇所突起が付いている。
「……もしかして!」
瞬間、私の頭の中に雷が落ちたかのような信号が駆け巡り、1つの推測を導き出した。
「もしそうなら……この辺りに……」
私は立ち上がり、曲がり角の壁を確認する。そこには面白いくらいに予想通りの結果が残されていた。南東側の角、腰の高さくらいに付いていた擦痕だ。
「やっぱり!」
「……どうかしましたか?」
私の一際明るい声に、西側をしゃがんで見ていた彼女が反応する。私を見上げている彼女の目は、良い知らせを待ち詫びてきらきらと輝いているようにも見えた。
「貴方……ええっと、お名前を伺ってもいいですか?」
「……佐藤リツです」
「リツさん。もしや、貴方のキーホルダーは──ボールチェーンで取り付けられていたのではないですか?」
その一言を聞いたリツさんの瞳孔が一層開く。
「どうして、それを……」
「ふっふっふ、この私にかかれば実に簡単なことですよ!」
私は腕を組み、得意げに鼻を鳴らした。
「リツさんがキーホルダーを落とした経緯はこうです。まず、いつも通りこの路地裏を通る。次に、曲がり角でボールチェーンと壁が擦れ──千切れたチェーンと一緒に、キーホルダーが落ちる」
「言い切るなんて……すごい自信ですね」
「当然です!だって、その証拠があるんですから!」
私は言いながら、2つの証拠を提示する。
「1つ目は、この直径3ミリ程度のボール。ボールチェーン以外でこれが使用される所は見たことがありませんし──何より、このボールには突起が付いています。ここ、他のボールと繋がっていた部分でしょう?」
「……確かに」
「2つ目は、ここにある擦痕です。腰の高さくらいに付いているので、肩掛けカバンにキーホルダーを付けていればちょうどぶつかる位置になるはずです!……少し試してみましょうか」
リツさんがその言葉に応えるように立ち上がり、カバンを傷の付いた角に近づけた。
「どうですか?その位置にキーホルダーを付けていましたか?」
彼女は壁とカバンを何度も交互に見て、それからショルダーベルトをギュッと握る。表情に出さずともその心の内は理解できた。
「すごい……ピッタリです」
「それは良かった!……と、言えれば良かったんですがね」
この短時間で言うと大きな進歩ではあるが、そうなると新たな疑問が生まれる。
私は顎に手を当て、再び地面を観察した。
「キーホルダーはこの辺りで見つかっていません。つまり、この推理が根本から間違っているか──」
「……キーホルダーが、どこかに移動した」
「そうですね。結局、振り出しとあまり変わらないことになります。移動した原因が解明できなければ……在り処が分からない訳ですから」
先程付近を観察した際には、ボール以外に特にめぼしいものは見つかっていなかった。埃と、抜け毛と、紙くずと、ガムだ。路地裏においては非常にありふれているし、そのどれもがキーホルダーを持って行くなんてありえない。
「でも、こんなにピッタリな証拠があるなら、ここで落ちたのは間違いないはず……リツさん、交番などには訪れましたか?」
「い、一応行っています。なので、誰かが届けたって可能性はないんじゃないかなーと……」
そうなると一般人が拾った可能性は一気に薄くなる。不良に関しても、この辺りをパトロールしていた眷属が今日を含めた2日間いなかったと報告しているから──
「……誰も拾っていない。キーホルダーだけが忽然と消えた?いや、そんなことがありえるのでしょうか……」
頭の中を幾つもの思考がぐるぐると回る。その全てがどこかで越えられない壁にぶつかり、無惨にも散っていく。私は彼女を、佐藤リツさんを助けられないのだろうか。
それは嫌だ。私は彼女に笑顔になってほしい。私がそうしたいのだ。だから、どうにかして筋が通る推理を思いつかないと──
「……ん!ウェザーマンさん!!」
「ぅえ!?ウェ、ウェザーマン……私ですね!どうかしましたか……?」
私が考え事をしている内に、いつの間にかリツさんが眼前に顔を近づけていた。その瞳は暗く、しかし奥底に眠った光がちらついているように見える。
「あの、さっきから頭を使ってばかりですし……少し休憩しませんか?」
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通りからこちらに向かって歩いて来るリツさんが見え、私は笑顔で手を振った。彼女もそれに気付いてか、優しく微笑みを返す。
「1人で買いに行かせちゃってすみません……!」
「いえ……何か理由があるのなら、全然構わないですよ」
彼女は私の怪しさ満点な要望に対し、特に深く聞くこともなく対応してくれた。律儀にウェザーマンさんと読んでくれることと言い、きっとかなり真面目な心根の子なんだろう。
リツさんがガサゴソとビニール袋を漁る姿を眺めていると、やがて彼女は1つの箱を取り出した。
「あの、板チョコです、どうぞ。糖分が大事って聞きますから」
「わぁ、ありがとうございます!」
私は名刺を見せるように両手で恭しく差し出されたそれを受け取り、箱を開けて銀紙を破った。露わになった黒みがかった濃い茶色のチョコが、私の顔をきらりと反射する。
「美味しそう……いただきます!!」
私は両掌底を合わせてから、寸分違わず一直線に切られたチョコの端に齧り付いた。パキッと音を立ててそれを割り、口の中でどこかに刺さらないよう慎重に咀嚼する。
ゆっくりと噛む度、ミルクの濃厚な甘味が滲み出した。それは神経を中を走り、萎んでいた私の脳をたちまち元の瑞々しさを戻していく。しかし同時に、暴力的なまでに強いあまり津波のような奔流と化したそれに、意識の主導権を飲み込まれるような心地がした。
このまま溺れるのではないか。そう思った直後、待ってましたと言わんばかりに程よい苦味と酸味が訪れる。それらは大いに乱れていた口内をあっという間にまとめ上げて、1つの作品を完成させた。
「ん〜、美味しぃ!甘いけど後味すっきりで、どんどん食べたくなります!」
「良かったです!……あと、これもどうぞ」
そう言いながらリツさんがビニール袋を差し出す。それを貰って中を確認すると、ポテトチップスが1袋入れられていた。
「捜索を手伝って頂いたお礼です」
「まだ見つけられていないのに……本当にありがとうございます!」
私は謝辞を述べながら、そろそろ眷属が生まれるだろうと思って食べかけのチョコをビニール袋にしまいながら彼女に背を向ける。それから数秒も経たない内、予想通りそれらがポトポトと落ちて袋に入った。もう慣れたものだ。
「ところで……探しているキーホルダーは、どうして大切なんですか?」
世間話を振るような極めて凡な口調で切り出す。言いながらリツさんに視線を戻すと、彼女は「ああ」と小さく呟いた。
「そういえば、その話はしてませんでしたね。仲の良かった友達から貰ったんです」
「良かったって、高校が離れ離れになっちゃったとかですか?」
「いえ」
彼女はさっぱりと私の推理を否定した。そこにはこれまでの遠慮がちな態度が微塵も感じられず、まるで氷の迷宮のようだった。
「私の友達は──サチカちゃんは、半年前に行方不明になったんです」
話そうと動かした口が開いたまま固まる。いつもうるさいと言われるくらい喋り倒しているのに、今この瞬間に返す言葉が思い浮かばなかった。
「私の唯一の友達でした。私にはサチカちゃんしかいないんだって、私はサチカちゃんだけいればいいんだって思ってました」
ぽつりぽつりと、リツさんが言葉を紡ぐ。
「キーホルダーは一緒に買ったんです。それぞれがイメージするデザインのやつにしよって言われて、私は月を選びました。サチカちゃんには『ウチはどっちかって言うと太陽じゃね?』なんて笑われましたけど……」
彼女の顔はどこか安堵感に包まれていた。ちょうど、思い出話をするような。彼女にとって、サチカさんの話はもはや過去の事なのだろう。誰を待つこともなく、風みたいに過ぎ去った事実なのだ。
「だから、あのキーホルダーはサチカちゃんなんです。サチカちゃんが行方不明になって、クラスの皆が私に優しく接してくれて、今まで以上に心の距離を遠くして……1人の私を1人にしない、ずっと一緒にいてくれるサチカちゃんなんです」
「……すみません、余計な事を聞いてしまって」
「大丈夫ですよ。むしろ……私、ウェザーマンさんにお礼が言いたいんです。何度言っても言い足りないくらい」
リツさんが私に近づき、私の左手を両手で包む。
「久しぶりでした。こんなに親身で優しくて、それなのに親切にしなきゃなんて考えずに自然と明るくしてくれる人。まるで──サチカちゃんみたい」
私の息で彼女の髪が揺れる程近いのに、彼女が俯いているから顔を見られない。でも、それでも、彼女の目を見られなくとも、その心は震える手から痛いくらいに伝わった。
「私、真っ直ぐな貴方に救われちゃいました!」
そう言って上げられたリツさんの顔は、世界の誰より強く輝いていた。そして、なんだか腑に落ちた。
「……リツさんも太陽なんですね」
「そんな、私には勿体ないですよ!」
彼女は宝石のような涙を溢れさせながら、にへらと笑った。私も思わず頬を緩ませてしまう。
「……ともあれ」
リツさんはそう言いながら目元をごしごしと袖で拭き、再び私に顔を向けた。
「ウェザーマンさん、キーホルダー探しを再開しませんか?そろそろ日も落ちて来ちゃいますし」
「そうですね。再開はしますが……」
私は路地裏の中央に目を向け、歯切れの悪い返事を漏らす。
「推理通りに行くと、キーホルダーを取った人は誰もいないんです。目撃情報がありませんから」
「でも、ここでキーホルダーを落としたのは間違いなさそうですよね。証拠がありますし」
「そうなんですが……うーん……」
正直、私はもはや唸るくらいしかすることがなくなっていた。本当に謎なのだ。ここに落ちた証拠があるのに誰も取っていないなんて、そんなことがありえるのか?
「どこかに目新しい手がかりがあればいいのですが……」
そう呟きながら、私は捜索を再開したリツさんを眺めた。出会った時よりも明らかに活発になっている彼女が、なんだかすごく微笑ましい。
「……リツさんの髪、サラサラでしたね……」
至近距離で彼女の頭を見た記憶がフラッシュバックする。1人の女性として、はっきり言ってかなり羨ましい。
「私もあんな風に──」
願望を口に出したその瞬間、再び私の頭の中を雷のような信号が駆け巡った。全てのピースがカチリとはまり、1つの絵画になっていく。
「──まさか、まさかまさかまさか!!」
私はすぐにリツさんに背を向け、そばに隠れていた眷属に指令を発した。
「お願いします、近辺の██████を探して下さい!」
『サー!』
聞き届けるや否や、眷属は超スピードで周囲を移動し始めた。一時はどうなることかと思ったが、これで解決できそうだ。
リツさんと██████に向かったのは、それから1分程経過した後だった。
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「本当にこっちにあるんですか?こっちの道は通っていないはずですが……」
リツさんが歩く私の背中に疑問を投げかける。しかし、決して足は止めない。
「はい!ここにあるはず──いや、ここにある以外に考えられません!!」
「そんなに自信があるなんて、一体どこに……」
彼女の思索が終わる前に、私達はそこに辿り着いた。そう、キーホルダーがあるはずの場所──
「このダンボールの下──野良猫の寝床です!!」
私はそう言い切り、地面に置かれたダンボール箱を持ち上げた。
「どうですか?キーホルダー、ありますか?」
「……すごい、すごいすごい!!あります!!!これ、私が探してたキーホルダーです!!!」
リツさんが興奮気味にそれを手に取り、私に向かってずいと突き出す。これにてお手伝い完了だ。
「よかったです!華麗に解決できましたね!」
「どうして分かったんですか!?」
彼女はぐいぐいと私に迫った。勢いが強すぎて後ろに転びそうだ。
「ぐぐっ……それは、抜け毛です!」
「抜け毛!?」
「南北に通った道だけに、人の髪の毛っぽくない抜け毛が……落ちてたんですよ!」
「すごいです!!すごいすごい!!」
「あの、転びます!!!」
「あっ、すみません……!」
間一髪という所で、リツさんが私から勢いよく距離を取る。私は慌てて両足で身体のバランスを整えた。
「はぁ……はぁ……これにて一件落着ですね」
「はい、本当にありがとうございました!」
彼女がペコリと頭を下げる。どこまでも誠実で、優しい人だ。
「今日のことは絶対に忘れません!私、ウェザーマンさんみたいな人になりますから!!」
「なりたいなら止めはしませんが……あんまり無理はしちゃダメですよ?」
「はい!」
彼女は元気よく返事をして、向日葵のような笑顔を見せた。
「また会いましょう、ウェザーマンさん!」
「はい、もちろんです!!」
私も全力の笑顔で返す。大きく腕を振りながら、私に背を向けて帰るリツさんを眺めていた。
「……ああ、良かっ──」
瞬間、路地の向こうに赤い何かが蠢くのを目にする。私の緩みきった顔は少しずつ口角が下がり、やがて重力に屈した。
「──え?」
「おいお前、見てたぞ。こいつのこと幸せにしてたな?良い笑顔で……美味そうだった!」
曲がり角から姿を現したのは、全身を触手に絡ませた化け物──グラニュートだった。
「俺らのために、どうもありがとうなァ?」
殆ど反射だった。私はパーカーのジッパーを開き、眷属をガヴにセットした。
《Choco!》
《Eat choco!Eat choco!Eat choco!》
レバーを回し、体表からチョコに似た液状エネルギーを放出する。
「──変身」
私はボタンを押し込み、放出したエネルギーを余さずガヴから取り込んだ。身体の構造が根本から組み替えられていると直感する程に激しい衝撃を受け止めて、そうして私は生まれ変わる。
《Chocodan!Pakipaki!》
「……ああ、なんだァ〜。お前もグラニュートだったのかよ!」
グラニュートが呑気に胸を撫で下ろす。私を一切警戒していないようだ。
「しっかしお前、すげェやり方をするもんだなァ!あんなに人間の心に入り込んで、直接幸せするなんて──うがッ!?」
直後、辺りに発砲音がこだまする。私は驚かない。当たり前だ。私が撃ったのだから。
「な……なんで攻撃すんだよ!?俺達仲間だろ!?」
視界の中心に彼を据える。拳銃を握る私の右手が震えていた。これは決して恐怖なんかじゃない。緊張でも、興奮でもない。
ただの凝固された怒りだ。
「人間は、貴方達に食われるために幸せになるんじゃない!!!」
力いっぱい引き金を引く。チョコの能力で生成した拳銃から凄まじい速度の弾丸が発射され、それらはあっという間にグラニュートの触手へと届いた。
「がぁッ!?こ……このォ!!」
彼も負けじと反撃しようと身をよじる。しかし、その意味は全くもって存在しなかった。覚悟をするには少々遅すぎたのだ。
「重っ……!?触手が動かせねェ!?」
既に彼の触手は馬鹿げた質量のチョコを浴びていた。それらは正しく活動出来る閾値を大幅に超え、もはや並の筋力ではびくともしない重りと化している。
「ふざけ──ぐふォ!!」
私は地を蹴り、グラニュートの胸部にキックを入れた。そのまま体勢が崩れた彼の腹に弾丸をぶち込む。
「ぐああああッ!!」
「どうしますか?」
「なッ、なんだよ!?どうするって──」
「二度と闇菓子に関わらないか……この場で私に倒されるか」
彼は今にも泣きそうな顔をしていた。突然のことに訳が分からず、頭がパンクしているのだろう。ただただ死の恐怖を味わわされ、それから逃げることしか考えられなくなっていてもおかしくないはずだ。しかし、それでも。
「闇菓子を、諦められる訳、ねェだろうが!!!」
もう救えないと直感する程に、全身を闇菓子に乗っ取られていた。
「──そうですか」
《Charge me!Charge me!Charge me!》
私はレバーを回し、ボタンを押し込んだ。
直後に高く垂直跳びをして身体を大きく捻ると、ポンチョからファウンテンのように大量のチョコが流れ出す。黒褐色の牢獄がグラニュートを包み込んでいき、やがてそれは大きな爆弾となった。
一握りの静心と共に、弾丸を撃ち込む。
《Chocodan Finish!》
「ギャァァアア──!!!」
辺り一帯に、グラニュートの悲鳴を掻き消すくらいの激しい轟音が伝わった。
『シアワセー!』
──────────────────────
ヒトプレスに巻き付いた赤い帯を切ると、私は素早くその場を離れた。私が視界に入ればきっと怖いだろうから。
「……私のせいだ」
醜い自虐だと分かっていても、口に出さずにはいられなかった。
「私が幸せにしたから……」
リツさんはキーホルダーをなくしただけだった。だから、それだけ眷属に探させてそれとなく付近に置けば良かったのだ。
私がリツさんに無闇に接触したのが間違いだった。だから彼女に友達を投影させて、余計に幸せにしてしまった。
『俺らのために、どうもありがとうなァ?』
「……ぐぅ……っ!!!」
胸が痛い。張り裂けそうなくらい痛い。でも、それは私のせいだ。私の責任だ。
「……自分の心に嘘を吐かないだけじゃ、ダメなんです。間違った選択をしたがるんですから」
私がしたいことは、ただの自己満足なのかもしれない。気付いていなかっただけで、人に迷惑ばかりかける行動なのかもしれない。
暗く暗く、更に闇が濃くなった路地裏で、私の頭の中を渦巻いていたのは1つの後悔だった。
甘かった。
私の思いやりは、どこまでも中途半端で見通しの甘いものだった。