泡沫紀行   作:みどりのかけら

1446 / 1455
まだ陽の名残がわずかに漂い、空は淡い灰を帯びていた。
歩き出す前から、どこかへ導かれているような静けさがあった。


乾いた風が頬を撫で、季節の移ろいが皮膚の奥へと染み込む。
遠くの輪郭は曖昧で、確かめるよりも委ねるほうが自然に思えた。


足元に散る葉が、かすかな音を重ねていく。
それは始まりを告げるには控えめで、けれど確かに何かが動き出していた。



1446 霧に隠れた天空の見張り場

霧はまだ浅く、宵の気配だけが先に足もとへ落ちてきていた。

乾いた落ち葉が靴裏で細く砕け、微かな音が耳の奥に残る。

 

 

指先に触れた空気は冷え始め、布の袖越しにじんわりと染みてくる。

遠くの稜線はほどけた糸のように曖昧で、視線を留めるほどに薄れていった。

 

 

歩幅を少し緩めると、地面の傾きが静かに身体へ語りかけてくる。

土は柔らかく、踏むたびにわずかな湿りを返し、確かな重みを伝えた。

呼吸は白くならず、それでも胸の内側だけがひやりと澄んでいく。

 

 

低く垂れた枝が額に触れ、細かな水滴が肌をかすめる。

それは冷たいというより、目覚めに似た感触だった。

 

 

足先から伝わる温度が、ゆっくりと宵の深さに馴染んでいく。

どこからともなく漂う匂いは、乾ききらない草の記憶を含んでいた。

 

 

視界は閉じるでもなく開くでもなく、ただ均されていく。

霧の層が重なり、奥行きは指で撫でられるほどの厚みに変わる。

そのなかで、自分の輪郭だけがわずかに確かだった。

 

 

耳に届くものは少なく、かわりに沈黙の質感が増していく。

それは柔らかな布のように、周囲を包み込みながら重さを持っていた。

 

 

ひとつひとつの歩みが、遅れて心に届く。

足裏に残る感触が、時間を少し引き延ばしているようだった。

湿った土の冷えが、かすかに体温を吸い取っていく。

 

 

霧の向こうに淡い明かりの気配が滲む。

それは空の残り火なのか、地の記憶なのか判然としない。

 

 

肩に触れる空気は次第に厚みを増し、押し返されるような感覚を伴う。

進むほどに、軽さは足元に沈み、重さだけが上へ浮かんでくる。

 

 

指先を広げると、霧は静かに絡みつき、すぐに離れていった。

その触れ心地は、乾いた絹に似て、かすかにざらついている。

 

 

視線を遠くへ投げるたび、何かを失うような気がした。

近くを見るほど、細部が穏やかに整っていく。

その均衡の中で、呼吸だけが深く沈んでいった。

 

 

頬を撫でる風はほとんどなく、代わりに空気そのものが流れていた。

ゆるやかな移ろいが、肌に薄い膜を重ねていく。

 

 

足を止めると、すべてが一段と静まる。

歩いていた痕跡だけが、内側で微かに揺れている。

 

 

掌に残る冷えが、少しずつ温度を取り戻す。

その変化は緩やかで、まるで時間が遅れて戻ってくるようだった。

霧の奥で、何かがほどける気配がした。

 

 

宵は深まりながらも、暗さを急がない。

薄い層を重ねるように、景色を柔らかく包み込む。

 

 

振り返ると、通ってきた道はすでに均され、ただ白さが広がっていた。

足元に残る感触だけが、そこに在った時間を静かに縫い止めている。

 

 

白さの奥で、気配だけがゆっくりと解けていく。

触れていたはずの境界は曖昧になり、内と外の区別がやわらぐ。

 

 

足裏に残る冷えが、次第にやさしく変わっていく。

踏みしめた感触は消えず、むしろ深く静かに沈み込んでいった。

わずかな温度の揺らぎが、身体の奥にほのかな余韻を残す。

 

 

視界の端で霧がほどけ、空気は透明さを取り戻し始める。

その変化は急がず、ただ確かに、次の静けさへと道を開いていた。

 




霧はやがて薄れ、残された空気だけが静かに澄んでいく。
触れていたはずのものは形を失い、感触だけが内側に残った。


歩みの余韻が足裏に残り、そこから時間がほどけていく。
振り返る必要もなく、過ぎたものは穏やかに沈んでいた。


冷えた指先に、わずかな温もりが戻る。
それは確かな変化ではなく、ただ在ることを許すような柔らかさだった。
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