◇
階段を降りると、記憶していたそれよりも数倍ひどい薬品臭が鼻を襲った。私は思わず顔をしかめ、臭気を手で払いながら歩を進める。
初対面から大した日は経っていない。グラニュートとの初戦を乗り越えてからしばらく安静にしていただけだし、尚更短く感じるものだ。私の人生はたった数日ですっかり変わってしまったのだと実感した。
「こんにちは」
部屋の奥の、パソコンのモニターに齧り付いた彼女に声を掛ける。彼女が座っている椅子は入口に向かって配置されていて、ちょうど客人を出迎えるような形を取っているのだが、肝心の彼女からはそのような意思が微塵も感じられなかった。しかし挨拶を聞くことで私の存在に気づいたようで、こちらをちらと見てから瞳孔を大きく開く。
「お! 久しぶりじゃないかカズサ君。体調は大丈夫?」
「……まあ、そこそこです」
私の適当な返事に対し、酸賀は少し過剰と思える程の笑みをたたえた。
「上手くいったみたいで良かったよ〜。グラニュートと良い勝負……どころか、結構押してたしね」
「見てたんですか?」
「もちろん。ちょうど撮影した映像を見ていた所」
彼女が軽く手招きをする。私は後ろに回り、彼女の頭越しにモニターを見つめた。
暗がり、プレハブ小屋、組み合う二人。そこに映っているのは間違いなくあの時の光景だ。画角から察するに、小屋を出て少し先の物陰で撮影していたのだろう。
「どう? 結構上手く撮れてるでしょ」
「……よくビビらずに近づけますね」
「まあね。僕が以前からしたかった実験だし、その結果ならこの目で見なきゃ」
悲願。酸賀の口振りはまさにそれだった。これのためなら人生を投げうっても良いと──彼女が直接言った訳では無いが、そんな覚悟が言葉の端々から滲んでいる。彼女をそうさせるのは一体何なのだろうか、とふと思った。
「で、何しに来たの?」
「あの白い生き物、一匹しか貰わなかったじゃないですか。だからもっと欲しくて」
「あー、そういうこと」
酸賀は机の下へと両腕を伸ばし、そこに置かれていた瓶を取る。内側には白い生き物が二匹収められていた。
「はい。どうぞ」
「もっとないんですか?」
「今あるのはこれだけ。もっと欲しいなら本人から貰ってくれない?」
「……いけるもんですかね」
「いけるでしょ、同業者とか言っておけば。仮面ライダーが行きそうな場所を探すんだよ。ほら、カズサ君はスマホっ子でしょ?それで調べな」
半ば投げやりなアドバイスと共に瓶を受け取る。とはいえ、ここにないなら手に入れる方法は本当にそれくらいしかないのだが。
それにしても……スマホっ子という物言いがやけに耳に残る。もしかすると、酸賀は私が思っているよりも年を食っているのかもしれない。
「なんか失礼なこと考えてなかった?」
「……別に」
「言っとくけど、僕十七だからね」
「え、は? 冗談ですよね?」
「ホントだよ!!」
次の瞬間、酸賀が見たことのない剣幕で立ち上がった。椅子がガタンを軋む音を立てる。
「ピチピチだし、うら若き乙女だし!! 老け顔だとは思うけどさあ、にしたってヒドいとは思わないのかい!?」
「いや……すみません?」
「これから敬語禁止! 僕がもっと年増に見えちゃうよ!」
「ご、ごめん……」
私は有無を言わせぬ言説の嵐に面食らい、却って冷静になった頭で口先だけの謝罪をした。そこまで年上扱いされるのが嫌なのか。むしろ、その血気盛んさには若さを感じられると言えるが。
酸賀はビシッと突き出した人差し指を満足げに引くと、再び椅子に腰を落として足を組んだ。
「分かればよろしい。さ、調べて調べて」
不思議なものだ。勝手に声を荒げられて気を立てない私ではなかったはずが、今や怒りすら感じなくなっている。これが良い傾向なのかと問われれば微妙な笑みを浮かべるほかないが、それが出来るだけマシとも言えるだろう。
私はスマホからSNSを開き、早速グラニュートの臭いがする話題を探し始めた。やり方はよく知っている。今までと同じことをするだけだ。
「酸賀さんは──」
「酸賀」
「……酸賀は探さないの?」
「今はこの映像の分析が先だね」
こいつにはこいつなりの論理があるのだろうが、少なくとも私から見える態度は最悪だ。心の中で考えうる限りの悪態をつきながらスワイプしていると、画像の付いたある投稿が目に留まる。
それはどこかの石造の建物を写していて、扉の前に置かれた看板には『過去展/ワイルドハント芸術学園』と書かれていた。
『ここに行った友達と連絡が取れなくなった』
投稿された時刻は十二時間前、昨日の午後九時だ。まだ大規模な拡散は行われておらず、『過去展』で検索してもこの投稿より拡散されたものは見当たらない。
「……これは、あるかも」
行方不明者が増加していることに合わせたデマの可能性もあるが、このアカウントは数ヶ月前の平凡な投稿から間が空いている状態だ。投稿者がこのタイミングでウケを狙うことは考えづらい。
「見つかった?」
「展覧会で行方不明者が出たって」
「へー、展覧会ねぇ。いかにもだ」
私は片手に抱えた瓶からパーカーのポケットへと白い生物を移し、上り階段に身体を向けた。
「じゃ、調べてくるから。アンタも補充分探しといて」
「りょーかい──ああそうだ、カズサ君」
呼び止められ、軽く首を回す。酸賀は相変わらずモニターに注視していた。
「これからよろしく。良い成果を期待してるよ」
「……はいはい」
──────────────────────
『過去展』の会場は、当初想像していたよりもずっと近い場所にあった。建物の雰囲気からトリニティ自治区であることは分かっていたが、まさか総合学園から歩いて十分程の区画とは。ここでグラニュートが人間を攫っているのなら、そいつは中々度胸のある奴だなと思う。
外装は周囲に溶け込んでいて、当然ではあるのだが、期間限定で会場を借りているのだと一目で分かるものだった。
「入口……ここでいいんだよね?」
私にはこういった芸術に触れた経験がほとんどない。世間一般の感覚をどれに適用すればいいのか知っている訳もなく、明らかに正面玄関なのに情けない確認の言葉を吐いていた。しかし、いつまでも足踏みしている場合ではない。私はさっさと調査を終えるため、覚悟を決めて建物の中へと足を踏み入れる。
玄関をくぐり抜けた先の館内は、見たところ所謂雑居ビルそのもので、入ってすぐに奥へと伸びる廊下、その奥にトイレやエレベーターが視認出来た。廊下の中間辺りの左手に部屋があり、そこが会場のようだ。すぐそばの壁にポスターが貼ってある。
「何か手がかりが見つかればいいんだけど」
私は注意深く首を回しながら会場へと近づいていく。電力を節約するためなのか天井の明かりは点いておらず、会場から漏れた光が廊下の闇をいっそう濃くした。舞台裏とでも言いたげな様相だ。カツカツと私の足音だけが鳴り響き、余計に静けさを感じる。
ただの客であれば、この静寂をこれから始まるお楽しみの起爆剤として上手く調理出来たのだろうが……私は違う。私は誘拐の噂を確かめるためにここに来ているのだから、そのような楽観視は難しい。
何事もなく進み、私の身体が部屋から漏れ出た光を全身に受け止めた瞬間、ふわりと肩が下がるのを感じた。
そこは本棚を模した壁紙に囲まれた部屋だった。木造に見えるそれは、見せかけにも関わらず随分と温かみがあり、先程までの張り詰めた緊張感を和らげてくれる。四方をぐるりと見回せば、トリニティの年表やらティーパーティーの創立秘話やら、規模の小さいものから大きいものまであらゆる出来事がびっしりと壁に記されていて、展覧会というよりは歴史館にずっと似ていた。
「……なんか、思ってたのと違うな」
作品っぽい作品はないし、同じ作品を長時間見つめているよく分からない客もいない。いや、客に関しては偏見が過ぎるとは思うが、しかしそもそも客が全く見当たらないという事実はがっかりしてもいいのではないだろうか。この展覧会がシンプルに面白くないということなのか。実際、私は年表という二文字を見ただけでもう満腹になっている。
「まぁとにかく、怪しい所を探さないと」
壁、床、天井。この部屋に客がいないのをいいことに、隅々まで舐め回すように観察していく。しかし、人気のなさそうな展示会とはいえ、スタッフとすら出会わないのは流石に心配になるものだ。全員既に攫われているなんて事態じゃなければいいが。
「……換気口くらいか。しっかし、よくこんなに調べるなぁ」
「ですよね! すごいですよね!」
「うん。文章でかさ増しもしてないし──って、え?」
調子よくおだてられ、私は満足そうに腕を組み深く頷いてから数秒遅れて声の主へと振り返く。
私の背後を取っていた彼女は全く覚えのない容姿をしていた。黒髪を後ろで括っていて、背が私より少し低いくらい。緑のブレザーを羽織っているからワイルドハント生だろうか。
「これだけたくさんの情報を根気強く集めて、分かりやすく並べて! 情報社会から芸術の世界へと続く玄関のような素晴らしい作品ですよ!」
「……えっと、どなたですか?」
「ああっ、失敬!」
彼女は両腕で大げさなポーズを取ると、それから片手を口の前に持っていき「コホン」とわざとらしく言った。
「私の名前は立彫タマキ! ワイルドハント生兼このイベントの関係者です! ドドン!」
「ドドン?」
「効果音です! それで、貴方のお名前は?」
「……杏山カズサ、です」
「ふむふむ、杏山杏山──品のあるお名前ですねぇ」
タマキは相槌を打ちながら、ポケットから紙のメモ帳とシャーペンを取り出す。
「漢字はどう書くのですか? 都の京と山だったり?」
「杏と山です」
「おお、予想外の侘び寂び!」
何か──恐らく私の名前──を、独特な言い回しをしながらスラスラと書いていった。
「すみませんねぇ、これは私の癖でして」
「……それはいいんですけど、どうして私に話しかけたんですか?」
「あ〜、それの説明が欲しいと!」
書き終えた彼女は、今度はポケットから一枚のチラシを取り出す。幾重かに折られたそれを広げ、私の眼前にずいと近づけた。
「ここに記載があるように『過去展』が始まったのは5日前です。だというのに、カズサさん、今までに何人が会場を訪れたと思います?」
「……六十人とか」
「八人です」
「えっ」
「八人です。いや、誰かが来てくれるだけで有り難いですけどね? にしたって少なすぎですよぉ!」
タマキは凄まじい速度で静と動を使い分け、あっという間に地面に倒れ込む。他者のペースをいとも簡単に崩す迫真の動きは、実は俳優だと言われても納得するレベルに達していた。私は只者ではない雰囲気をひしひしと感じながら、しかし同時に彼女の芸術愛が眼前に迫る心地がした。
「そこで私は思ったんです。訪れた方を大切にしようと……せめて、訪れた方には芸術で幸福になってもらおうと……」
「……なるほど」
実に分かりやすい理由だ。あまり良いことではないが、そこまで客がいないのなら、今までスタッフを目にしなかったことも納得できる。単純にコストをかけることが割に合わないのだ。
「じゃあ、解説をしてくれるみたいな?」
「その通りです!」
タマキはテキパキと立ち上がり、眼鏡を直す動作をした。実際には眼鏡をかけていないのだが。
「この部屋の展示はもう十分にご覧になりましたか?」
「そうですね。そろそろ次に行こうかと」
「ガッテン承知! では、次の部屋に行きましょ〜!」
そう言うと今度はポケットから赤い旗を取り出し、ひらひらと振りながら先導していく。
忙しい人だな。無理せずこのノリを続けられるのは大した才能だ。ついて行けば確実に捜査の時間が延びるだろう。もっとも、これを断れば駄々をこねられて更に長引くとしか思えないが。
関係者だけが知っている情報を手に入れられるはず、と頭の中で祈りながら、私は彼女の背中を追って歩き出した。
「ポケットの中どうなってるんですか?」
「どう、ですか?普通に物が詰め込んであるだけですよ!」
「……普通なら旗は入ってないと思うんですが」
「まあワイルドハントの普通ですからねぇ」
「なるほど。確かに」
適当な会話をしながら私達は次の部屋に入る。入ってすぐに見回せば、これまでとは比べ物にならない程の『らしさ』が感じられた。四方の壁全てが白一色で構成されており、どうやらここが突き当たりのようだ。規則正しく並んだ石柱の上にガラスに包まれた展示品が置かれている。発する音が全て吸い込まれそうな、開放的な閉塞感を抱えた特異な空間に思わず息が漏れた。
「おや、さっそく好感触?」
「こういう場所自体が初めてなので。なんかすごいなと」
「いいですねぇ〜、良いセンスです!」
タマキは上機嫌な声を上げながら、とある展示物の前で止まる。そこに置かれているのは一羽の折り鶴だ。
「カズサさん、これを見てどう思いますか?」
「え? どうって……うーん。折り目が綺麗、とか」
「ほうほう! それで?」
「赤いですね」
「確かに! 色は大事ですからねぇ」
「あとは……そうですね。千羽鶴とか思い出しますね」
「おおっ、すごい! やっぱり良いセンスをお持ちで!」
タマキは跳ね上がって両手を叩いた。
「……えっと、なんで聞かれたんですか?」
「それはですねぇ、芸術の楽しみ方の一つだからです!」
「楽しみ方?」
「作品を見て、どんな特徴があるのか、どうしてそんな特徴があるのか、そこから見えてくる作者の想いは何か……みたいなものを考えるってことです。例えば──」
言葉の合間にポケットからあのメモ帳を取り出す。パラパラとめくり、あるページで動きを止めた。
「折り目が綺麗というのは、この鶴を折った方が穏やかな状態だったと考えられますし……赤色の折り紙が選ばれているのも、健康といった願いを込めるためという可能性があります」
「なるほど。なんか探偵みたいですね」
「……探偵?」
「手がかりから推理してる感じが似てるじゃないですか」
「ああ、はいはい! 確かにそんな感じかも!」
彼女は「たんてい」と何度も口をパクパクさせる。変な癖があるのは流石ワイルドハント生とでも言おうか。
「これは答え合わせとかあるんですか?」
「あ〜、そうですねぇ。擬似的には可能です! こちらをご覧ください! バーン!」
大げさな効果音と共に、展示品が置かれた石柱に両手が向けられた。そこには黒色の板が取り付けられており、白い文字が記されている。
「作品名でそれっぽいことが出来ますよ! 今回の場合は──」
「……『一羽鶴』ですね」
「この表現は千羽鶴を想起しますし、当たりですね!」
タマキが両腕で大きな丸を作った。
私は思わず軽く笑う。この人は本当に芸術が好きなのだ。
「結構面白いですね、この見方」
「本当ですか!? 芸術で人を幸せに出来てますか!?」
「ああ、まあ……はい」
「そうですか! へへ……へへへ」
彼女もまた緩く笑む。どこか力の抜けた表情を初めて見たせいか、胸の奥がふっと揺れた。ギャップが人を狂わせる理由が少しだけ分かった気がする。
「私からの解説はこれくらいですかねぇ。後はご自由に回ってみてください!」
一息つくように会話が途切れ、タマキは「ささささ〜」と呟きながら私の元を離れた。周囲へ目を巡らせてみるが、白一色のこの空間で目に入る刺激と言えば展示された卒業証書や絵画くらいのもので、どこかに隠し扉や通路がある様子もない。
私は初めの部屋へと振り返る。視界の中心にあるのは天井の換気口──消去法的に、現時点で最も怪しい所だ。
「上の階に会社とか入ってます?」
「いえ、入ってないです! 最近入居者が出て行くばかりらしくてですねぇ、それで会場代が安かったんですよ!」
「なるほど」
タマキの言う通りに上の階が空いているなら、そこがグラニュートの住処になった可能性があるだろう。ちょうど屋根裏部屋に忍び込む空き巣犯のように。
「すみません。あの、トイレに行ってもいいですか?」
「もちろんです! どうぞごゆっくり!」
会場を出るため、適当なことを言って彼女に背を向けた。「化け物を探したいので上の階に行きますね」なんて堂々と言える訳が無い。今私がしている捜査は何の根拠も裏付けもない、誰から見ても純然たる奇行なのだから。
相変わらず薄暗い廊下は、光の灯った会場から見ているからか、初めに見た時ほど重苦しさを感じさせなかった。私は再びそこに踏み入り──
「ぐッ!?──が、は?」
晴天の霹靂。
前触れなく上体に何かが絡みつき、足が宙に揺られた。内側の空気が乱暴に掻き乱されたせいで思わず咳き込む。
何が起きた?
私はなぜ浮いている? 私を縛るのは何だ? なぜ縛る?
「……攻撃」
なら、私を攻撃するのは──
「あれぇ、おかしいですねぇ。どうしてプレスされないのでしょうか? せっかく幸せにしたのに」
同じだ、同じ声がする。その声色のまま、意味だけが致命的に歪んでいた。
「アン……タ……!!」
なんとか首を回し、タマキを──タマキだった何かを視認する。彼女はゆったりと口角を持ち上げ、見たことのない笑顔で笑った。
「グラニュートだったのか!!!」
──────────────────────
「ああやって騙して、人間を狩ってたって訳?」
「騙したなんて人聞きの悪い。展示品の説明も、芸術の楽しみ方も、全部ホントのことですよ! なにしろ──」
彼女はブレザーのポケットに手を突っ込むと、ヒトプレスを一枚、取り出して掲げた。
「──タマキちゃんに聞きましたから! 殺されるくらいならって丁寧に教えてくれましたし、制服もくれましたし。優しい子ですよねぇ」
「……サイテーだね、アンタ」
「そんなことより! カズサさん、どうして貴方が私達の名前を知っているのですか?」
「答えると思う?」
直後、巻き付いた舌をきつく絞め上げられ、骨がすり潰されるような鈍痛が身体中を巡った。ダサい叫び声を出すまいと必死に歯を食いしばるが、あまりの圧迫感に、喉から血を噴き出すのも時間の問題だと悟る。
「どうしてか、を聞いているんです。答えるかは聞いていませんよ?」
「うるさい、なぁッ!!」
私は舌に顔を近づけ、出せる全力を以てそれに噛み付いた。
「うわぁっ、痛っ!?」
すると舌が反射的に引っ込められ、私の身体は支えを失ったまま地面に打ち付けられる。息吐く暇もなく立ち上がり、よろよろと廊下に出て壁にもたれかかった。悪運だな、などと考えながら、私はパーカーの内側から銃──ヴァレンバスターを抜く。
「……はぁー、はぁーっ」
呼吸が荒い。時間が経てば治るケガとはいえ、骨を一気にイカれると流石にキツイものだ。しかし、今は泣き言を言っている場合ではない。
ポケットをまさぐり、割れた瓶の中から白い生き物を取り出した。それを無理やり銃身にセットし──
「あぁそうだ、思い出しました!」
瞬間、実に端的な衝撃音が私の頬を掠めた。コンクリートを貫くような、重いながらも鋭い音が。
「貴方、グラニュートハンターですね!? お話だけは聞いています!」
嫌な予感はよく当たると言うが、それには明確な原因があるのだと、そう理解した。理解し、戦慄したのだ。
白い生き物は既に死んでいた。腹部を小魚が貫通しているなどという、馬鹿げた光景のみを残して。
「小さな生き物を使って戦うんですよねぇ。仲間じゃないですか!」
一匹はアイツに殺された。残すはもう一匹のみだ。このままここで変身しようとしても、同じ失敗をするだけだとしか考えられない。
「場所を変えないと……!」
今は真昼だ。外に出れば、確実に私達の存在が明るみになる。そうなればアイリ達の安全は保証されない。
なら、エレベーターに乗るしかない。
私は覚悟を決め、玄関に背を向けて地を蹴った。
「おやおや、どこに行くんですかぁ?」
背後から彼女の声が飛び、私は走りながら振り返る。彼女はいつの間にかその姿を変えて、大きな魚を模した怪物となっていた。
「私からは逃げられないのに!」
直後、グラニュートの両手からマシンガンのように小魚が乱射される。それは高速であり高密度でもあり、ビームのような弾道を描いていた。だが──
「弾避けなんか、死ぬほどやってるから」
中学時代、寝ても覚めてもスケバンだった私にとっては赤子の手をひねるようなものだ。弾の軌道を読み、相手の思考を読み、いとも容易く全弾避けていく。
やがてエレベーターに辿り着いてボタンを押し、同時に曲がり角にヴァレンバスターを向ける。そして、
「むむむ、こしゃくな──うわぁ!?」
グラニュートが身体を見せた瞬間に引き金を引いた。
「射線管理くらいはした方がいいんじゃない?」
わずかな隙も見逃さない。よろめいたグラニュートにすかさず近づき、銃身で殴り抜く。
「ごッ!?」
妙な声を上げた彼女を蹴り飛ばし、ちょうど扉が開いたエレベーターに滑り込んだ。パネルに表示されたのはニ階、三階、四階の三つ。
「最上階……かな」
私は四階を選択した。エレベーターはゴウンと揺れ、順調に上昇し始める。少し余裕が出来ただろうと、溜息を吐いてから白い生き物を銃にセットした。
《 Choco 》
《 Set choco Set choco Set choco 》
「変身」
銃身を閉じ、床に撃ち込む。溶け合うエネルギーに包まれた身体の上から生体装甲を纏い、そうして私は懐かしい私に生まれ変わった。
《 Chocodon Pakipaki 》
「……よし、これでなんとか出来るはず」
変身を終えたとほぼ同時に、エレベーターが四階に着く。その扉が開かれ──
「……は」
待ち受けていたのは、まさに魚群と形容すべき凄まじい小魚の塊だった。
「サプラ〜イズ!」
一階にいたはずの彼女が、どうしてエレベーターよりも速く四階に辿り着いているのか──そんな疑問に解を得る間もなく、間の抜けた掛け声を合図にして、その暴力がこちらに飛んでくる。
「マジ、か……!?」
狭い空間、それを覆う程の弾、こちらの手札。全てが私に遅すぎる危険信号を飛ばしていた。
どうすれば? この窮地を? 床に穴でも──
「──ぐッ」
全身が焼けるように痺れ、皮膚の下へ針を刺されたような痛みが走った。だが、悲鳴を上げる暇すらない。衝撃が背骨をしならせ、次の瞬間、景色が反転する。
身体が縦に回転しているのだと気づいた頃には、さっきまで床だった場所が遠ざかり、私は雑居ビルの外で落下していた。
「……あ、ああ」
もはや受け身を取る力すら残されていない。命の危機に対して何も出来ない。どうしようもない。
ここで死ぬのか、とふと思った。
ここで死ぬのなら、私は何のためにこんな戦いをしているのだろうか。満足とはならずとも、アイリ達と身の丈に合った幸せを享受した方が良かったのだろうか。
「……違うな」
それは本当のことで、実は正しいことなのかもしれない。でも、それは私の本音じゃない。私はただ、誰もとりこぼしたくなかっただけなのだ。どうせなら、もう死ぬなら、ここで終わるなら、最後に一目でも見たいから。
「宇沢」
その名を呼ぶ。呼んだら、ふわりと軽くなった気がした。眼前に迫った地面が遠のいて、今度は空の方へと。
「……あれ?」
そこで気づく。何かがおかしい。私は地面に衝突するはずだったのに、ぐんぐんと高度を上げていて──
「大丈夫ですか!?」
私に呼び掛ける声。更に意識が鮮明になり、バギーに乗っていることを理解した。それを運転している、声の主に顔を向ける。私は彼か彼女か分からない顔を見て、不思議と安心感を覚えた。
「……貴方は」
謎多き人物であり、私が今探している人。
「仮面、ライダー」
「はい! 貴方を助けに来ました!」