泡沫紀行   作:みどりのかけら

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白は、音を吸い込む。
光は、その中で目を覚ます。

遠い空から、ひとひらの眠りが舞い降りた夜。
道のない道を歩くうちに、灯が雪の中にひとつ、またひとつと現れた。
それは誰かの忘れものか、それとも最初からそこにあったものか。

足元に広がるのは、名もなき静けさ。
声も風も届かない場所で、ただ光だけが語りかけてくる。
耳を澄ませば、雪が心の奥でやさしく鳴っている。


0108 雪の都に灯る静寂の幻想

雪が降っている。

声ひとつ届かぬほどに静かで、ひとひらごとに世界が息を潜めるような夜だった。

 

森を抜けるたび、枝の先に光の花が咲いていた。

白く、ほのかに、手のひらの温もりを知るように。

木々の隙間からのぞく空は、どこまでも淡く、滲んだ墨のように濁っていたが、それすらもこの地の静けさを祝う衣のようだった。

 

道は柔らかく沈み、歩を進めるたびに音のない囁きが足元で消えた。

まるで長い夢のなかをさまようようだった。

いくつもの灯が、ひとつずつ雪の中に宿り、風のない夜に小さな吐息のように揺れていた。

炎というよりも、眠りの光だった。

誰かの記憶のなかで、まだ消えきらない想いが灯となって立ち尽くしているようだった。

 

白い城壁のように積み上がった雪の塔には、小さな窓があり、そこにも光が宿っていた。

蝋燭の明かりがゆらゆらと漂い、まるで眠るもののまぶたの裏に浮かぶ夢のように、はかなく、柔らかい。

その一つひとつが手のひらに包めるほどの優しさをまとい、冷えた空気をほんのわずかに温めていた。

 

どこかで鈴の音がした。

それは風ではなかった。

雪でもなかった。

けれど誰もいない。

足跡もない。

 

ただ、遠くの闇が凍てついたまま息をひそめているだけだった。

 

足元には、雪灯籠の影がゆっくりと伸びていた。

灯の中で踊る影は、まるで忘れられた精霊のように寂しげで、けれどどこか懐かしかった。

光がなければ見えぬものが、ここには確かに存在していた。

 

その場所には、音が積もる。

人の声ではない、風でもない、ただ、空から降り注ぐ静けさが。

降るというより、染みてくる。白の奥から滲み出すように、深い沈黙が心を包んでくる。

 

いくつもの灯が並び、ひとつ、またひとつと雪の小路を導いていた。

歩を止めるたびに、時間が遠ざかっていく。

目に映るすべてが、まるで何百年もそこにあったかのようで、そして永遠に続くようにも見えた。

 

石を重ねたような雪の造形に手を触れると、冷たさの奥に微かな鼓動があった。

それは灯の揺らぎか、あるいは自らの指先のぬくもりか。

もはや区別はつかない。

白はすべてを覆い、光はその白に、静かに沈んでいった。

 

遠くで何かが崩れる音がした。

雪の塔か、それとも記憶の断片か。

けれど、その音さえも、この夜の中では祈りのように感じられた。

 

足元には、かすかな足跡があった。

小さく、軽やかで、すぐに雪に消えていくような形。

追うでもなく、避けるでもなく、ただ同じ方向へと導かれていく。

 

闇の中で、いくつかの灯が寄り添っていた。

まるで誰かが灯していったもののように、一定の間隔で、道の脇に立っていた。

その灯に照らされた雪は、銀でも白でもなく、淡い青に染まっていた。

まるで月の記憶が雪に宿ったように、儚く、確かにそこにあった。

 

雪は、音もなく積もり続けていた。

空と大地の境界が消え、歩くほどに世界は静寂の深みに沈んでいく。

 

時折、空に開いたひとすじの裂け目から、月が顔をのぞかせた。

けれどそれは一瞬の幻のように、すぐさま白い帳に飲まれた。

月の光も、風の囁きも、この地では永く留まることが許されぬのかもしれなかった。

 

それでも、灯だけは消えずにいた。

雪の中に宿るそれは、ひとつ、またひとつと命を持つように輝き、夜の白を淡く染め上げていた。

風がないのに、炎は揺れていた。

まるで心の奥底に眠る、遠い記憶が呼吸をしているようだった。

 

その灯の間を通り抜けるたび、肩に、髪に、まつげに、雪が降り積もっていった。

その重さに気づくこともなく、ただ歩くことが、この夜に溶け込む唯一の術であるように思えた。

 

足元には、いくつもの小さな光の影が、凍った泉のように揺れていた。

水は見えない。

けれど確かに、そこには深い静けさがあった。

冷たさではない。沈黙の深さだった。

 

白く高く積み上げられた雪の門をくぐると、その先に開けた空間があった。

そこには無数の灯が広がっていた。

ひとつひとつが名もなき祈りのように、夜の帳を照らしていた。

どこまでが現か、どこからが夢か。

その境を見分ける術は、もうとっくに失われていた。

 

氷で象られた像が、光を受けて淡く輝いていた。

その輪郭はすでに半ば溶けていたが、だからこそ、なおさら美しかった。

永久を誓ったものよりも、いまにも崩れそうな儚さのほうが、人の心を強く掴む。

 

風が、静かに、ひとひらの雪を運んできた。

その雪は、ひとつの灯の上に落ち、淡く溶けた。

小さな音がした気がした。

呼吸のような、まばたきのような。

それは灯が生きている証だった。

 

雪に囲まれた小路の奥、灯の列が途切れるあたりに、ひときわ高い塔があった。

その頂には、丸く切り抜かれた窓がひとつ。

そこからこぼれる光は、他のどの灯よりも強く、そして、なぜか寂しかった。

まるで空を仰ぎ、誰かを待っているような灯だった。

 

足を止める。

胸の奥に、冷たくも暖かい感覚が差し込む。

ひとつの景色が、確かに心に刻まれる瞬間だった。

それが何か、言葉にはならない。

けれど、深く、静かに、体の底に染み込んでいく。

 

ここには、時間が流れていなかった。

ただ灯と雪と静けさがあるだけで、それだけがすべてだった。

その中に、身を委ねることの安らかさを、初めて知ったような気がした。

 

雪はまだ降っている。

灯はまだ揺れている。

夜の深さのなかで、それらがただ寄り添うように、今も、変わらず。




雪が消えたあとにも、灯はしばらく残っていた。

何も語らず、ただ揺れていた光。
それに照らされるようにして、深く息を吐いたことを思い出す。

白に覆われた風景は、いつか見た夢に似ていたが、夢よりも確かに肌に触れた。
歩いた足跡が消えたとしても、あの夜の静けさだけは消えなかった。

今もきっと、どこかで灯が揺れている。
誰かの胸の奥に、音もなく。
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