泡沫紀行   作:みどりのかけら

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それは、秋という名の深淵だった。
空に手を伸ばすほど高くそびえたつ岩肌が、
紅に染まり、燃えるような幻影を見せる。

風は記憶を運び、
落葉は過去を滑るように流れていく。
私は、その夢の裂け目を歩いていた。




0011 緋の谷の夢

 

山へ続く道は、既に秋の匂いを纏っていた。

 

湿り気を含んだ落葉の上を、

ゆっくりと踏みしめるたび、

小さな音が靴裏で崩れた。

 

 

 

朝はすでに峠を越えていたが、

谷の奥にはまだ夜の影が残っている。

光と影がまだらに交差する斜面を、

私は黙々と歩いていく。

 

 

 

足元には、あか、あか、きいろ、あか。

 

拾っても拾っても終わらない、

大地に降り積もる火の葉。

 

 

 

谷は深かった。

その両側には、切り立った岩の壁がそびえていた。

まるで大いなる獣が口を開けたように、

谷は空へと裂け、風を吸い込んでいた。

 

 

 

その岩肌が、すべて紅に染まっていた。

 

 

 

ただの紅ではなかった。

夕陽を吸ったような深い朱。

夏の余熱が凝縮したような橙。

静かな哀しみを秘めた焦げ茶。

ところどころに滲むような黄。

 

それらすべてが層をなして、

この世の秋を一身に引き受けていた。

 

 

 

私はその真ん中を歩いていた。

 

 

 

頭上には、あらゆる色が燃えていた。

足元には、落ちた記憶が降り積もっていた。

 

 

 

谷の奥へと進むほど、風は冷たくなる。

その風が、木々の枝葉を揺らし、

一枚、また一枚と紅葉が舞い降りてくる。

 

それは、静かな儀式のようだった。

 

 

 

ときおり立ち止まっては、

その葉が空中で回転しながら落ちるさまを眺めた。

 

時間が止まる瞬間。

音が消える瞬間。

空気が沈黙する瞬間。

 

 

 

私は、それらの間に潜り込むようにして進んでいた。

 

 

 

やがて、道は細くなり、

崖の下に細い川が見えてきた。

 

その流れは緩やかで、

紅葉が川面に浮かび、

ゆっくりと回転しながら流れていく。

 

 

 

川は、空を映していた。

 

紅葉と空と水が重なり合い、

視界がどこからどこまでが現実なのか、曖昧になった。

 

私はしゃがみこみ、

一片の葉をそっと拾い上げた。

 

その葉の表面には、

無数の小さな穴が空いていた。

風に削られ、雨に打たれ、

それでも、まだ美しかった。

 

 

 

自然がつくるものは、

最後の瞬間にこそ、美が宿るのかもしれない。

 

 

 

さらに歩みを進めると、

谷の底に岩が乱立する空間が現れた。

 

それらは、まるで巨人の骨のように立ち並び、

そこに何百年も前からあったような威厳を放っていた。

 

その岩肌にも、紅が張り付いていた。

岩と木と、葉と、風。

すべてが紅の色で織り合わされ、

まるでこの谷自体が、

ひとつの巨大な夢のようだった。

 

 

 

私はそのなかに吸い込まれ、

しばし、立ち尽くした。

 

時間が巻き戻るような感覚に陥った。

 

 

 

そう、ここには「今」という概念がなかった。

 

すべてが、遠い記憶のなかにあるようだった。

自分が過去を歩いているのか、

夢を歩いているのか、それすら曖昧だった。

 

 

 

風がまた吹いた。

谷全体が揺らぐような、深い呼吸の音。

 

その風に乗って、

あの白いものがふと浮かんだ。

 

 

 

一片の白い葉。

 

いや、葉ではなかった。

それは冬の始まりを告げる、最初の雪だった。

 

 

 

紅のなかに、

一粒の白が舞い降りたとき、

私は確かに、

季節が終わろうとしていることを感じた。

 

 

 

紅の絶頂は、

いつも終わりを伴っている。

 

美しさとは、消える直前の光だ。

私はその静かな終焉を、

谷の奥深くで見届けていた。

 

 

 

そして、また歩き出す。

 

次の章へと進むように。

別の記憶へと移ろうように。

 

 

 

谷が背後で静かに息を吐いた。

 

その吐息に揺れる紅が、

私の背を見送っていた。

 

 




紅に染まる谷の奥で、私はひとつの季節が終わる音を聴いた。

燃えるような色の下に静かに横たわる、
永遠という名の白い気配。

それは、華やかさの影にひそむ沈黙であり、
時のゆらぎだった。

夢のように消えてゆく景色のなかで、
私は、確かに在るものを見つけた気がした。
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