泡沫紀行   作:みどりのかけら

1429 / 1455
白い空はまだ浅く、夜の名残が薄く漂っていた。
足裏に伝わる冷えが、目覚めきらない感覚をゆっくりと起こす。
遠くで何かが軋むように響き、静寂に細いひびが入った。


指先に息をかけると、わずかな温もりが戻る。
その頼りなさが、これからの道を柔らかく照らす。


雪の上に最初の一歩を刻むと、音はすぐに吸い込まれた。
残らないことの軽さが、胸の奥で静かに広がる。
白の奥に潜む気配だけが、進む先をほのかに示していた。



1429 酒樽に封じられた月光の夢

雪は音を飲み込み、足裏の感触だけが道を示した。

薄く差す光が白を裂き、遠い輪郭をやわらかく結ぶ。

掌に落ちた結晶はすぐに消え、冷たさだけが残る。

 

 

息を吐くたびに胸の奥が澄み、静けさが深まっていく。

肩に積もる軽さが、重い記憶をゆっくりほどいた。

 

 

軒下に並ぶ樽の影が、月の形を抱えていた。

木肌は乾いた音を隠し、触れるとほのかに温い。

内に封じられた香りが、冬の底で息をしている。

指先に残る樹脂の匂いが、夜の奥へと導いた。

 

 

白い息が風にほどけ、耳の奥で小さく鳴る。

凍った地面は硬く、踵に確かな響きを返す。

歩幅を合わせるたび、時間が薄く伸びていく。

 

 

袖口から忍び込む冷えが、皮膚を静かに刺した。

 

 

樽の縁に手を置くと、微かな湿りが指を包む。

月光は液の夢を撫で、揺らぎを深く沈める。

唇に触れた想像の滴は、甘くも苦くもない。

ただ透明な輪が喉を通り、胸に静かな灯を残す。

遠くで雪が崩れ、音だけが柔らかく降りた。

 

 

歩くほどに、白は白でなくなり、影の濃淡を帯びる。

足跡はすぐ消え、残らないことが救いに変わる。

空は低く、息は短く、鼓動だけが確かに続く。

 

 

指先のかじかみがほどけ、血の巡りが温く広がる。

樽の側面に頬を寄せると、わずかなぬくもりを感じた。

 

 

夜は深まり、月は薄く、光は水のように流れた。

白の上に青が重なり、境目がやわらかく溶ける。

私はその境を踏み、内側へと静かに入っていく。

足音が自分のものではないように遠のいた。

 

 

掌にすくった雪が舌に触れ、かすかな痛みを残す。

それはすぐ消え、空虚だけが澄んで残った。

樽の影が長く伸び、時間を静かに縫い合わせる。

 

 

薄い木蓋に耳を当てると、眠りの奥で何かが揺れた。

それは声ではなく、香りでもなく、ただの気配だった。

胸の奥で同じ揺れが応え、境界がほどけていく。

冷えた空気が肺に満ち、内側が白くなる。

その白がやがて、柔らかな暗さへと変わった。

 

 

足裏に伝わる硬さが、歩みの確かさを支えていた。

指の感覚が戻り、世界の輪郭が少し濃くなる。

樽はただそこにあり、月を静かに抱いている。

 

 

雪面に映る光が揺れ、私の影もまた揺れた。

揺らぎの中で、輪郭はほどけ、境が曖昧になる。

息は細く長く、夜の底へと沈んでいく。

耳の奥で、遠い水の気配が微かに響いた。

 

 

樽から離れ、歩みを重ねるたび、胸の灯は静まる。

冷えた頬に触れる風が、残り香をやさしく運んだ。

 

 

樽の並びが途切れ、白い空間だけが静かに広がっていた。

足裏の感触はやわらぎ、雪はわずかに沈み込む。

胸に残っていた灯は、風に撫でられるように淡くなる。

 

 

掌を開くと、冷えた空気がそのまま流れ込んだ。

何も掴まない軽さが、指の間で静かにほどける。

遠い気配が一つ消え、もう一つも続いて薄れていく。

 

 

歩みを重ねるほどに、白は深く、音はさらに遠のく。

耳の奥に残っていた揺らぎも、いつしか静まり返る。

 

 

頬に触れる冷たさが、輪郭を確かに保ちながらも柔らかく崩す。

息は細く長く伸び、その先で夜と静かに溶け合った。

 




夜の底に溶けた光は、もう形を持たずに漂っていた。
胸に残る温もりだけが、確かにそこにあったことを伝える。
足裏の感触は変わらず、静かな硬さを保っている。


振り返らずに歩くと、影はすぐに白へとほどけた。
残らないことが、やがて穏やかな余白へと変わる。


冷えた空気が頬を撫で、わずかな香りを運んでいく。
それはもう触れられず、ただ内側で静かに揺れている。
やがてその揺れも溶け、夜と同じ深さへと沈んでいった。
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