宇沢レイサ×仮面ライダーガヴ概念   作:魚か?

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第6話『ビタースイーツクライシス』

 

    ◇

 初対面の私に目もくれず、白衣を纏った茶髪の彼女は情けない声と言葉を飛沫が如く周囲に撒き散らした。

 率直に言って、私にとっては困惑以外の何物でもない。

 

「ダメか……やっぱり、先に自己紹介をするべきだったな」

 

 明らかに的外れな反省。普通のレールで乗りこなすトロッコは持ち合わせていないようだ。ここまで来るとむしろ安心する。

 

「……あの」

 

 私は文句の1つでも言ってやろうと口を開き、がっくりと地面に手をついた彼女に近づいた。

 

「ぶつかったんですけど。アンタが仮面ライダーにベタベタ触ったせいで逃げられたし──」

 

「逃げられただって!?」

 

 しかし。いや、やはりと言うべきか。彼女は全く予想出来ないタイミングで動き出し──

 

「うがっ!?」

 

私の鼻先に砲弾レベルの頭突きをかました。

 

「あぁ、すまない!頭が……少し取り乱してしまったね」

 

「……いや……もう、いいですよ」

 

 口で呼吸のリズムを取りながら、必死に怒りを掻き消す。このタイプは怒っても響かないヤツだろうと直感したからだ。ならばキレるだけ損だ。

 当の彼女は、頭を少し払う仕草を見せたかと思えば、白衣の襟を正してこちらをじっと見る。

 

「僕は酸賀ケンゾウ。恐らくは君が追いかけている存在──グラニュートの研究家、とでも名乗ろうか」

 

「……グラニュート?」

 

「ああそっか。そこから説明しないと」

 

 すると酸賀は両手をパンと叩き、くるりと私に背を向けて歩き出した。白衣の裾が軽くはためき、靴音が乾いたリズムを刻む。

 

「え?どこに行くんですか?」

 

「僕の家だよ。そこで君に──名前は?」

 

「……杏山カズサ」

 

「そこでカズサ君に、グラニュートがなんなのか説明をする。付いてきて」

 

 その背中には迷いがなく、付いてくるのが当然だと信じ切っているかのようだった。彼女は振り返ることもなく、ただ真っ直ぐに前へ進む。

 私は少しの間ためらったが、胸の奥に燻る知りたいという欲求、そしてふわりと浮かんだ宇沢の顔に突き動かされ、未知の領域へと足を動かした。

 

 

 

──────────────────────

 

 

 冷たい床板の感触と部屋中から漂う薬品の匂い。机に散乱した書類、ノートパソコン、菓子パンの袋。酸賀は自分の家だと言っていたが、地下に位置することも相まって家というよりは倉庫に近い印象を抱いた。

 

「ごめんねー、散らかってて。そこに座ってくれるかな」

 

 酸賀が右手で壁際のソファを指差す。私は部屋中を見回しながら座り、酸賀の動きを目で追った。彼女は何かを探すような素振りを見せたが、何枚か紙を手に取った後に頭を掻いてこちらに近づく。

 

「コーヒー切らしちゃってた」

 

「全然いいですよ。それより──」

 

「グラニュートの話ね。そうだなぁ、カズサ君はどこまで知ってる?」

 

 問いに対し、私は顎に手を当てて記憶をまさぐるように考え込んだ。断片的な単語、その後に映像が脳裏を掠めていくが、そのどれもが明確な像を形成することはない。

 

「行方不明事件に深く関わっている……くらい」

 

「まぁそうだよね。そもそも、彼らは話そうとしないから」

 

「以前にも接触したことがあるんですか?」

 

「もちろん!……それなりに、ね」

 

 酸賀が笑みを浮かべる。それは穏やかな軽薄さを纏いながらも、冗談などとは言わせない確かな緊張感を漂わせていた。

 

「グラニュートにはいくつか特徴が存在するんだ。まず、彼らは僕達とは違った身体構造を持っている」

 

 彼女が眼前のテーブルに1枚の写真を滑らせる。そこには、SNSでピントのぼけた画像に写っていた──自分と全く違った姿をした生物がいた。

 人型のシルエットをしてはいるが、その腹部には異様な口が裂けるように存在し、牙のような突起が不規則に並んでいる。皮膚の色も人間のものではなく、鉛を思わせる鈍い灰色。血管が表面に浮かび上がった姿は、生よりもむしろ死の印象を強く残した。

 

「……これが、グラニュート」

 

 きっと彼らは似ているだけなのだろう。人間と同じ分類に入れるものではないと思った。たまたま人型に進化した異世界の生物、と言った方が適切なはずだ。

 

「ま、いつもは人間の姿に擬態してるんだけど」

 

 酸賀はそう言いながら人差し指で写真を軽く叩き、じわりと口角を上げた。

 

「この『もう一つの口』。どうやらここが肝要みたいでね、改造することによって複数の機能を得ているようだ」

 

「複数の機能、というのは?」

 

「1つはさっきも言ったけど擬態。鍵のようなものを使ってオンオフを切り替えている可能性が高いよ」

 

 説明に合わせ、酸賀が何かを腹部で着脱する動きをする。

恐らく彼女が実際に観察したオンオフを切り替える動作だ。

 

「それで人間社会に紛れ込んでるんですね」

 

「そういうこと。擬態し、溶け込み、周囲の警戒をなくし──そして彼らはもう1つの機能を使用する」

 

 今度は新聞を手渡される。ざらりとした紙の感触を感じながら大きく踊る見出しを確認すると、そこには黒々とした『音もなくこつ然と消える』という文字が並んでいた。

 

「拘束と言えばいいのかな。彼らは自身の舌を伸ばして人間に絡ませ、ビニール紐のように切って捕まえるんだ」

 

「……舌を切って」

 

「そう。しかも、捕らえられた人間はサイズが大幅に小さくなるんだ……不思議だよねぇ」

 

 彼女は「少し前まではこんな機能なかったし」と呟き、手元の紙束をいじり始める。

 擬態と拘束──どうやらグラニュートと呼ばれる存在は、それらの機能を使って人間を攫っているようだ。その光景を思い浮かべるだけで、腹の底にどうしようもなく怒りが溜まる。

 これだけ高性能であれば、確かに誰にもバレずに誘拐が可能だろう。周囲には因果なんてものはなく、いつの間にか消えたという事実だけが残るのだ。

 行方不明事件として。

 

「カズサ君はなんでグラニュートを追ってるの?」

 

「……友達が攫われたかもしれなくて。少しでも多く情報が欲しいんです」

 

 言葉が口をついて出た瞬間、自分でも驚く程に声が強く響き、室内の空気を震わせた気がした。

 しかし、酸賀は眉ひとつ動かさない。ただ手元の紙束に視線を落とし、指先でめくる仕草を淡々と続けている。

 

「だったら、もっと積極的にグラニュートと接触した方がいいかもね。僕は彼らの身体構造やらエネルギー効率やらを調べてるだけだから、そういう事情には明るくないし」

 

「何も知らないんですか?どうして人間を攫うのかも?」

 

 問いかけた瞬間、酸賀の手が止まった。指先に挟まれていた紙束が小さく揺れ、カサリ、と乾いた音を立てる。その響きが、やけに部屋の中で際立って大きく聞こえた。

 

「……酸賀さん?」

 

 彼女の目線は紙面に落ちたままだが、そこに文字を追う気配はなく、ただ視線だけが宙に固定されているように見える。無表情の奥に重い沈黙が滲んだ。

 

「ここ、トリニティ自治区を訪れるグラニュートはあくまで下っ端でね。彼らの背後には組織が、端的に言えばグラニュート界の会社が存在する。アルバイトと言えば分かりやすいかな」

 

 その声は落ち着いていたが、抑揚のない響きがひどく胸をざわめかせる。

 

「会社が行動を統制している以上、当然彼らには明確な目的がある。では、それは一体なんなのか──」

 

 そう言いながら、酸賀は机の上に置かれていたスマホを手に取り、無造作に画面をタップする。青白い光が部屋にぼんやりと広がる中、彼はそれをこちらに向けて差し出した。

 暗がりの中、蠢く影がひとつ。それが何なのか瞬時に判別出来なかったが、スマホのライトに照らされて少しずつ姿が浮き上がってくると、それがグラニュートの姿だと理解する。

 背を丸め、何かを抱え込むようにして座り込むその異形は、画面の向こうでひたすらに咀嚼を繰り返していた。粘性を帯びた不快な音がスマホのスピーカーを震わせ、まるで自分の耳元で噛み砕かれているかのように響く。耳の奥を爪でひっかかれるような感覚に、思わず眉をしかめた。

 

『……あぁ……美味い……最高だ……』

 

 グラニュートが吐き出す声は恍惚とした響きを帯び、陶酔に濡れていた。そのギラついた熱がかつての私に似ているから、血と煙の匂いに呑まれていたあの声色に似ているから、余計に背筋を冷たいものが這い上がっていく。

 

『もっと……もっと、闇菓子を……!』

 

 叫びと共に、グラニュートは何かを──恐らくはその闇菓子とやらを、抱きしめるように強く締め付けた。飢餓と歓喜が混じり合ったその行為は、もはや獣そのものだった。

 

「彼らの目的は菓子の製造だ。人間を原料とした、中毒性のある菓子のね」

 

 

 

──────────────────────

 

 

 グラニュートの姿、大きな口の役割、誘拐の目的。

 信じたくないのに、嫌でも辻褄が合っていく。

 宇沢は毎日バカの一つ覚えみたいにパトロールをしていたのだから、その中で人の姿に擬態したグラニュートと遭遇していても何らおかしくないのだ。そのまま不覚を取って舌で拘束され、彼らの縄張りへと連れて行かれ、そこで宇沢は。

 ……信じられない。いや、信じたくない。

 あの宇沢なんだ。どれだけ私にボコボコにされても、諦めずに立ち向かってくる変なヤツなんだ。きっとグラニュートにだって、諦めずに全力で反抗しているに違いない。そうして持ち前の根性で生き残っているかもしれないじゃないか。

 私が信じなければ誰が信じるのか、という話だ。……そのはずだ。だから──

 

「カズサ」

 

 頭の中で酸賀の言葉をぐるぐると回していたその時、右隣に座っているヨシミに背中を叩かれる。

 

「な、何?」

 

「……聞いてた?話」

 

 嫌な訊き方をするものだ。自ら処刑台の上に立てと言うのか。まあ、考え事をしていたのは私だが。

 

「……ごめん」

 

 私が謝ると、ヨシミは溜息を吐いてテーブルの向こう側に座った2人に顔を向けた。

 

「ねぇ、コイツもう帰した方がいいんじゃない?明らかに元気ないじゃん」

 

 彼女がそう口にする。しかし、2人はすぐには答えなかった。アイリは眉尻をほんの少し下げ、何とも言えない顔をしてヨシミを見るのみだ。

 

「ヨシミ」

 

 その沈黙を破ったのは、横でジュースに挿されたストローをくわえていたナツだった。

 

「私達は今、何を食べに来ていると思う?」

 

「はぁ?スイーツ以外にないでしょ。アイリがチョコミント専門店に行きたいって言ったから来てるんだし」

 

 ヨシミは肩をすくめ、いかにも当然だと言わんばかりに答える。その反応に、ナツは緩く「にひ」と笑った。

 

「甘いね、ヨシミ。成分無調整牛乳くらい甘い」

 

 冗談を言っているようには見えない、しかし相手をからかうような声音。ナツは右手の人差し指をメトロノームのように振ると、それから机の上のマカロンに伸ばす。

 淡いミントグリーンの生地は一目で清涼感を思わせる色合いをしていた。その中心に挟んだ濃いカカオブラウンのチョコレートクリームが鮮やかな緑を際立たせている。

 

「これはスイーツであってスイーツではない。甘味──つまりは口直しだよ」

 

「口直し?」

 

 ナツはその言葉に返事ひとつせず、細い指先でマカロンをつまみ、そのまま私の口元へずいと差し出した。

 

「はい。食べて」

 

 小さいはずのマカロンがやけに大きく見える。私はためらいを覚える間もなく、言われた通りに口を開いて受け取った。

 最初に歯に触れたのは、薄い殻のように繊細なミントグリーンの生地だった。軽やかに砕ける音と共に淡い甘さが舌の上に広がる。柔らかな清涼感は、夜が明けたばかりの青い朝の空気に似た形を持ちながら胸の奥まで吹き通っていた。

 直後、内側のチョコレートクリームが滲み出す。濃密なカカオの苦みと甘みが淡い緑を一気に引き締め、世界を二層に塗り分けた。相反するものが同じ口の中で出会い、混ざり、そして調和していく。

 噛み締めるたび、その甘みはただの甘みではなくなっていった。鼻奥、喉奥、胸の奥に至るまで、それら全てを綺麗に洗い流してくれるような、そんな味。

 

「……すごい」

 

 思わず声がこぼれた。味の感想ではなく、その体験そのものに対する驚きだった。

 

「美味しいよ、これ。美味しい」

 

「ほんと?」

 

 正面のアイリがはにかむ。その笑顔はまるで自分が褒められたかのように嬉しそうで、小動物の観察めいた感情を想起させた。

 

「嬉しそうなのはいいんだけどさ……1から説明してくれない?」

 

 今度はヨシミが言葉を投げる。その声音には軽さがあったが、決して無関心ではない。

 アイリははっとしたように目を瞬かせ、小さく「ごめんね?」と口にした。それから姿勢を正して一拍置き、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「最近、カズサちゃんが頑張ってるでしょ?仮面ライダーを目撃した人に取材したりとかで。先週からは特に部室にいる時間が少なくなってるし……根を詰めすぎてないかなって、ちゃんと休めてるのかなって心配だったから」

 

 アイリの口から語られたのは私への心配だった。その真っ直ぐな想いに触れた瞬間、思わず瞳が大きく開く。完全に不意を突かれた。

 知らなかったのだ、そんな風に気に掛けられていたことなどは。毎日一緒にいるはずのに、私はその気遣いすら見過ごしていたのだ。

 それこそが疲労の何よりの証拠なのだと、私は理解した。

 

「知らない場所に飛び込むことって、すっごくエネルギーが要ることだから。こうやってカズサちゃんに休んでもらって、息を整えてほしかったの」

 

「その点で、チョコミントはリフレッシュにぴったりなスイーツという訳だよ」

 

 ナツがさらりと結論を下す。確かに彼女の言うように、あれほどぼんやりしていた頭の中が、今は澄みきったように軽いと感じていた──それはチョコミントだけの力ではないだろうが。

 

「……私のこと、そんなに考えてくれてたんだ」

 

 思わず漏らした言葉に、アイリは大きく頷いた。

 

「うん!私だけじゃなくて、ナツちゃんもヨシミちゃんも」

 

 見ればナツは当然と言わんばかりに胸を張り、誇らしげな顔を浮かべている。一方ヨシミは気恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 

「あのね、カズサちゃん。こういう時はお菓子(スイーツ)なの」

 

 言いながら、アイリはそっと私の手を握る。

 

「カズサちゃんがどれだけ苦しい思いをしているのか、その全てを分かってあげることは出来ないけど。でも、どんな時でも幸せを分かち合うことは出来るんだよ。だって──私達は放課後スイーツ部なんだから」

 

 スイーツと普通。私がかつて夢見たそれが再び眼前で輝いたような、そんな気がした。

 

「……そうだね。私達は、放課後スイーツ部」

 

 それを復唱した頃には、私の頭はすっかり落ち着きを取り戻していた……と思う。少なくとも、皆の顔はより鮮明に認識出来た。

 

「ありがとう。なんか心が軽くなったかも」

 

「ほんと?良かった〜!」

 

「ま、いつまでもシナシナじゃ見てらんないしね」

 

「やはりスイーツ……スイーツは全てを解決する……」

 

 会話のキャッチボールなど微塵も考えていない一言コメントの応酬も、今は日常を感じて安心する。そうなると、今度は空腹を知覚し始めた。

 何かを頼もうと脇に追いやられたメニュー表に手を伸ばしたその時、私のスマホから着信音が鳴る。

 

「あっ、ごめん電話だ!ちょっと席外すね?」

 

 そう言って立ち上がり、ちらりと画面を確認した。そこには『酸賀ケンゾウ』の文字。そういえば帰る直前に連絡先を交換していた。わざわざ電話をかけるということは、何か進捗があったのだろう。

 

「誰から?」

 

 頬杖をついたヨシミに質問される。勘が鋭いんだか。

 

「……知り合い」

 

 これを皆が知ったら、きっと今以上に悲しむことになる。それどころか──優しい皆のことだ──自ら危険な場所に飛び込んでしまうだろう。皆は普通の高校生でいてほしいと思うのは、私の我儘だ。

 軽く駆け足で店の外へ出る。指先で画面を叩くと、耳に届いたのはあの軽薄とも取れる声だった。

 

「もしもし。聞こえてるかな」

 

「聞こえてますよ。どうかしましたか?」

 

「うん。どうかした、というより──どうにかした、だね」

 

 スピーカーの向こうで、金属同士が擦れ合うような硬質な音が混じる。

 

「昨日は話し忘れていたけど……通常、人間はグラニュートに対抗出来ない。拘束されるから、というのもあるが──何より厄介なのは彼らの身体能力だ」

 

「強い、ってことですか」

 

「そう。並の銃じゃ、並の格闘術じゃあ太刀打ち出来ない。出力が僕達と違うから」

 

 会話の間にノイズ混じりの銃声が割り込み、私の鼓膜を打った。酸賀は銃を構えているようだ。

 

「ついさっき、そのギャップを埋められるデバイスを形にした。まだ試作品ではあるけどね、一定の成果は得られるはずだよ」

 

「……それがあれば、グラニュートに対抗出来ると」

 

「多分ね。そしたら、カズサ君が探してる友達の情報を吐かせられるんじゃない?」

 

 それは願ってもない申し出だった。

 相手が自らの存在を秘匿したがる組織である以上、自分の足で情報を掴めるのならそれに越したことはない。取材で得られる情報にはどうしても限界がある。

 もし宇沢を取り戻して、あの日常が戻って来るなら。

 私はガラス越しに店内へと目をやり、アイリ達を──

 

「……カズサ君?どうかした?」

 

 胸を鋭く刺すような違和感。すぐにその正体を理解する。

 人影がない。

 つい先程まで甘い香りと笑い声に包まれた空間だったはずなのに、アイリ達も、他の客も、まるで最初から存在しなかったかのように、跡形もなく消えていた。

 

「……『音もなくこつ然と消える』」

 

 私は直感した。

 思わず入口の扉を押し開け、店内へと駆け込む。

 テーブルの間を、カウンターの裏を、奥の厨房を──人間が入れるはずもないような閉所まで、息せき切って探し回った。しかし、どこにもいない。

 

「……はぁっ……はぁっ」

 

 喉が焼けつくように乾き、呼吸が浅く乱れた。

 

「カズサ君?」

 

「……いないんです」

 

「何が?」

 

「さっきまでここにいた友達が……いや、それだけじゃない」

 

 視線を彷徨わせる。

 テーブルの上には飲みかけのグラスや、半分ほど食べられたケーキ皿が残されている。だが、それを口にしていたはずの人間の姿だけが。

 

「他の客も……店員も……皆、どこにもいなくて」

 

「カズサ君」

 

 スピーカーから一瞬の沈黙が落ちたあと、低く鋭い声が響く。

 

「ウチに来て。急いだ方が良い」

 

 

 

──────────────────────

 

 

 階段を駆け下りる。転がるような勢いで踏み外しそうになりながら、声を張り上げた。

 

「酸賀さんッ!!!」

 

 部屋の奥、薄暗いランプの光に照らされ、彼女は椅子に腰掛けていた。呼びかけに応じてゆるりと立ち上がり、右手に握っていた黒い器具を掲げる。

 

「カズサ君。キミが求めているものだよ」

 

 その形は銃に酷似していたが、銃とは明らかに異なる威圧感を放っていた。大きさは大体ティッシュの箱くらいだろうか。中心部がぽっかりと空洞になっており、不気味な構造をしている。

 

「……それがデバイスってやつですか?」

 

「そう。これの中心部分に──」

 

 言いながら酸賀は左手をテーブルに伸ばし、白い何かを拾い上げた。

 

「この生物をセットしてトリガーを引く。仮面ライダーが引き連れてる謎の生物だね」

 

「そんなのがいるんですね……知らなかった」

 

「ちっこいからね。見つけられないのも無理ないよ」

 

 彼女がそれを軽く放り投げる。私は反射的に両手で受け止めた。

 確かに動く様子は生物だが、しかし体温を感じない。経験したことのない不思議な感覚だ。

 

「……デバイスもください。さっさと行かないと」

 

 焦りが表出し、声が少し荒くなる。対して酸賀は片眉を上げ、からかうように口角を吊り上げた。

 

「まぁまぁ、ちょっと待ちなよ。そもそもどうすれば人間を取り返せるのかとか考えてるの?」

 

 返す言葉に詰まって沈黙する。その隙を逃さず、彼女はさらに告げた。

 

「それに……これを使うには準備が要るんだ。具体的には手術がね」

 

「手術?」

 

 私の疑念を見透かすように、酸賀は机の奥に視線を移す。それを追うと、そこには金属製の器具、白布をかけられた簡易の手術台が見えた。

 

「グラニュートは人間と出力が違うって話をしたでしょ?それにはグラニュート特有の体液が関係してるんだけど……それを分泌する器官を埋め込まなくちゃいけない」

 

「──は?」

 

「言ってしまえば改造手術って訳。ぶっつけ本番だけどさ、こればっかりは仕方がないよ……状況が状況だ。受けてくれるよね?」

 

 さらりと。あまりにもあっさりと、その異常な申し出は為された。正体不明の器官をリスク度外視で埋め込む願いなど、一体どこの誰が快諾するのか。

 しかし、しかしだ。私の願っていた『普通』は、半年前に既に瓦解してしまっていた。突然宇沢が奪われ、気持ちの整理も上手くつかないまま、それでもと踏ん張ってなんとか今日まで生きていたのに、さらに残されたアイリ達をも奪われようとしているのだ。

 ならば、そんなものはリスクではないのかもしれない。成功する保証のない手術なんて、皆を取り戻すための代償としては安い。

 

「カズサ君。キミはどうしたい?」

 

 拒絶の言葉が喉の奥で蠢く。しかし、決して表には出てこなかった。

 

「やります」

 

 もう、誰にも奪わせたくはなかった。

 

「うん、良い返事だ。じゃあこの台に寝っ転がって」

 

 酸賀の口元にゆるやかな笑みが刻まれる。その瞬間、手術台の白布が剥ぎ取られた。

 後戻りは出来ないが、初めからする気もない。

 私は台で仰向けになり、静かに目を閉じた。

 

 

 

──────────────────────

 

 

 鈍い痛みに耐えるために、片手で腹部を押さえる。呼吸のたびに熱く疼くその感覚を堪えながら、酸賀から受け取った位置情報と、自分の足でたどり着いた現在地を慎重に重ね合わせていった。

 やがて視界に現れたのは、人の気配を完全に失った小さなプレハブ小屋だった。外壁は長い年月を刻んだ赤茶の錆に覆われ、窓は無骨な板で打ち付けられている。

 

「……ここか」

 

 息を吐くと、言葉が夜の闇に溶けて消えた。

 もうすっかり日が暮れている。昼過ぎから手術を受けていたことを思えば当然だが、それでも刻一刻と砂時計の中で埋まっていくような感覚が私を絶え間なく急かしていた。

 

「ここにアイリ達がいる……はず」

 

 酸賀の予想が当たっていれば、だが。

 グラニュートの往来の痕跡からして、バイトが捕えた人間を社員へ引き渡すための保管所が存在するはずなのだと彼女は話していた。そこに行けば救出が間に合うかもしれないとも。とにかく、ここまで来た私はそのわずかな希望を信じる他ないのだ。

 私は再び足を動かし、歯を食いしばって激痛を抑えつけながら小屋の扉へと歩み寄る。今にも倒れそうな身体を引き摺り、やっとの思いでノブを握れる距離まで近づいた。あと少しで求めるものが手に入る──そう強く感じる。

 直後、ガタッと小屋の内部から物音が響いた。

 私は反射的に前方へ身を寄せ、小屋の側面に身を隠す。喉元までせり上がっていた息を押し殺し、影に紛れるようにして、じっと扉の先の気配をうかがった。

 腹の痛みが多少マシになってきた頃、錆びついた扉が軋む音と共にようやく姿を現す。容姿は一般的な社会人だ。スーツの襟を整え、辺りを確認するように首を振りながら外へ出てくる。

 彼は人の気配がないことを確かめると、ゆっくりとした動作でポケットから何かを取り出した。脳裏に昨日見せられた映像がよぎる。

 次の瞬間だった。

 やはりと言うべきか、彼の身体は禍々しい光を放って姿を変貌させた。

 

「ハァ……ハァ……ようやくありつける……」

 

 人外の姿へ成り果てた彼は、あの闇菓子とかいう食べ物を貪っている。つまり──またとないチャンスだ。

 私は銃を右手で構え、冷静に狙いを定める。脳天以外はありえない。

 トリガーを引く。存外軽かった。

 

「うがッ!?」

 

 グラニュートが間抜けな悲鳴を上げて地面に倒れる。私はそれを3発追撃し、ポケットから白い生物を取り出した。

 

「痛ェ、ハハハ!!誰だどこからだ!?」

 

 銃身を開き、それをセットする。

 

《 Choco 》

 

《 Set choco Set choco Set choco 》

 

「知ってもどうにもならないでしょ」

 

 私は顎で銃身を閉じ、背を預けた壁に向けた。

 

「──変身」

 

 トリガーを引き、銃から溢れ出たチョコのようなエネルギーを全身で取り込む。溶け合う熱に包まれた身体の上から生体装甲を纏い、そうして私は懐かしい私に生まれ変わった。

 

《 Chocodon Pakipaki 》

 

「お前か……ハハッ、俺を倒す気か?」

 

「どうだろうね。一応聞いとくけど……今日、チョコミント専門店を襲ったのはアンタだったりする?」

 

 私は歩を進める。グラニュートとの距離がじわりと詰まっていく度、鼻腔にカビのような匂いが漂った。無数の黄色いキノコを寄生させたその姿は、身体というより、繁茂する異形の菌類の塊のように思える。

 

「おぉよ、俺が襲った。だから何──」

 

 瞬間、私は地を蹴った。銃身が唸りを上げて空気を裂き、鈍い衝撃音とともにグラニュートの頭部を容赦なく打ち抜く。

 

「……ツイてないね、アンタ」

 

 巨体はよろめき、重力に引きずられるように後方へと崩れ落ちる。私はその背中を勢いよく蹴り飛ばした。呻き声を上げる間もなく、グラニュートの身体は逆方向へと弾き飛ばされ、プレハブ小屋の扉に激突する。木材が軋み、同時にその体表から黄色い粉が舞い散った。

 

「ハハッ……ハハハ!!強ェな、お前!!」

 

 狂気じみた笑い声を浴びながら、私は右手に銃を構えて引き金を二度絞る。弾丸はグラニュートを穿ち、巨体を仰け反らせたが、彼が苦悶の声を漏らすことはなかった。

 

「宇沢レイサって名前に聞き覚えは?」

 

「宇沢だって?ヘヘッ、ちょっと待ってな、今考えるからな……」

 

 私は銃口を動かさない。少しでも下手な答えを吐けば即座に撃ち抜くつもりでいるからだ。

 対してグラニュートは顎に手を添え、戦闘中とは思えない程の緩慢さで思案する。

 

「えーっとなァ。宇沢宇沢……」

 

 いつ情報が得られるのかも、そもそも情報が存在するのかも分からない状態で舐めた態度を取られ、私の胸の奥では焦りと苛立ちがぐつぐつと煮え始めていた。

 

「ねえ、もっと早く考え──」

 

 私が急かしたその刹那、彼は軽やかに指を鳴らす。

 

「──なんてな、ホラ!!」

 

 瞬間、視界が真っ白に塗りつぶされ、次いで濁流のような衝撃波が全身を襲った。肺の中の空気が一気に押し出され、耳鳴りが世界を支配する。熱と衝撃が入り混じり、皮膚を灼き、内臓を鷲掴みにされる感覚が押し寄せた。

 それら全てを受けた後に、ようやく周囲が爆発したのだと理解する。先程の長考する仕草は罠だったのだとも。

 

「ハハハハッ!!!モロに食らいやがった!!」

 

 全身がミキサーによって掻き回されたようだった。手術痕を抱えた身には十分すぎる程に凶悪であり、私は衝撃に耐えきれず片膝を折る。左の掌を地面に突き、かろうじて上体を支えた。

 

「あー、全く面白れェ!俺ってば最高に幸せだなァ」

 

「……アンタの胞子に引火させたって訳か」

 

「その通り!!殴ってバラ撒いてくれたから助かったぜ?アハハハハッ!!!」

 

 グラニュートは高笑いを轟かせながら立ち上がり、私めがけて容赦なく蹴りを叩き込む。衝撃に弾かれ、私は背中から地面へと倒れ込んだ。

 

「ホラ、ホラ!!もっと俺を幸せにしろ、よッ!!」

 

 彼の踵が幾度となく私の腹を踏みつける。臓腑を抉る痛みが波のように押し寄せてきた。

 

「う……ぐ、ああッ……!!」

 

 痛い。苦しい。柄にもなく泣き叫んでしまいそうだ。今にも逃げ出したいと全身が脳に訴えるが、しかし逃げ場はどこにもない。感覚は麻痺するどころか研ぎ澄まされる一方で、着実に私の理性を削り取ろうとしていた。

 私はここで負けるのだろうか。

 全てを奪われて、それで終わりなのだろうか。

 

「……嫌だ」

 

「あ?」

 

 打ち負かされて、他人の言いなりになって、見たくもない未来を選ばされて。私がそんな末路を辿りでもしたら、あいつらはきっと怒るはずだ。キャスパリーグが何をしてるんだとか、鼻につく言動をするはずだ。それに──

 

「ムカつくんだよ。『これ』しか取り柄がないのに押されてるとか……!!」

 

 普通な皆に追い付きたくて、必死で追いかけている私。いつもあいつらの普通に追い付けない私。それでもそんな私を受け入れてくれた皆がいる。だから力になりたい。皆が受け入れてくれたこの力で、皆を守りたい。

 力は誇示するためのものじゃない。

 力は、大切な何かを守るためにこそあるのだ。

 

「超えてやる……昔の私とは違うんだって、証明してやるッ!!!」

 

 振り下ろされたグラニュートの片足を、私は両腕でがっちりと抱え込む。全身の力を振り絞り、喉の奥から絞り出すように叫びながらその巨躯を左に振り回した。

 

「なッ、強──」

 

 空気が唸りを上げ、筋肉が悲鳴を上げる。だが構わない。腕が裂けても、骨が砕けても、この一撃だけは止めたくない。

 次の瞬間、轟音が地面を揺るがした。グラニュートの身体が、私の振り抜いた勢いのままに大地へ叩きつけられたのだ。周囲に砂塵と衝撃波が奔る。

 私は荒い呼吸を繰り返しながら立ち上がり、手放していた銃を再度握って銃身を開いた。

 

「……アンタの胞子、確かに引火したら強いよ。でも、それは相手の近くに沢山撒けているって前提がある」

 

 銃身を閉じ、トリガーを引く。

 

「全部アンタの近くにあれば──それは、何の意味もないただの粉」

 

《 Chocodon 》

 

 銃が大きく唸ったかと思えば、銃口から放たれた溶けたチョコレートが奔流となり、瞬く間にグラニュートの全身を包み込んだ。濃厚な香りと共に、粘りつく甘い液体がグラニュートの動きを奪う。

 

「なんだこれ、ハハハ!!チョコまみれじゃねーか!!」

 

 彼はチョコの重量によって殆ど動けない状態となったが、まるで水遊びにでも興じるかのように、愉快そうに身体を揺さぶっていた。状況が理解出来ていないのか……理解出来ているからこそ笑っているのか。

 

「これでもう胞子は撒けない。さっきみたいな一発逆転は不可能だよ」

 

 私は事実上の勝利宣言をする。しかし、

 

「ハハッ、そうみたいだな!!」

 

 その瞬間に返ってきたのは恐怖でも反抗でもなく、只々楽しげな声だった。彼は笑っている。絶望を楽しむかのように。イカれている、としか言いようがない。

 私は銃をわずかに持ち上げ、彼の額に突きつけた。

 

「これからアンタに質問をする。答えなきゃ、もっとキツい目に遭うかもね」

 

 銃口の先にいる怪物は、こちらの言葉を待ち構えていたかのように、わずかに口角を吊り上げる。

 

「言わなきゃ殺してくれるのか?」

 

「言えばもう少しマシには……は?」

 

 一瞬、思考が追い付かなかった。何を言われたのか、頭の中で数回反芻してようやく意味を掴む。

 

「アンタ、何言って──」

 

「なぁ、殺してくれんのか?オイ」

 

 吐き捨てるような声音。聞いたことがない。そこには茶化す気配も飾りもなかった。

 本気だ。

 

「……なんでいきなり、そんなことを言う訳?」

 

 問い返すと、彼は堪えきれない激情を爆発させるように吠えた。

 

「分かんねぇのか!?今が最高に幸せだからに決まってんだろ!!!」

 

 怒っているようにも聞こえたし、泣いているようにも聞こえた。いずれにしても、その声はねじれ、掠れ、私の胸を乱雑に抉る。

 

「闇菓子以外に幸せになれるモンはもうねェ!!金もッ、妻もッ、子供もッ──全部、全部差し出したからなァ!!」

 

 彼は喉を振り絞り、魂を削るように言葉を紡いだ。

 

「抗えねェんだよ……何があろうとな、変わりたいって思おうがな、結局闇菓子を忘れられなくて全部捨てンだよ」

 

 顔を歪ませ、血走った目で空を仰ぎ、狂ったように笑う。

 

「ハハハッ!!!俺ァどうしようもねェくらい幸せだ!!!だから殺してくれよ、今、ここでさァ!!!」

 

 その笑い声は、哀願の裏返しにしか聞こえなかった。

 

「……意味が分からない」

 

 私はかろうじて声を発する。

 混乱、同情、嫌悪、怒り。様々な感情が胸をかき乱し、吐き出された言葉はただの無力な呻きに近かった。

 

「グラニュートにも家族がいるの?どこに住んでたの?なんで製造する側のアンタ達が闇菓子を食べてるの?」

 

 理解出来ない問いをひたすらに浴びせかける。

 すると、彼は獣のように嗤いながら吐き捨てた。

 

「言えばマシになるんだろ?」

 

 私の手の中で銃が重くなる。引き金の冷たさが、決意を試すかのように指先を刺した。

 

「……殺してあげるよ」

 

 銃口をわずかに押しつけ、言葉を区切り、確かに伝える。

 

「答えてくれたら、殺してあげる」

 

 

 

──────────────────────

 

 

 外壁こそ風雨に晒され、今にも崩れ落ちそうな有様ではあったが、ひとたび足を踏み入れれば、そこには意外にも整えられた静謐な空間が広がっていた。中心には、簡素な机とスーツケースがひっそりと並んでいる。

 

「この中に……あるってことだよね」

 

 胸の奥を締め付ける不安を押し殺しながら、私はよろめく足取りで机へ近づき、錠前を外した。鈍い音を立てて開いた蓋の中に収められていたのは、3体の小さなアクリルスタンド──つまり、ヒトプレスだった。

 その3人ともが微笑をたたえ、まるで幸福の一瞬を切り取られたかのように、穏やかにこちらを見つめている。

 

「……良かった」

 

 私は胸を撫で下ろした。なんとか間に合ったという確信が心の底から湧き上がる。

 彼女らをスーツケースから取り出すと、机の上に慎重に並べて銃口を添えた。乾いた銃声が小屋に反響し、アクリルの輪郭が眩い光に包まれる。

 

「……え、あれ?」

 

 最初に口を開いたのはアイリだった。戸惑いながら周囲をきょろきょろと見回している。

 

「ここは……私達、さっきまでお店に──」

 

「きゃあああああ!!!」

 

 次に声……というか、甲高い悲鳴を上げたのはヨシミだ。

 

「誰よ、アンタ!?私達をこんなよく分からない所に連れてきて!!」

 

 彼女は叫びながら2人の腕を乱暴に掴み、必死に私から遠ざけようとする。その眼差しには不信と底知れぬ怯えが宿っていた。

 

「え、えーっと……」

 

 返すべき言葉が見つからず、思わず口ごもる。そういえばまるで考えていなかった。今の私は杏山カズサではないのだ。素顔を仮面の下に隠したこの姿を見れば、誘拐犯と解釈するのは当然のことだった。

 どうにかしてこの疑念を払わなければならない。私が怪しまれないような、それでいて杏山カズサだとバレないような良い手段は──これしかない、のかもしれない。

 

「……私は、仮面ライダーヴァレンって言うの」

 

 即興の名乗りにしては、悪くない名前だと思った。昔を思い出すようで非常にむず痒いが。

 

「なるほど。良い名前だね」

 

 ナツが低く、噛みしめるように答える。いつもは鼻につく彼女だが、こういう場ではその安定感がありがたい。

 

「実は、皆がスイーツを食べている時に攫われていて……それを取り返したんだ」

 

 明らかに不十分な言葉が宙に漂う。私なら絶対に疑いを深めるだろう。正直な所、終わった──と思ったのだが。

 

「そう……なんですね」

 

 私を待っていたのはたった1つの相槌、それに続く長い沈黙だった。反論はなく、3人は押し黙って私を見ている。なんとか混乱は抑えられたのだろうか。とにかく、これはチャンスだ。

 

「怖い思いをさせてごめん。もう大丈夫だから」

 

 私は努めて耳障りの良い言葉を吐き出し、それ以上視線を交えずに足早に扉へと向かう。冷えたドアノブに手を掛けて回したその時、

 

「あ、あの!!」

 

 背後から大きな声が飛んだ。私は反射的に振り返る。

 胸の奥にひやりとした緊張が走った。何を言われるのか、問い詰められるのか、責めを受けるのか……刹那の間に数多の予感がよぎる。

 

「な、何か……?」

 

 まさか正体がバレた?何によってか……声か、歩き方か?

いずれにしても、わざわざ呼び止めてまで告げることなんてロクなことじゃあ──

 

「ありがとうございました!」

 

「……え」

 

「その、お返し出来るものはないんですけど、本当に助かったので」

 

 それは、澄み切った感謝の言葉だった。アイリは深く頭を下げ、それから瞳を真っ直ぐこちらに向けている。

 

「わ、私も……助かったわ」

 

「うむ、礼を言うよ」

 

 ヨシミは気恥ずかしそうに、ナツは変わらぬ調子で一言を添えた。

 

「……こちらこそ」

 

 小さく応じ、私は扉を押し開ける。夜気がひやりと流れ込み、背後の空気と自分の体温を切り離していく。

 

「それじゃ。もう会わないといいね」

 

 この姿では、という意味だが。きっと明日になれば、3人にヴァレンの話をひたすら垂れ流されるのだろう。そう考えるとなんだか可笑しくて、明日を楽しみに思った。

 扉を閉じ、物陰へと歩み去る。

 

「……はぁ」

 

 変身を解除した瞬間、張り詰めていたものが一気にほどけて深い溜息が溢れた。私を囲む状況が静かになると、アイツの言葉を嫌でも思い出す。

 あのグラニュートは、初めはバイトをするつもりではなかったと言っていた。家庭を持って、仕事も順調で、穏やかな幸福を享受していたと。

 

「闇菓子さえなければ、か」

 

 彼はある日──きっかけはもう思い出せないらしいが──闇菓子を食べてしまって、その刺激的な幸福から逃げられなくなったのだそうだ。それ程までに虜になるという味は想像し難いが……だからこそ、笑うしかなかったのだろう。

 

『変わりたいって思おうがな、結局闇菓子を忘れられなくて全部捨てンだよ』

 

 あの掠れた声が脳裏にこびりつく。

 私はもう成長したし、過去の自分もそこそこ受け入れた。引っかかる部分なんてどこにも存在しないはず……はずなのだが。

 どうしても、あのグラニュートから何かを感じずにはいられなかった。同族意識というやつなのか。同じ穴のムジナ、とでも言おうか。普通じゃない自分を変えたいと願っていた姿に私を重ねていた。

 もし、アレが私だったら──

 

「……ストマック社には、親玉が5人いるって話だよね」

 

 そいつらがアイリ達の普通の日常を奪い、グラニュートの尊厳を踏みにじり、宇沢を奪った。得た情報を組み合わせるとできる推論はこれだ。ならば、これから取る行動は次のようになる。

 ストマック社と戦う。宇沢の情報を集めて、アイリ達を守る。

 

「これから、忙しくなりそうだなぁ」

 

 私は再び疼きはじめた腹を押さえ、その鈍い痛みに顔を歪めながら、どうやって誤魔化すかを考えて憂鬱になった。

 

 

 

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