泡沫紀行   作:みどりのかけら

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その白は、無ではなかった。

冷たさのなかに潜む命の記憶。
静けさの中でさえ鳴り響く、凍った水の脈動。

私は、ひとつの季節に囚われた祈りのかたちを辿る。
氷が語り、光が応える場所へ──
歩みを静かに重ねていく。


0013 光降る氷宮

冷気は、森の奥から漏れ出していた。

 

その気配は、風ではなく、

土の深い呼吸のようだった。

そこに近づくほどに、

空気は音を吸い取り、視界は蒼に染まっていく。

 

 

 

足元の道は細く、凍っていた。

 

靴の裏で霜が軋む音だけが、

冬に残された唯一の音のように響く。

 

枝々には白い結晶が積もり、

まるで空が地上に降りてきたかのようだった。

 

 

 

やがて開けた場所に辿り着いた。

 

その一帯だけ、空間が静止していた。

 

光を纏った氷の柱たちが、

円を描くように並び、天へと伸びている。

 

それぞれのかたちは異なっていた。

 

塔のように聳えるもの、

洞のように内側へ沈み込むもの、

波打つ縁を持つ透明な壁のようなものもある。

 

 

 

どれも、水の記憶を抱いたまま凍てついた彫刻だった。

 

 

 

その中心に立つ。

 

冷気は肌を刺すほど鋭かったが、

痛みではなかった。

 

むしろ、身体の輪郭が風に融けていくような、

境界が曖昧になっていくような感覚。

 

私は、自分が氷に溶け込んでいくのを感じた。

 

 

 

陽が差してきた。

 

氷の尖塔が、瞬く間に光をまとった。

 

透明だった氷が淡く染まり、

青、緑、そして微かに金。

 

氷は、光を通して、

今まで見えなかったものたちの輪郭を映し出していた。

 

過去の風。

水の流れ。

失われた息づかい。

 

 

 

氷はそれらすべてを抱いて、

いま、ここに在る。

 

 

 

私は歩きながら、

一本一本の氷の柱に掌を当てていく。

 

ざらりとした面、なめらかな曲面、

光が砕けるように跳ね返る角度。

 

そのすべてが、

一つの命のように感じられた。

 

 

 

とある氷壁の向こう側に、

光が閉じ込められていた。

 

淡い緋色。

 

それは空に浮かぶ太陽ではなく、

遠い季節の残り火のようだった。

 

炎ではない。

だが、温もりに近い。

 

光そのものが、

記憶としてここに留まっているようだった。

 

 

 

氷の天井に届くほど高い塔の内側に入る。

 

中は静寂だった。

 

外の風の音すら届かず、

ただ、時が凍った音だけがある。

 

冷たさが音になる。

音が、祈りのように耳の奥で反響する。

 

 

 

私はそこに立ち尽くしたまま、

目を閉じる。

 

誰もいない。

 

だが、この場所には、

確かに誰かの祈りがあった。

 

水に向けて、

光に向けて、

そして、

時に向けて。

 

 

 

ここに在る氷は、

そのすべての答えではない。

 

けれど、問いそのもののかたちだった。

 

 

 

塔を出ると、

西の空が色づいていた。

 

蒼から、灰へ、そして紫が滲みはじめる。

 

氷の列がその色を映し返し、

まるで空の残像が地に降りたようだった。

 

氷たちは、

刻々と変わる光の揺らぎをその身に刻みながら、

何ひとつ言葉を発することなく、ただ立っていた。

 

 

 

私は最後に振り返った。

 

そこにはもう、

昼の表情を終えた氷宮の静けさがあった。

 

色を失いはじめた塔の奥で、

ただひとつ、微かに揺らめく光があった。

 

それは、まだ終わっていない夢のようだった。

 

この地に残された

淡い祈りの余韻。

 

 

 

私は足を止めず、

音のない雪道をまた歩き出した。




氷は、凍りついたまま沈黙していた。

だがその沈黙の中には、
確かに誰かの祈りが息づいていた。

水は形を失いながら、
それでもなお何かを伝えようとしていたのだろう。

私が見たのは、風景ではない。
記憶のかたちをした光そのものだった。

永遠とは、こうして静かに息をしているものなのかもしれない。
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