空はまだ浅い光を抱え、冷えた風だけが尾根を撫でていた。
足裏に触れる石の硬さが、長く眠る背の輪郭を伝えてくる。
胸の奥で揺れる曖昧な記憶が、遠い呼吸のように続く。
その静かな気配に導かれ、私は黙って歩き始めた。
乾いた尾根に足を置くと、砕けた石が鈍く鳴いた。
細い風が衣の裾を探り、山肌の匂いを運んでくる。
空は高く裂け、蒼の奥で光が静かに滲んでいた。
胸の奥に、まだ名のない記憶の影が揺れた。
落葉を踏むたび、柔らかな湿りが足裏に残る。
赤く枯れた葉が指先に触れ、紙のように脆く崩れた。
遠い稜線の影が、眠る獣の背のようにうねっていた。
痩せた木々のあいだを、冷たい光が縫って落ちる。
指で幹を撫でると、ざらついた樹皮が皮膚を細く裂く。
わずかな痛みが、長い坂を歩いてきた時を知らせる。
谷から吹き上げる風が、乾いた葉を静かに転がした。
その音は、忘れかけた名を呼ぶ囁きのように続く。
岩に腰を預けると、冷えが背骨へゆっくり染みた。
空を横切る雲が、裂けた羽の形で流れていった。
再び歩き出すと、砂混じりの道が足首を揺らす。
掌に拾った石は、驚くほど冷たく重かった。
その重みが、長い眠りの鼓動を隠している気がした。
高みから落ちる光が、岩の稜を鋭く縁取る。
細い尾根は刃のようで、風が左右へ流れていく。
唇に触れる空気は乾き、かすかな鉄の味が残った。
胸いっぱいに吸い込むと、肺の奥が静かに冷える。
やがて岩の峰が近づき、影は巨大な背を起こす。
掌を当てると、ざらついた面が温もりを秘めていた。
長い時に磨かれた角のような稜が、空を裂いている。
その沈黙の重さに、歩みは自然と遅くなる。
落葉の匂いが深まり、遠い眠りの気配が満ちていく。
風の通り道に立つと、耳の奥が低く震えた。
峰の影が重なり、獣の背骨のように連なる。
岩肌の温みが掌に残り、脈のように静かに続く。
遠い空で光が裂け、淡い白が尾根を撫でた。
歩みを進めるたび、砂がかすかに靴底を噛む。
乾いた葉の破れ目が、指先に細かな粉を残す。
空は澄み切り、冷たい深さだけを広げている。
高みに近づくほど、風は鋭く骨へ触れる。
衣の布が肌に貼りつき、冷えた汗がゆっくり乾く。
痩せた枝の影が岩へ伸び、古い爪痕のように揺れる。
私は息を整えながら、ゆるやかな斜面を越えていく。
雲は裂けた羽を広げ、蒼の底へ沈んでいった。
やがて尖った岩の列が、静かに空を押し上げる。
触れた面は乾き、細かな砂が掌に残った。
足元の石が転がり、短い音を谷へ落とす。
その余韻が胸へ返り、深い静けさを広げていく。
岩の裂け目に溜まる影が、眠る瞼のように重なる。
薄い光が稜を撫で、冷たい刃の線を描いた。
尾根の先で風が渦を巻き、落葉を高く舞わせる。
その舞い方は、長い尾を持つ影の動きに似ていた。
私は岩へ手を添え、ざらつく感触を確かめる。
空の裂け目から、細い光が静かに落ちる。
岩の奥に潜む温みが、かすかな鼓動のように残る。
落葉の香りが濃くなり、遠い眠りが近づく。
足裏に伝わる大地の重みが、ゆっくり胸へ満ちた。
峰を離れるころ、風は柔らかな匂いを帯びていた。
振り返ると、鋭い影は静かに空へ溶けていく。
触れた岩の温みだけが、掌の奥でかすかに残る。
落葉は尾根を滑り、遠い眠りへ戻っていった。
歩みを続けるうち、胸の奥の静けさも同じ場所へ沈んでいく。