泡沫紀行   作:みどりのかけら

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朝の気配がまだ淡く、空は白くほどける途中にあった。
足を踏み入れると、土のやわらかな冷たさが靴越しに伝わり、静かな始まりを告げていた。


まだ名も持たぬ香りが空気に溶け、わずかに甘く、そして遠くを思わせる。
視線の先で、幾重にも重なる緑が、何かを隠すように揺れていた。


指先に触れた蕾は固く閉じていながら、内側に微かな温みを秘めていた。
その小さな気配に導かれるように、歩みはゆるやかに奥へと向かっていく。



1211 紅薔薇の精霊が囁く蒼穹の秘苑回廊

薄紅の気配が空に滲み、柔らかな光が枝々にほどけていた。

足元の土はまだひんやりとして、昨夜の湿りを静かに抱えている。

 

 

細い径を踏むたび、落ちた花びらが衣の裾に触れ、かすかな重みを残した。

指先で拾い上げると、紙よりも薄いその肌は、息のように震えていた。

 

 

低く刈られた緑は、まるで波の止まった海のように穏やかで、目を置くと心がほどけていく。

 

 

石の縁に腰を下ろすと、冷たさがじわりと背に伝わり、内側のざわめきが沈んでいった。

遠くで風が枝を揺らし、微かな擦過の音が耳の奥に細く流れ込む。

 

 

薔薇の香りがまだ浅く漂い、眠りから覚めきらぬ精の吐息のように、空気を淡く染めていた。

その気配に触れるたび、胸の奥で何かがほどけ、言葉にならぬ記憶が浮かび上がる。

 

 

白い花弁の裏側に、かすかな青みが潜み、光を受けるたび別の顔を見せていた。

 

 

歩みを進めると、砂利が靴底に細やかな抵抗を返し、ひとつひとつの音が時間を刻んだ。

その単調な律動が、内に残る焦りをやさしく削ぎ落としていく。

 

 

茂みの影は濃く、昼の光を拒むように深く沈み、その奥に静かな気配を宿していた。

そこへ視線を差し入れると、見えぬものに見られているような、薄い緊張が走る。

だがすぐに、風が葉を鳴らし、すべてを穏やかな揺らぎへと還していった。

 

 

指に触れた茎は意外なほど固く、内に強い水を抱えていることを告げていた。

 

 

足を止め、息を整えると、胸の内に残っていた曇りがゆっくりと薄れていく。

代わりに、どこからともなく淡い明るさが満ち、視界の端まで満遍なく広がった。

 

 

淡紅の群れは互いに寄り添い、ひとつの大きな息をしているかのように揺れていた。

その律動に身を委ねると、自らの呼吸もまた同じ調べに溶けていく。

 

 

小径の曲がり角で、光がふと濃くなり、まるで見えない檻のように空間を区切っていた。

その内側に踏み入ると、空気はわずかに温み、香りが一段と深くなる。

 

 

掌に落ちた花びらは、やがて体温に馴染み、存在を忘れるほど軽くなった。

 

 

やがて風が強まり、枝先の花々が一斉に揺れ、空に細かな色の粒を散らした。

その中を歩くと、頬や額に柔らかな触れが重なり、どこか遠い記憶を撫でていく。

足元には新たな層が重なり、踏むたびに沈む感触が深くなっていった。

 

 

静けさが再び満ち、先ほどまでの揺らぎが夢のように遠のいていく。

残された香りだけが細く漂い、見えぬ精がまだ近くにいることをそっと示していた。

 

風がわずかに向きを変え、漂っていた香りが背後へと流れていくのを感じた。

その移ろいに合わせるように、胸の内の余韻もまた静かに位置を変えていく。

 

 

足元の感触が次第に軽くなり、重なっていた花びらの層が途切れはじめる。

乾いた土の粒が靴底に触れ、現実の輪郭がゆるやかに戻ってくる。

 

 

振り返らぬまま歩みを進めると、背中に感じていた気配が薄くほどけていく。

それでも完全に消えることはなく、淡い影のように意識の端に留まり続けた。

 

 

やがて光がひらけ、空の広がりが静かに視界を満たす。

先ほどまでの密やかな揺らぎは遠くなり、ただ柔らかな明るさだけが残されていた。

 




光は次第に角度を変え、花々の色を静かに深めていった。
足元に積もる柔らかな層が、来た道の時間をやさしく覆い隠していく。


掌に残ったかすかな香りが、消えきらずに息の奥へと沈んでいく。
振り返ることなく進む中で、その余韻だけが静かに寄り添っていた。


やがて気配は遠のき、風もまた穏やかにほどけていく。
胸の内に残る淡い明るさが、まだ見ぬ道の先へと静かに続いていた。
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