鬼畜兄と入れ替わった【忌み子令嬢】、ゲーム知識で推しのバッドエンドを叩き潰す   作:月城 友麻

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3. 周囲の戸惑い ~11年ぶりの世界~

 リリアナは恐る恐る部屋の扉に手をかけた。

 

 真鍮の取っ手が、朝の光を受けて鈍く輝いている。十一年間、触れることのできなかった「扉」。開けることを許されなかった「自由への入り口」。

 

 指先が震える。今、この扉を開ければ、そこには――――。

 

 深く息を吸い、ゆっくりと扉を開く。

 

 廊下の光景が、まるで天国の門が開かれたかのように、視界いっぱいに広がった。

 

(ああ……)

 

 磨き上げられた大理石の床。朝日を受けて(きら)めく燭台(しょくだい)。壁に掛けられた先祖の肖像画が、金の額縁の中で威厳を放っている。窓から差し込む光が床に描く、幾何学模様。

 

 座敷牢の小窓から、爪先立ちになって必死に覗き見ることしかできなかった「外の世界」が、今、自分の目の前に広がっている。

 

 一歩、廊下に足を踏み出す。

 

 コツン。

 

 靴底が大理石に触れた音が、まるで天使の鈴のように美しく響く。その音に、リリアナは思わず立ち止まった。

 

(私が、歩いている。私の意思で、私の足で)

 

 もう一歩。さらに一歩。立ち止まることも、走ることさえも――全て自分の意思で決められる。この当たり前のことが、どれほど奇跡的なことか。

 

 十一年間、四畳半の石牢の中で、同じ場所を行ったり来たりすることしかできなかった。それも、痛む身体を引きずりながら。

 

 でも今は違う。力あふれるこの身体で、広い廊下を、どこまでも歩いていける――――。

 

「あ、アレクシス様!」

 

 甲高い声に、リリアナは現実に引き戻された。

 

 若いメイドが彼を見つけ、まるで毒蛇(どくへび)を見たかのように顔から血の気を失った。慌てて壁際に身を寄せ、今にも壁に溶け込んでしまいそうなほど身を縮める。

 

「お、おはようございます……」

 

 栗色(くりいろ)の髪を三つ編みにした新米メイドの声は、まるで処刑台に立たされた罪人のように震えていた。琥珀色(こはくいろ)の瞳には、純粋な恐怖が宿っている。

 

 リリアナは胸が締め付けられた。

 

(これが、兄上が築いてきた世界)

 

 恐怖による支配。誰もがアレクシスの顔を見れば怯え、声を聞けば震え上がる。まるで、座敷牢にいた自分と同じように――――。

 

 リリアナは大きく息をつくと心を込めて言った。

 

「……おはよう」

 

 できる限り柔らかく、優しく。十一年間、誰からも向けられることのなかった「普通の挨拶」を。

 

 メイドの瞳が、まるで奇跡を見たかのように見開かれた。

 

「え……?」

 

 ニコッと笑うと歩き去るリリアナ。本当はもっと話したかったが十一年間まともに人と会話をしていない自分に、これ以上何が言えるだろう。

 

 背後で、エマの呆然とした呟きが聞こえる。

 

「ア、アレクシス様……?」

 

 

      ◇

 

 

 重厚な扉を開けると、そこは別世界だった。

 

 純白のテーブルクロスが敷かれた長いテーブル。銀の燭台(しょくだい)が朝の光を受けて輝き、磨き上げられた食器が宝石のように並んでいる。

 

 そして――――。

 

 湯気。

 

 白い陶器の器から立ち上る、温かな湯気。

 

 リリアナの足が止まった。

 

(温かい……食べ物が、温かい)

 

 給仕係が恭しく椅子を引く。慌ててその椅子に座り、食卓を見つめる――――。

 

 コンソメスープ。黄金色に澄んだスープの表面に、ハーブが浮かんでいる。焼きたてのパン。表面がきつね色に焼けて、触れれば温もりが伝わってきそうだ。バターは銀の小皿に美しく盛られ、ジャムは宝石のように輝いている。

 

 震える手でスプーンを取る。十一年間、カトラリーなど使ったことのない手に、銀のスプーンは恐ろしく重く感じられた。

 

 スープをすくい、唇に運ぶ。

 

 その瞬間――――。

 

「っ……!」

 

 熱い。

 

 十一年間、冷えきった水と硬いパンだけで命を繋いできた。温かい食事など、記憶の彼方に消えていた。母が生きていた頃、優しく「熱いから気をつけて」と言ってくれた、あの遠い日の記憶。

 

 涙が、堰を切ったように溢れ出した。

 

「美味しい……美味しいよ……」

 

 声が震える。涙でスープの味が分からなくなる。それでも、スプーンを動かす手は止まらない。

 

 パンを千切り、スープに浸す。柔らかくなったパンを口に運べば、小麦の香りと温かなスープの味が口いっぱいに広がる。

 

(これが、食事。これが、生きるということ)

 

 給仕係たちが、柱の陰から不安げにその様子を見守っていた。

 

「アレクシス様が……泣いて……?」

「いつものコンソメ……なのに?」

「いったい何が起こるんだ? 面倒ごとは困るよ……」

 

 彼らには公爵家の御曹司の涙が理解できず、とばっちりの予感に震えていた。

 

 

       ◇

 

 

 朝食後、リリアナは子供のように屋敷を探検した。

 

 十一年間、小窓から見ることしかできなかった場所。想像の中で何度も歩いた廊下。今、その全てを自分の足で確かめることができる。

 

 絵画の間、書庫、音楽室。どの部屋も、座敷牢とは別世界の美しさだった。

 

 やがて、中庭への扉を見つける。

 

 ガラス扉を押し開けると、春の風が頬を撫でた。

 

(風だ……)

 

 鉄格子に阻まれない、自由な風。花の香りを運び、鳥の声を届けてくれる、優しい風。

 

 中庭には、色とりどりの薔薇が咲き誇っていた。赤、白、黄色、そして淡いピンク。朝露を纏った花弁が、まるでビロードのように輝いている。

 

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