勢いで書くでそうろう。
鳥が飛んでいた、自由に楽しそうに鳴き声を上げながら大海原の空を飛んでいる…そんな光景を、俺は何処かボケっとした様子で眺めていた。
緩やかに進んでいく景色、船の速度に合わせて動く視界の流れに身を任せていた俺は段々と頭がぼやけていくような感覚を覚えていた…どうにも眠くなってきてしまったらしい。
瞼が落ちてくる、意識していないと今にも閉じてしまいそうな瞼を無理矢理にでも開きながら俺は頭の側面をパンパンッと掌で叩く、寝るな寝るなと呟きながら何度か叩いている内に眠気は多少なりともマシになってきていた…しかし、それでも眠いものは眠い。
ふぅっと息を吐く…さっき水を飲んだばかりのはずなのに、不思議と喉が渇いて仕方が無かった。
ペットボトルに手を伸ばし、キャップを開けて水を飲もうとするが…そこまで行ってようやく水が空になっていたことに気がついた、自分でも気が付かない内に随分と飲んでしまっていたらしい。
空になったペットボトルを両手で押し潰す、結構な音に周囲の視線が集まるがそれもほんの少しのこと、ペットボトルを潰した音だと認識した他の客達はすぐに視線を元の位置へと戻していた。
ゴミ箱は自動販売機の側に有ったよなと、そんなことを考えながらうろ覚えの記憶を頼りながら船の中を進み、突き当たりの角を曲がろうとする…その奥から、ぬっと一人の男性が姿を現した。
突然のことだった、今正に曲がろうとしたタイミングで姿を現したその男性…互いに近く、互いに死角から現れたこともあってか俺と男性は避ける素振りを取ることすら出来ずにぶつかってしまう。
咄嗟にすいませんと謝罪の言葉を述べてからそのぶつかった誰かへと視線を合わせて…言葉を失った。
見覚えのある顔だった、見覚えのあり過ぎる顔だった…黒髪のオールバックにチョビ髭みたいな髭、何処か歴戦という言葉が似合いそうな気配を身に秘めたその姿を…俺はどうしようもなく良く知ってしまっていた。
「───…毛利…さん…?」
気づけば、口に出してしまっていた。
毛利小五郎…眠るように座り込んだと思ったら、そこから実際にその手口を見てきたかのように当てることから巷では『眠りの小五郎』の異名で知られる名探偵…というだけじゃない。
俺はこの人を知っている、この人の前歴を知っている…かつては刑事であったこと、射撃の達人であったことも同じく柔道の達人であることも…全て知っている。
何せ、この人は…同じく刑事であった父の、友人だったのだから。
「ん…?…おぉっ!!
名前を呼ばれて最初は訝しげにしていた毛利さんも、その相手が俺であると分かるや否や豪快にニコニコとした笑顔を浮かべた…そんな彼の姿に俺も思わず笑みを浮かべてしまう。
「お久しぶりです、毛利さん…最近は色々と活躍してらっしゃるようで」
「おうっ、そりゃまぁな…まぁ、俺自身は何してたかなんて全く覚えちゃいないんだがな」
軽い雑談を交えながら通路の邪魔にならないような場所へと…丁度自販機横にあったゴミ箱付近へと移動した俺は話ついでにとペットボトルをゴミ箱の中へと捨てた。
ゴロンっと音がする、なんてことない日常の音だ…だけど、何故だが今だけはその音がとても大きな音に聞こえた。
「…それにしても、本当に久しぶりだなぁ…三年ぶりくらいか?」
「そんな感じですね、大体は」
なんてことない雑談、話していてもきっと誰も気にしないようなそんなお気軽な世間話…ジュボッとライターに火を灯し、タバコを咥えた毛利さんは短くタバコを吸い、その煙を吐き出した。
「……杉宮のやつは、元気にしてるか?」
何処か哀愁を漂わせたような表情を浮かべた毛利さんが俺にそんなことを聞いてくる、此方に配慮したかのような言葉遣いで俺へと投げられた質問に対して、俺は困ったように頬をカリカリと掻いた。
元気にしているか…そうだな、元気にしているかと問われれば───
「呆れるくらい元気ですよ…この前なんか何処かのマラソンだか徒競走大会だかで他の参加者ぶっちぎりまくってたんですから」
良い歳をしていると言うのに今でも現役と言わんばかりに元気ハツラツな父親の姿を思い出す…何をどうしたらあの歳であぁも元気に走り回れるのかと日頃から疑問に思ってしまう程だ。
そんな俺の言葉にそうか…と一言で返した毛利さんは、吸い終えた煙草を近場の灰皿の中へと落とし…何処か迷ったような口調で、口を開いた。
「お前は…大丈夫なのか?」
そう口にする毛利さん、心底から心配したような表情でそう問いかけてくる毛利さんに俺はキョトンと首を傾げてみせる。
「大丈夫って…何がですか?」
何も知らないみたいにそう言ってのける、何一つとして心配事なんて無いのだと言うように俺は心底から悩みの無い人間であるかのような表情を浮かべる…自分で言っておいてなんだが、出来ているかどうかは分からない。
「…いや、なんでもない…蘭も来てるんだ、島についたらまた一緒に飯でも食おう」
「…えぇ…それはもう、喜んで」
言葉を交わす、何処か含みのある笑みを浮かべながら俺を誘った毛利さんに俺は可能な限り自然な笑みを浮かべて言葉を返す…そんな俺にまたなと一言告げた毛利さんは俺へと背中を向けて歩き出そうとするが…ふと、何かを思い出したように俺の方へと振り向き…口を開いた。
「背負い込み過ぎるなよ」
唐突な言葉にえっ…と疑問の声が漏れる、何をと問いかけようとする俺に被せるように更に毛利さんは続けた。
「苦しくなったら誰かに吐き出せ、相談しろ…お前は、昔から色んなもんを背負い込み過ぎるからな……分かったな?」
何処か重苦しい雰囲気の中で告げられたその言葉、明確な説得力を有したその言葉に俺は半ば無意識的にはい…と頷き、返事を返していた。
それを認識した毛利さんはそれに満足したのか、じゃあなと一言告げると今度こそ背を向けて歩き出していく。
遠ざかっていく男の背中…子供の頃、何時かそうなりたいと憧れ、尊敬した大人の背中が視界の中から消えていくその光景を何処か呆然と見つめた俺は…思わずと言ったように、笑みを溢した。
「…もう遅いよ、毛利さん」
俺の手は、とっくに汚れてしまっている。
良い人だったのだ…本当に、心の底からそう思えるような…そんな人だったのだ。
顔立ちは目鼻整った可愛い系統に寄った美人さん、身長が普通よりも低くて一々反応が可愛いと言うこともあってか、生徒達に人気の教師だった。
何に対しても一生懸命でハキハキと言葉を話し、笑顔を絶やさないことで有名な人だった…弁当も手作りで自作、男子の趣味にも精通していて優しいという好きになるなと言う方が難しいような…そんな人だった。
出会いは学校の中で、当時の立場で言えば俺が生徒で聡美が新任の新人教師…教室の中に入ってきて自己紹介をして、新しく担任として入ってきた旨をハキハキと告げるあの姿は今でも記憶の中で新しい。
付き合うようになった切っ掛けは俺からの告白だった…生徒と教師の関係のままだと絶対にOKを貰えないと言うのは分かりきっていたので、頑張って卒業の日まで耐えて、いざ卒業式の日に思い切り告白した。
告白したとは言っても殆どヤケクソだった…アピールみたいなことは何をすれば良いのか分からなくて殆どして来なかったし、やったことと言えば書類運ぶの手伝ったりとかそういった手伝いだけで良い印象を抱けはしても異性的な印象は薄いと思っていたから……だから、その顔を真っ赤に染めながら告白を受け入れてもらった時は、夢でも見てるんじゃないかって真面目に思った。
そうして付き合った先で一緒の時間を過ごせば過ごす程に分かっていく足立聡美という女性の人間性…困っている人を放って置けない、泣いている子供を放って置けない…そんな人間だった。
重たそうに荷物を持っていた老婆の手伝いをしたり、親と逸れた子供の親を日が暮れるまで探したり、タイヤが穴に嵌った車を持ち上げるのを手伝ったり…本当に、良い人のお手本と言わんばかりの善性を秘めた、女児アニメの主人公に居そうだなとか思わず思ってしまうような…そんな人だった。
…そんな人だったから、俺には分からなかった…どうしてあの人は、どうしてよりにもよってあんな眩しいあの人が、あんな風に苦しめられなきゃいけなかったんだろうって。
どうしてあんなことされなきゃいけなかったんだろう、どうしてあんな風に泣き喚くようなことされなきゃいけなかったんだろう、どうして…どうしてつい昨日まで幸せそうに笑っていたあの笑顔を奪われなければならなかったんだろう。
「…ねぇ……なんでだと思う?」
そう、呟くように俺は側で寝そべっている男へと話しかけた…手足を縛られ、足先から首へと繋がるように縄で縛り付けられたその男は何やら必死に海老反りになりながら何かを訴えかけるように俺へと血走った目を向けていた。
口元を塞がれているからなのか、何やらムームーと騒いでいる男の首を何となしに踏みつける…踏みつけられた勢いで身体ごと下へと下がった男の首へと縄が食い込んだ。
声にならない声を上げる男、ジタバタと身体を動かしてまた海老反りの体勢に戻ろうとするが…それよりも更に強く力を入れた俺の足がそれを許さない。
「ほら、ちゃんと答えてよ…なんであの人があんな風にならなきゃいけなかった? なんであの人があんなに苦しまなきゃいけなかった? なんであの人があんな風に絶望しなくちゃいけなかった?」
なんでなんでな〜ん〜で〜? と段々と間延びしていく問いかけ、ジタバタと動き回るその姿を芋虫みたいだなと思いながら俺は踏みつける力を弱めない。
騒ぎ立てようとする男の首へと縄がドンドンと食い込んでいく、ギリギリと音を立てて皮膚の底へと食い込んでいった縄は次第に皮膚を突き抜け血を垂らし…次第に、男の身体からは力が抜けていった。
目を見開いたままの顔で固まった男、光を映さないその男の口から泡が漏れ出ていた…死んだらしかった。
足を退ける…思いの外すぐに死んだなと思いつつ、俺は男の縄を解いた、男の手足がダランっと地面へと転がる。
「………」
何も感じない、二人も殺したのに何も感じられない…その事実に、しかし特に動揺も何かを感じることもなく、俺はその場を歩き去った。
夕焼け空の日暮れ時…空を飛ぶカラスだけが、その惨劇をただジッと見ていた。
淡々と殺す系の復讐か、感情任せの復讐か…みなさんはどっちが好きですかね?