魔術で姿を隠蔽し、商船に乗り込み数時間。アリストロメリアは船の1室にて、ベッドに腰を掛けていた。
船の質に比べて、この部屋だけは寝具や収納などが揃っており、交渉相手の為の客室として設置されているものであった。
アリストロメリアからすれば少々みすぼらしい部屋ではあったが、外出と忍び込むという行為に興奮している彼女には、然程気になることではなかった。
部屋には人避けの結界を張って隠蔽しているので人は来ないようにしてある。隠蔽に気付ける様な実力者も船に乗ってはいないようなので、船がイリアス大陸に着くまでゆっくりするとしよう。
「とは言え、数日は暇ですわね…」
船はセントラ大陸を西から大周りしていくらしい。なんでも、北の港では無く南西の海岸に商売相手が居るらしく、手間がかかると愚痴っていた。
「…まあ、直ぐに着くために魔術で飛んだりしても風情がありませんし…景色を楽しみつつ、暫くは船旅を楽しむとしましょう…ねぇ?クマちゃん」
クマのぬいぐるみを向かい合うように机に置くと、アリストロメリアは荷物の袋に手を伸ばす。
荷物の中にある1冊の本を取り出し、アリストロメリアは羽根ペンとインクを机の上に置く。
出された物は空白の本。波に揺られる部屋で、アリストロメリアはレミナで見たものを思い出し、丁寧に記していった。
そして、アリストロメリアが文字を描く手を止める頃には、外は既に日が暮れ始めていた。
「あら、もうこんな時間…」
どうやらそれなりに熱中していたらしい。思い付きで始めたことだが、案外ものを書くというのも良いものだ。
インクが乾いていることを確認し、アリストロメリアは本を閉じる。
太陽が水平線に半分ほど沈んだ時、船の外にそれなりに強い魔力を感じ取った。
「………」
大きさとしては、クイーンクラスより1段低い程度だろうか?集団でいる様で、周りにいるのは小粒も良いところだが…
「そこの船!止まりな!新進気鋭のロザ海賊団の参上だよ!」
どうやら船を見付けた海賊船が近付いてきたようだ。
ロザ、ロザ…有力な妖魔は教育の中で教えられているが、名前は聞いたことがない。クイーンに匹敵するレベルとなれば、間違いなく教えられるはず…となると
「今まさに頭角を現さんとしている…面白いですわね」
海賊船はこちらの船よりも遥かに速い航行速度で接近している。
徐々に並んで来た海賊船から、何体かの魔物が商船に飛び込んでくる。
用心棒や船員らと戦闘が始まったようで、金属がぶつかり合う音がなり始め、船上が騒がしくなった。
「とは言え、船が止まるのは困りますわよ?」
そう言って何かの魔術を掛けたアリストロメリアが部屋の外出ると、船上へと向かった。
「ほらほらぁ!そんなもんかい!」
戦士が振るう鋭い斬撃をサーベルで容易に捌き、弓使いが放つ矢は水の魔法で勢いを失う。
戦士と弓使いは、船に乗った用心棒の中でも最強格であった。しかし、ロザと名乗る人魚相手には手も足も出ない。
「周りはもう終わってるんだ…ほら、コッチもサッサと終わらせるよ!」
既に2人以外の船員は、他の海賊達によって倒されていた。
その大半は縄で縛られ、少し離れた場所に一纏めにされていた。
海賊達はロザと2人の戦いを囲んで観戦しており、楽しそうな様子からは人間達への警戒心などが一切感じられない。
「ぐっ…舐めるな!払車剣!」
戦士が繰り出す勢いを付けた力強い斬撃、それに合わせるように弓使いは矢を再度放った。
タイミングの合った見事な連携…しかしロザは特別慌てた様子もなく、サーベルを構える。
「七海覇斬」
横一線に振られたサーベルは、戦士の剣を両断し弓使い共々吹き飛ばした。
壁に叩きつけられた2人は、防具は破壊されているものの重い傷は負っていない。
「ほら、命は奪わないでやるから積荷は貰っていくよ!街が近い海岸までは送ってやるんだから、ありがたく思いな」
「あら、それは困りますわ?」
「っ!?」
聞き覚えのない女の声に、ロザは咄嗟に飛び退く。
声の先にサーベルを構え直し、正体を見極めんと気配が殆ど無かった声の主を見付けようと目を向けた。
「旅行を邪魔するのなら…」
その瞬間
「“死んでくれる?”」
膨大な魔力が闇の爆発を形成し、船上にいる海賊達を根こそぎ吹き飛ばした。
「っ…ぐっ」
不意打ちで強力な魔法を受けたロザは、周囲の状況を確認した。
殆どはダメージを負って倒れ伏しているが、死人は居ない。仲間の何人かは海に落ちた様だが、ここらの海域に肉食の妖魔は少ないので、そちらも問題は無いだろう。
問題は仲間よりも、目の前にいる可愛らしい少女…否、凶悪な魔力を持った妖魔である。
「何者だい…急に攻撃してきやがって…!」
「うふふ…ごめんなさい?でも、私はこの船に乗っていたの。旅行の邪魔をされるのは困りますわ、お姉さん?」
「…チッ、カモかと思ったらとんだ貧乏くじだね!」
妖魔はクマのぬいぐるみを抱えて愉快そうに笑っている。先程の強力な攻撃と裏腹に、その態度には殺意の一切を感じない。
「無名でここまでの実力者と会うなんて、思っていませんでしたの。有力な妖魔の縄張りはある程度知ってますし、知っていたらこの船には乗りませんでしたわ?本当に偶然、不幸な事故…」
「ふんっ、そりゃあ旗揚げしたのは最近なんでね」
「だから、何もせずに帰って頂けません?旅路を邪魔したことは…今の一撃で無かったことにしてあげますわよ?私はただ、大陸を渡りたいだけなのです」
ロザは逡巡の後、周囲の状況と妖魔を再度見て結論を出す。
「はぁ…分かったよ。負ける気は無いけど、タダで済む気がしないからね…ホント何者なんだい、アンタ?」
「さぁ?ただの旅行好きの妖魔ですわ…といっても、旅行なんて初めてですけども」
「……」
ロザは怪訝な目を向けた後、答える気がないと感じたのか、直ぐに周囲の部下への指示へと切り替えた。
負傷者を船に叩き込み、動けるものには海に落ちた仲間の救助をさせると、そう時間は掛からずに海賊団は撤退して行った。
「…さて、商人さん。忍び込んでいたこと、お詫び申し上げます」
アリストロメリアは礼儀正しく、縛られていた船員の中に居た商船の主に礼をすると、拘束している縄を解いた。
「あ、ああ…いや、寧ろお礼を言わないとな…ウチの商団は実利優先!魔物とだって商売するし、恩人に責め立てることはしないよ」
「うふふっ、ありがとうございます。実は、少し豪華な客室をお借りしていましたの…このままお借りしても?」
「もちろんだ。金なんて取らないから、そのまま使ってくれ。食事も運ぶようにするが…この船の行き先はイリアス大陸だ。彼処は魔物蔑視が強いんだが…大丈夫なのかい?」
「ご覧の通り、見た目は人と変わりませんもの…下手に力を見せなければ大丈夫ですわ」
商団の主との話も終わり、日が沈みきる前に船員の治療や船上の修繕も必要ということで、船員達は忙しなく動いていった。
部屋に戻ったアリストロメリアが魔術で聞き耳を立てると、海賊団を蹴散らした力の持ち主を危険視する声も聞こえた。
しかし、下手に敵対する方が危険であることと、恩人に酬いぬことは商人として出来ないという商団の主の訴えから、それらの声は封殺された。
船の一室で穏やかに休んでいるアリストロメリアは、どことなく楽しそうな笑みを浮かべて到着を待っていた。