千年ぼっちの異星人、ハイドロ・マーメリックは今日も人の感情がわからない   作:村上しんご

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最終話:永遠に続く絆、私たちに終わりはない

「政府の機関が、今どこで活動しているのか教えろ」

 

 その声音で、良子が何かを決意したことを、静香はすぐに悟った。

 彼女の中に、ひやりとした緊張が走る。胸の奥に小さな不安を抱えながらも、彼女は父親から聞いた情報を思い出し、静かに口を開いた。

 

「……霞が関の地中深くに、戦時中に使われていた軍事施設があるわ。今はそこを、政府の対策本部として使っているらしい。内閣総理官邸から、地下通路で行けるはずよ」

 

 政府の人間も、ただゾンビに怯えて隠れていたわけではなかった。

 良子と同じくワクチンの開発を試みてはいたが、成果は上がらなかったのだ。

 

 千年を超える知識を持つ良子の頭脳は、もはや人間の常識を遥かに超えている。

 名をはせた研究者でさえ、その理解には到底及ばない。

 まして、良子の星の住民の脳構造は、人間とは根本的に異なっている。

 スーパーコンピューターでさえ、良子の持つ究極の学習能力には遠く及ばないのだ。

 

「……そこに行って、どうするつもりなの?」

 

「何もしない。ただ、この機会に──世の中の仕組みを変えようと思ってる」

 

 静香は眉をひそめた。

 

「貴女の話なんて、誰も聞いちゃくれないわ。会うことすらできないかもしれない」

 

「まあ、そうだろうな」

 

 良子は淡々と答える。だが、その目にはわずかな光が宿っていた。

 

「けれど──私が“ワクチンの開発者”だと知ったら、話は別だろう?」

 

 静香はその言葉に愕然とした。

 

「まさか、自分が開発者なのを暴露するつもり!? あれだけ嫌がっていたのに、どうしたというの?」

 

 彼女は良子の顔をまじまじと見つめた。

 最初の頃よりはずっと人間らしくなったとはいえ、喜怒哀楽の乏しいその表情は相変わらずだ。

 それなのに、今の良子からは、確かな“熱”のようなものが感じられる。

 

「……あの子たちを見て、思ったんだ」

 

 良子は連れてきた子供たちに目を向け、静かに言った。

 

「こんな事態だからこそ、新しい未来を作らなきゃいけないって。──満里奈に教えられた」

 

 静香は言葉を失った。

 何をするにも“面倒だ”と口にしていた彼女が、自ら騒動の中心に飛び込もうとしている──。

 そんな彼女を見るのは、初めてだった。

 

(いったい、この満里奈という子は、良子にとってどれほど大きな存在なのだろう)

 

 お面を被ったままの満里奈を見つめる良子の目は、まるで我が子を見守る母親のように、静かな慈愛に満ちていた。

 

「……わかった。父に連絡を入れて、話は通しておく」

 

 そう言いながら静香は少し落胆した様子を見せた。どこか悲しげでありながらも、決意を固めた良子の姿を前に、これ以上の説得は無駄だと悟った。

 良子の能力が公になれば、日本どころか世界中が黙っていない。手に入れようとするだけならいい。

 だが、その能力が想像以上のもので、脅威だと知れば研究の対象や軍事目的の兵器として、モルモットのような生活を強いられるだろう。

 静香は良子の正体を知らない。だが、その“人ならざる力”の片鱗を目の当たりにした時から──彼女の中では、すでに良子は「人を超えた存在」だと感じていた。

 

「悪いな。あの子たちのことを、くれぐれも頼む」

 

 その言葉を聞いた瞬間、静香は良子との別れを決意した。

 虚しさを帯びたその声には、強い決意と、これまで出会った人々への静かな別れの想いが滲んでいた。

 

「さあ、満里奈。行こう」

 

 良子はそう言って静香から背を向けた。そして車に乗り込んで、満里奈の頭を意味も無く撫でる。 

 良子が行動を起こした理由は、連れてきた子供たちのためだけではない。

 いま「小さな救世主」と呼ばれている満里奈の未来を思ってのことだった。

 

 世の中はいまだ混乱の最中にあり、満里奈の正体を知る者は少ない。

 だが──良子に教えを受け、脳の潜在能力を開花させた彼女は、やがて良子と同じ“脅威”として見られる可能性があった。

 

 良子は、それをわかっていた。

 だからこそ、満里奈が平和に生きられるように──すべての罪を自分ひとりに背負わせようとしていた。

 

 ワクチンはすでに各地へ行き渡り、世界は少しずつ、かつての姿を取り戻しつつある。

 彼女には、そんな新しい時代で、何の縛りもなく、のびのびと生きてほしい。良子はただ、それだけを切実に願っていた。

 

 もちろん、そんな目にあうとわかっていて、満里奈を政府機関へ連れて行くつもりはない。

 すべては自分が手掛けたこと──“小さな救世主”はただの偶像だった。そう、彼らに思わせればいい。

 

「満里奈、いったんショッピングモールに寄っていこう。私のラボから、ワクチンのサンプルを何本か取ってきてほしい」

 

「……うん。わかったよ」

 

 満里奈は、お面の下でずっと涙を流していた。

 さっきから一言も声を出さなかったのは、泣いていることを誰にも知られたくなかったからだ。

 

 彼女は、良子とこのまま行動を共にできないことを、すでに悟っていた。

 ショッピングモールに立ち寄れば──そのまま一人で消えてしまうだろう。

 けれど、それを拒むことも、良子と一緒に行きたいと強く言うこともできなかった。

 

 なぜなら、良子が一人で行こうとしている理由が、自分を思ってのことだとわかっていたから。

 良子は人間味には欠けている。けれど、その奥にある自分への温かい愛情は、痛いほど伝わっていた。

 

 満里奈のお面の下で、涙がまたひと筋、静かに頬を伝った。

 希望の見えはじめた外の景色を眺めながら、別れの時には笑顔を見せようと、彼女は心の中でそっと決意した。

 

 車内には、エンジンの低い唸りだけが響いている。

 その沈黙を破るように、良子が静かに口を開いた。

 

「満里奈……これから世界は、少しずつ元の平和な世の中に戻っていくだろう」

 

 その声には、かすかな悲しみと、何か大切なことを伝えようとする思いが滲んでいた。

 満里奈はお面の奥の瞳で良子を見つめる。

 

 感情の色を見せることのないその顔から、いつになく柔らかな空気が漂っていた。

 後光に包まれたその姿は、まるで母が子を包み込むような──静かな優しさを纏っていた。

 

「だが、お前はもう、何もできなかった“か弱い子供”ではない。……ご飯は、しっかり食べろ」

 

 良子の言葉は、子を諭す母のように穏やかで、どこか切なかった。

 その声を聞いた瞬間、満里奈の瞳から、こらえていた涙が再びあふれ出す。

 

「……うん」

 

「そして、寝る時にはきちんと布団をかけて温かくしろ。お前はよくお腹を出して寝ている。腹を壊すぞ」

 

「……うん」

 

「歯はきちんと磨け。歯を食いしばれなきゃ力は出ない。──いくら強くても、歯が弱けりゃ実力は発揮できないぞ」

 

「……うん」

 

 良子からはこれまで、この世界のあらゆる知識を教わってきた。

 けれど今、彼女が語るのは、どれも他愛もない日常のことばかりだった。

 それなのに、その一つひとつが胸の奥に深く突き刺さる。

 まるで──もう二度と、その声を聞くことはできないと、良子自身が知っているかのように。

 

「そして満里奈、今のお前は以前と違って人とは違う力を持っている……それをひけらかしてはいけない」

 

 その言葉を聞いた時、満里奈は良子が何を伝えたかったのか、すぐにわかった。

 自分のような異質な存在が、世間の好奇の目に晒されたとき──どんな運命を辿るか。良子は、それを誰よりも知っていた。

 彼女は満里奈にそうなって欲しくはないからこそ、その危険性を伝えたかったのだ。

 

「自分が窮地に立たされた時……そして、大切な誰かを守りたいと思うとき以外は、決して力を見せてはいけない。人間は臆病な生き物だ。理解を超える力を見せられたら、それを“脅威”と感じ、お前に牙を剥くだろう」

 

 その言葉を聞きながら、満里奈の頭にひとつの情景が浮かぶ。──千年もの時を、孤独に生きてきた良子の姿だ。

 いくら「人には興味がない」と口にしていたとしても、最初からそうだったはずはない。

 きっと、何度も誰かを信じ、そして幾度も傷ついてきたのだ。

 

「……うん。でも、お姉ちゃんは、今まで寂しくなかったの?」

 

 お面の下から漏れたその声に、良子は静かに顔を向けた。

 前だけを見ていた視線が、ゆっくりと満里奈に向けられる。

 

 そして、次の瞬間──

 良子は瞳を細め、今まで見せたことのないほどの笑顔を浮かべた。

 

「お前に出会えたから……そんなことは思わない。お前は、私に“人の優しさ”を教えてくれたんだ」

 

 その言葉に、満里奈の視界が滲む。

 こらえきれずに溢れた涙は、頬を伝い、お面の下を濡らしていく。

 

「……そして、忘れないでくれ。私は、いつまでもお前を見守っている」

 

 その一言で、満里奈の涙腺は一気に決壊した。

 声をあげて泣きじゃくる彼女の頭を、良子はそっと抱き寄せ、優しく撫で続けた。

 

 良子の腕の中で、満里奈の瞳は涙で赤く腫れ上がっていった。

 それでも、無情に時は過ぎていく。

 車が止まったとき、窓の外にはショッピングモールの看板が見えていた。

 

「……さあ、到着だ。大丈夫か?」

 

 不安げに問いかける良子をよそに、満里奈はお面を外し、頭の上に乗せた。

 そして、涙をぬぐうように腕で目元をこすり、いつものように、まっすぐな声で答える。

 

「私は大丈夫! お姉ちゃんも、気をつけて!」

 

 車を降りた満里奈は、もう大丈夫だと言わんばかりに、振り返ってとびきりの笑顔を見せた。

 良子はその笑顔に応えるように、静かに微笑み返し、力強く頷いた。

 

 車のエンジン音が徐々に遠ざかっていく。

 満里奈は、沈む夕日に照らされながら、いつまでもその車を見送った。

 

 そして、振り返る。

 

 もう、迷いはなかった。

 夕陽を背に受け、堂々と立つその姿は、誰よりもまぶしく輝いていた。

 そんな満里奈の頬を風が優しくなでた。

 それはまるで、良子の手のぬくもりのように穏やかに感じられた。

 

 ──その日から、世界は時計の針を刻むように、少しずつ変わっていった。

 

 そして、十年後。

 

 あれから世界は変わった。ゾンビの脅威は嘘だったかのように、人々は平穏な日常を取り戻していた。

 

 ワクチンの開発によって世界を救った日本は、発言力を増し、どの国からも一目置かれる存在となった。

「弱者にも優しい社会」を掲げ、次々と“奇跡”のような政策を打ち出す日本を、もはや誰も無視できなかった。

 

 その中心で急速に勢力を拡大したのが、慈善団体《希望の光》。

 表向きは人道支援を目的とする組織だが──その活動の裏には、どこか良子の影を感じさせるものがあった。

 

 満里奈は確信していた。

 良子が教えてくれた“世の中の理”を、誰かが継いでいる。

 それは、弱き者が輝ける世界をつくろうとする──あの人の願い、そのものだった。

 

「待ってよー、満里奈!」

 

 放課後の通学路に、明るい声が響いた。

 あれから十年。

 満里奈は十七歳の女子高生になっていた。

 

 短かった髪は肩を越えて伸び、幼さの残る顔立ちには落ち着いた気品が宿っている。

 それでも、喜怒哀楽の乏しいその表情──どこか“良子”を思わせる静けさはあるものの、輝く瞳はあの頃のままだった。

 

 類まれな才能を持ちながらも、彼女はごく普通の女子高生として暮らしている。

 けれどその内側では、今もなお“良子の影”を追い続けていた。

 

「遅いぞ。早く歩け」

 

 親友と呼べるほどの仲の友達にさえ、満里奈はいつも素っ気ない。

 だが、その淡々とした口調の裏には、どこか優しさが滲んでいた。

 

 あれから、良子には一度も会えていない。

 それでも──生きている限り、きっとまたどこかで会えると信じていた。

 

 姿は見えなくても、必ずどこかで自分のことを見守ってくれている。

 そんな確信が、満里奈の胸の奥にはいつもあった。

 

 良子があの日、別れ際に言った言葉。

 

「……そして、忘れないでくれ。私は、いつまでもお前を見守っている」

 

 その約束は、決して嘘ではない──。

 なぜなら、忘れた頃に、どこかから良子の気配を感じることがあった。

 

 今日は、満里奈の誕生日。

 親友と並んで街を歩き、赤信号の交差点で足を止める。

 その瞬間、どこからともなく懐かしい風が吹いた。

 それは、あの日と同じ──優しく包み込むような、良子の手のぬくもり。

 

 信号が青に変わり、人々が忙しなく行き交い始める。

 その群衆の中に、ゆっくりと近づいてくるひとりの女性がいた。

 

 長く伸びた髪を風に靡かせ、懐かしいジーンズとTシャツというラフな姿。

 無表情のまま前を見据え、地味でありながらも堂々とした歩きかた。

 

 満里奈は息を呑んだ。──間違いない。

 それは、良子だった。

 

 頭が混乱し、声も出せずに立ち尽くす満里奈の横を、良子は何も言わず通り過ぎていく。

 だが、その瞬間──

 

 良子はふと振り返り、かつて見せたあの“飛び切りの笑顔”を満里奈に向けた。

 

 それはまるで、あの日の言葉をもう一度伝えるように。

 

「……私は、いつまでもお前を見守っている」

 

 風が再び吹き抜け、髪がふわりと舞う。

 満里奈は涙をこぼしながら、そっと微笑んだ。

 

 その手には、いつの間にか──

 小さな花束と、一枚のメッセージカードが握られていた。

 

 カードには、見覚えのある筆跡でこう記されていた。

 

『誕生日おめでとう。立派になったな、満里奈。もう私は、そばにいなくても大丈夫だ。

 でも、たまには風に話しかけてくれ。きっと聞こえているから。──良子』

 

 満里奈はそっとカードを胸に抱きしめ、空を見上げた。

 

 風が再び頬をなでる。

 それは、まるであの日と同じ、優しい手のぬくもりだった。

 

 満里奈の笑顔の奥で、どこか遠く、柔らかな声が響いた気がした。

 

 ──そして、世界は今日も静かに動き続ける。

 

 

 

 

 

                  END




【あとがき】

――万能の学習能力を持ちながら、人の愛だけは学べなかった者がいた。
しかし、彼女は人と出会い、心に触れ、そして別れを通して、愛とは“生きる力”そのものだと知った。

この物語は、そんな異星の女性・良子と、彼女に教えを受けた少女・満里奈の記録です。
人は誰かに何かを教えるとき、同時に自分も何かを学んでいます。
そして、それが「愛」という名の継承なのだと思います。

満里奈が成長し、十年という歳月を経てもなお、
彼女の心のどこかで良子が生き続けていたように、
人の想いは、形を変えながらも決して消えることはありません。
風が吹くたび、懐かしい声が聞こえる――
そんな記憶の中で、私たちは誰かと共に生きているのかもしれません。

“学ぶこと”と“愛すること”。
それはとても似ていて、どちらも他者の中に自分を見つける行為です。
この物語を通じて、誰かが誰かを想い続ける力の尊さを、少しでも感じていただけたなら幸いです。

そして最後に。
彼女が満里奈に残した言葉を、静かに胸に刻んでほしい。

「……私は、いつまでもお前を見守っている」

その約束がある限り、
彼女たちの物語は、今もどこかで続いている。
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