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黒いドレスに身を包んだ彼女はどこからか銀色の杖を取り出し、それを伸ばすと──紫に煌めく大鎌を作り出した。
「精々楽しませなさい?」
飾り気のない純粋な闘争心。暴力が皮を被っただけの神経信号の集積体。その一言は、私の背筋を冷やすには余りに十分すぎる出来だった。
たった一度でも、あの鎌を、死神の三日月を喰らえば。
「被弾は許されない……か」
そうなれば、距離を取るのは自明の理。私は地を蹴り、後方へ下がりながらヴァレンバスターのトリガーを引いた。
一発、二発、三発。
軽快な発砲音は即座に金属が擦れる音によって掻き消された。つまり、全て大鎌で弾かれた。まあ当然だ。あれだけ威嚇されたのだから、それくらい簡単にいなしてくれないと拍子抜けになる。また射撃が豆鉄砲扱いなのは少し悲しいが。
「これでお手上げとか言うつもりじゃないでしょうね?」
「……まさか」
「そうよね。もっと必死になって貰わないと、ねッ!!!」
瞬間、彼女が踏み込んだ地面は、その衝撃に耐え切れず悲鳴を上げながら小さなクレーターを作った。
「やばっ──!?」
強風が吹き荒れ、私の肌をスーツ越しにビリビリと震わせる。私に向かってロケットが如く飛び出した彼女は、体制を低くしながら大鎌を横に振った。
死ぬ。
脳が判断を下すよりも早く、全身が本能でそう感じた。これが防衛反応というものなのか、今までにない程にその刹那は引き伸ばされ、あんなに速かったドレスの女がスローで見える。ゾーンに入ったと話すアスリートがよく表現するような、正にそんな刹那だった。
しかし、視覚が敏感になっても敏捷性は上がらない。屈んで避けるだとか、跳んで避けるだとか、そんなのは遅すぎてもう間に合わない。私が身体を必死に捻った所で、完全に避けるのは不可能だ。なら、この一瞬で死なないレベルまで威力を下げられないだろうか?
『柔らかいということはダイヤモンドよりも壊れない、ですからっ!!』
ガヴ先輩が使っていた防御方法。私が使うとどんな性質になるのか、そもそも私が使えるのか。未だ不明な点は山積みだが、これしかない。
私は眼前に迫った大鎌の柄へ銃口を向け、精一杯のイメージをした。マシュマロが『フワ』なら、チョコは『パキ』で、もちろん色は茶色で、フォルムは角ばっていて──自分自身ですら信じられない程の速度でそれを思い描くと、強くヴァレンバスターを握りしめる。
「──放てッ!!!」
その瞬間、銃口から顔を出した茶色の弾は目にも留まらぬ速度で膨らみ、大きな『パキ』という浮遊した文字を形作った。それは横に薙いだ大鎌の柄に真っ向からぶつかって簡単に砕けたが、その代わりに勢いを少しだけ殺し──
「ぐッ、ごほっ……!!」
直撃に対し、なんとか意識を保つことが出来た。と言っても、私にとっては死ぬ攻撃が瀕死の攻撃になっただけであり、立って踏ん張ることすらままならないのだが。スーツも連戦によって遂に限界を迎えたようで、弱々しい光を放って跡形もなく消滅する。
「もう終わりなの? 思ってたよりずっとつまらないのね。弱すぎて殺す気にもならないわ」
「……おや……だま、か……アンタが」
彼女の声は先程までとは打って変わって非常に平坦なものとなっていた。私があまりにも弱いから興醒め、といった調子だ。化け物じみた戦闘力を持った実力主義者。これ程厄介な奴はどこを探しても中々いないだろう。
「宇沢を……どこにやった……!」
せめて一発殴ってやろうと食ってかかるが、しかし溜まりに溜まった疲労がそうはさせない。立ち上がれない。
「宇沢? 知らないわよそんなヤツ。死んだんじゃない?」
対して、彼女は私の質問など気にも留めず、踵を返して私に余裕たっぷりの背中を見せた。そして、ヒールの音をコツコツと路地に響かせながらどこかへと去っていく。
「……はぁ、はぁ、待て……」
「一応ランゴ兄さんには報告しておこうかしら」
私の声は聞こえているはずなのに、もはや相手にすらされていない。力が足りない。全然だ。バイトなんかに苦戦している暇などないのだ。今の私はすぐそばに立つ壁の、その常識外れの高さに振り回されている雑魚でしかない。
私はその姿を眺めて肩を上下させながら、乾いて掠れた喉を震わせることしか出来なかった。
「……くそっ」
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「おー、おかえり。どうよ? 調査の進捗は」
今日の分の研究が終わったのだろう、酸賀は今朝この部屋を訪れた時の応対とは違い、ゆったりと立ち上がってコーヒーを淹れ始めた。
「仮面ライダーとは出会えた?」
「バッチリ。これからも眷属貸してくれるってさ」
「一日でそこまで行ったの!? 凄いね〜、カズサ君」
私はよろよろとした足取りでなんとかソファに倒れ込む。別に心配されることを期待していた訳ではないが、私の身体で実験をしている酸賀が体調について驚く様子もないのは、なんだか少し引っかかった。
「じゃ、危なげなく協力関係継続ということで」
「……ねぇ」
「何? どうかした?」
酸賀が聞き返しつつ、私のそばにコーヒーの入ったマグカップを置く。
「ブラックね。カズサ君、背伸び好きでしょ」
「……そういう時期はもう終わったよ」
文句は言うが、タダで出されたものを突き返す理由はない。私は震える両手で慎重に持ち上げ、口元に運んだ。
「苦っ。まずいね、このコーヒー」
「えぇ? それは流石に失礼が過ぎると思わない?」
「出した物を必ず美味しく頂けってのも酷でしょ」
「酷とかじゃなくて。そういうやり取りでしょ? 中々尖ってるよねー、カズサ君」
酸賀は珍妙な言い回しを頻繁にするが、面白い──興味深い方の──時以外に口角が上がることは決してない。どこからどこまでが本心なのか分かりづらいタイプだ。こういうのを相手にしていると、こっちも探り探りになる。
「私が使ってる武器さぁ、もっと強く出来ないの?」
「今は難しいね。何しろ開発したばかりだから」
「それはそうだけど。急いでほしいっていうかさ」
「何、もしかしてバイトに負けた?」
「ウザっ。勝ったよ、バイトには」
「バイトには?」
酸賀は私の返答を聞くと、ほんの少しだけ瞳孔を開いた。
「他にもいたの?」
「……黒いドレス着た女。いきなり蹴飛ばされて、鎌で切りつけられて、弱いとか情けないとか無茶苦茶言われて。ホント最悪だったよ」
「……なるほどねー」
「アイツ、自分じゃ言ってなかったけど、ストマック社の上のヤツなんだと思う。なんでいたのかは分かんないけど」
「どうなんだろうね。とにかく、カズサ君の伸び代には期待できそうだ」
「は? なにそれ。皮肉じゃん」
「趣味悪いよ」と腐す私をよそに、酸賀はデスクから聴診器を拾い上げる。そんな適当な保存で大丈夫なのか。
「さ、そんなことより検診検診! これからカズサ君には僕の診察を受けてもらいます」
「診察? なんで?」
「今のキミは未知の状態だ。万全を期すために、研究の経過観察が必要って訳」
一切の遠慮なく服をめくられ、肌に直接聴診器を押し当てられる。この部屋に入った時点でその程度の覚悟はしているから別に構わないが、身体を上手く動かせない中で好き勝手されるのはなんだか無性にムカついた。
「心拍は特に異常なし。他には……うわっ、ケガが中々ひどいな。ちゃんと消毒しておこっか」
そう言うと、酸賀は聴診器を外し、立ち上がって私の身体から距離を取った。背を向けて部屋の隅の棚を漁り、消毒液のボトルやら包まれた器具やらを次々と取り出しては、手際よくトレーに並べていく。その動きには一切の逡巡がない。こういうことには慣れているのかもしれない。
「アンタがしなくてもいいよ。そこに置いといてくれたら、私一人で出来るから」
「そうなの? 強いね〜」
軽い調子で返しながら、酸賀はトレーを私の前のテーブルに置いた。金属が触れ合う、カチカチという乾いた音がやけに大きく響く。
私はソファの上で上体を起こし、それからゆっくりとパーカー、シャツを脱いだ。布が肌から離れるだけで、思った以上にひりつく。空気に晒された瞬間、傷口が自分の存在を主張するように疼き始めているのだ。
トレーに手を伸ばし、包みを一つずつ解いていく。ガーゼを取り、消毒液を含ませる。透明な液体が白い繊維に滲むのを確認してから、意を決して腕に当てた。
「……っ」
軽く触れただけなのに、鋭い痛みが一気に走る。思わず顔を顰め、歯を食いしばる。ガーゼを滑らせるたびに、焼けるような感覚がじわじわと広がっていった。
「ところで、今回のグラニュートはどんな能力だったの?」
「……自分で作った小魚を操作する能力。弾道を変えられる銃弾、みたいな感じだったよ」
「へ〜、そんなことが」
酸賀は感心しているのかしていないのか良く分からない、緊張感のない相槌を打つ。私はガーゼを取り替えながら、別の傷にも同じように消毒液を染み込ませた。反対の腕、胸、脇腹、足。触れるたびに痛みが滲み、眉間の皺が深くなっていく。
「丁寧に、私のことを騙してきてさ。性格悪いキモいヤツかと思えばマフィアみたいな交渉してくるし、終いにはやられる直前に『また会うのが楽しみ』とか言ってスピってた」
痛みを紛らわすように、つらつらと今日のハイライトを吐き捨てる。今にも叫び出したくて仕方がないが、コイツにその姿を見られるのは癇に障るから。
「それは中々なことだな〜。まあ、彼らは重度の闇菓子中毒者だからね。それくらいイカれてても何も不思議じゃない」
私は包帯を手に取り、消毒を済ませた箇所に次々と巻いていく。白の鎧と形容しても違和感がない程の被覆は、その強い締め付けによって私の痛覚を鈍らせ、確かな心の余裕を生んだ。
「当面は新しい力に慣れるフェーズだね。つまらない結果ばっかり出るだろうけど、今は我慢」
「……分かってる」
シャツとパーカーを着直し、上手く隠せているか確認してから勢いを付けて立ち上がる。スマホの電源を点けて時間を確認すると、思っていたよりも早い時刻が表示された。
午後四時。これからここを出れば、老婆のような歩みでも問題なく門限に間に合う。
「じゃあ私は帰るから。またね」
「またがあればね──ああそうだ、カズサ君」
「何? 今日二回目なんだけど、呼び止められるの」
「半端に張り切って死なないように。まだ君を失う訳にはいかないから、そこんとこ分かっててよ」
はいはい、と返しておけば済むだけの軽い忠告。しかし、どうにもその気が起きなくて、私は黙って背を向けた。
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ありえない。そんなはずがない。俺達が、この俺達が。
「シータ、ジープ。お前達には心底失望した。我が社の安寧を脅かす危険分子の報告を怠り、被害を偽り、大した見通しもない保身に走り……もはや弁解の余地はない」
言われる訳がない言葉だ、こんなものは。俺達は頑張っていた。仕事ばっかりの皆にずっと振り回されてきた俺達が、どうして酷い言われようなのか。
「俺達は出来損ないなんかじゃない!」
「そうよ! 今回の失敗だって赤ガヴのせいだし、チャンスがあれば私達は──」
「チャンスがあれば? 面白いことを言うな。自分でチャンスを掴むことすら出来ない者が言う言葉だ」
したり顔で決め台詞。現場の事情を知ろうともしないで好き勝手言いやがって。そもそも今の仕事は跡継ぎのくせに。生まれた時から俺達に目もくれずに仕事のことばかり。
「これからお前達には礼儀を叩き込む。富裕層に嫁ぐためだ。生まれたからには、少しはストマック社の利益になれ」
「はぁ!? それって──」
「私達のことを何だと思ってるの!?」
意味がわからない。それが実の家族に放つ言葉であっていいはずがない。おかしくて、間違っていて、誰もが踏みとどまらないといけないはずなのに。
「ねぇ、ランゴ兄さん! グロッタ姉さん! ニエルブ兄さん! こんなのおかしいよね!?」
「考え直してよ! 俺達がどれだけ頑張ってきたのか──」
「異論は、ないようだが?」
抗議の声は誰からも上がらなかった。
「では、ここから一歩も出ないように。もし出れば、お前達の居場所はどこにもないと思え」
きっぱりと言い切り、円卓から離れていく。
実感が追いつかない。これから俺達はどうなる? よく知らない誰かと無理やりくっつけられて、シータと離れ離れになるのか? 想像しただけで吐き気がする。
「大丈夫よ。クビになっても貴方達は家族なんだから」
うるさい。こうなったのはグロッタ姉さんが告げ口したからなのに、余計な口を挟むな。家族だからなんなんだ。俺達を助けたことなんて一度もなかったじゃないか。口を開けば家族家族。そのくせ上から目線でしか話せないんだから、上っ面でしかない。
そうだ、始めからそうだった。ここにいれば安泰かのような言い回しをしておいて、その実どこにも居場所なんてなかったんだ。俺達は今更ここにいる理由なんてどこにもない。こんな奴らと嫌々過ごす必要もない。シータとずっと一緒にいられればそれでいい。
シータの手を強く握る。すると、何も言わずに握り返された。俺達には言葉すら必要ないんだ。俺にはそれが全てのように思えた。