泡沫紀行   作:みどりのかけら

1011 / 1193
霧の底から、鋭い峰の影がゆっくりと浮かび上がる。
空はまだ浅い光を抱え、冷えた風だけが尾根を撫でていた。
足裏に触れる石の硬さが、長く眠る背の輪郭を伝えてくる。


胸の奥で揺れる曖昧な記憶が、遠い呼吸のように続く。
その静かな気配に導かれ、私は黙って歩き始めた。



1011 天を裂き神獣が眠る鋭峰の王座

乾いた尾根に足を置くと、砕けた石が鈍く鳴いた。

細い風が衣の裾を探り、山肌の匂いを運んでくる。

空は高く裂け、蒼の奥で光が静かに滲んでいた。

胸の奥に、まだ名のない記憶の影が揺れた。

 

 

落葉を踏むたび、柔らかな湿りが足裏に残る。

赤く枯れた葉が指先に触れ、紙のように脆く崩れた。

遠い稜線の影が、眠る獣の背のようにうねっていた。

 

 

痩せた木々のあいだを、冷たい光が縫って落ちる。

指で幹を撫でると、ざらついた樹皮が皮膚を細く裂く。

わずかな痛みが、長い坂を歩いてきた時を知らせる。

谷から吹き上げる風が、乾いた葉を静かに転がした。

その音は、忘れかけた名を呼ぶ囁きのように続く。

 

 

岩に腰を預けると、冷えが背骨へゆっくり染みた。

空を横切る雲が、裂けた羽の形で流れていった。

 

 

再び歩き出すと、砂混じりの道が足首を揺らす。

掌に拾った石は、驚くほど冷たく重かった。

その重みが、長い眠りの鼓動を隠している気がした。

高みから落ちる光が、岩の稜を鋭く縁取る。

 

 

細い尾根は刃のようで、風が左右へ流れていく。

唇に触れる空気は乾き、かすかな鉄の味が残った。

胸いっぱいに吸い込むと、肺の奥が静かに冷える。

 

 

やがて岩の峰が近づき、影は巨大な背を起こす。

掌を当てると、ざらついた面が温もりを秘めていた。

長い時に磨かれた角のような稜が、空を裂いている。

その沈黙の重さに、歩みは自然と遅くなる。

落葉の匂いが深まり、遠い眠りの気配が満ちていく。

 

 

風の通り道に立つと、耳の奥が低く震えた。

峰の影が重なり、獣の背骨のように連なる。

岩肌の温みが掌に残り、脈のように静かに続く。

遠い空で光が裂け、淡い白が尾根を撫でた。

 

 

歩みを進めるたび、砂がかすかに靴底を噛む。

乾いた葉の破れ目が、指先に細かな粉を残す。

空は澄み切り、冷たい深さだけを広げている。

 

 

高みに近づくほど、風は鋭く骨へ触れる。

衣の布が肌に貼りつき、冷えた汗がゆっくり乾く。

痩せた枝の影が岩へ伸び、古い爪痕のように揺れる。

私は息を整えながら、ゆるやかな斜面を越えていく。

雲は裂けた羽を広げ、蒼の底へ沈んでいった。

 

 

やがて尖った岩の列が、静かに空を押し上げる。

触れた面は乾き、細かな砂が掌に残った。

 

 

足元の石が転がり、短い音を谷へ落とす。

その余韻が胸へ返り、深い静けさを広げていく。

岩の裂け目に溜まる影が、眠る瞼のように重なる。

薄い光が稜を撫で、冷たい刃の線を描いた。

 

 

尾根の先で風が渦を巻き、落葉を高く舞わせる。

その舞い方は、長い尾を持つ影の動きに似ていた。

私は岩へ手を添え、ざらつく感触を確かめる。

 

 

空の裂け目から、細い光が静かに落ちる。

岩の奥に潜む温みが、かすかな鼓動のように残る。

落葉の香りが濃くなり、遠い眠りが近づく。

足裏に伝わる大地の重みが、ゆっくり胸へ満ちた。

 




峰を離れるころ、風は柔らかな匂いを帯びていた。
振り返ると、鋭い影は静かに空へ溶けていく。
触れた岩の温みだけが、掌の奥でかすかに残る。


落葉は尾根を滑り、遠い眠りへ戻っていった。
歩みを続けるうち、胸の奥の静けさも同じ場所へ沈んでいく。
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