泡沫紀行   作:みどりのかけら

15 / 1193
風に導かれ、ただ歩いた。

この旅の終わりか始まりか、
そんなことさえ曖昧なまま、

北へ、

さらに北へと、

影を細くしながら。


0015 地の果ての光

背後に深い森を残し、

無言のまま広がる丘を越えると、

大地の輪郭が静かにほどけていった。

 

空はすでに傾き、

世界を包む光は朱を帯びて柔らかく、

あらゆるものの端を、夢の中のように滲ませていた。

 

風が、しんと冷たい。

けれど、それは拒むものではなかった。

遠くからやってきた者を、名も問わず迎え入れるような、

静かでおだやかな冷たさだった。

 

歩き続けるうちに、

草は低く、石は丸く、

風に擦れ合う音だけが耳に残るようになった。

 

やがて、道は消えた。

それでも足を止める理由はどこにもなかった。

空の底へと沈むようにして、足元が淡く明るくなっていく。

その先にあるものは、まるで、

この世界の名残のように、静かに、そして厳かに佇んでいた。

 

光が、そこにあった。

 

海と呼ばれるものよりも、さらに広いもの。

果てがあるのかも定かではない、

けれど確かに息づいている、深く冷たいもの。

 

それが、ゆっくりと光を抱いていた。

 

空の底に浮かぶ薄紅の円が、

凪いだ水面にそのまま沈みかけていた。

空と海の境はもはや存在せず、

ただひとつの色、ひとつの温度、ひとつの呼吸が

地上と天上を繋いでいた。

 

風が吹いた。

 

光が揺れた。

海が、はじめて言葉をもったように、

静かに、波を寄せてきた。

 

足元の岩は冷たく濡れ、

それでも心は、遠く温かいものに包まれていた。

生きとし生けるものの記憶が、

この場所にはすべて刻まれているようだった。

 

ただの海ではない。

ただの夕陽でもない。

 

ここは、かつて誰かが辿り着き、

すべてを手放した果ての光。

 

永遠と呼ばれるものが、

初めて輪郭を持つ瞬間が、

ここに、確かに存在していた。

 

雲はひとつ、細く流れ、

光を切り取るようにして空を裂いた。

その隙間から、最後の朱が、静かに海へと沈んでゆく。

 

影は長く、

影は儚く、

やがて世界そのものが影となった。

 

光は、沈んだのではない。

溶けたのだ。

 

この大地の記憶の中に。

この海の深さの中に。

この風の静けさの中に。

 

私はただ立ち尽くし、

その沈黙を、深く、深く吸い込んだ。

 

どれほどの時が流れていたのか、

それはもう重要ではなかった。

 

光があった。

それだけで、世界は充分だった。

 

背後にあった影さえ、

この場所では意味を持たない。

未来も過去も、誰の名も、

この瞬間の静けさの前では、ただの風のようなものだった。

 

光が終わり、闇が訪れた。

けれど、それは悲しみではなかった。

 

すべてを包む、

始まりに似た終わりだった。

 

そのとき、草の上で揺れるひとひらの白が、

視界の隅にやさしく揺れた。

雪でもなく、羽でもなく、名のない何か。

けれど確かにこの世界から生まれ、

この場所へ還ってきたもののようだった。

 

踏みしめる土の下には、

数え切れぬほどの旅人たちの気配が眠っていた。

語られなかった想い、

書き残されなかった願い、

風と同化し、光と混ざり、

ただ静かに、ここに在り続けている。

 

波音が、すこしだけ近づいた。

けれど海は依然として静かだった。

何かを迎えるようで、

何かを見送るようで、

その両方が重なっていた。

 

私はひとつ息を吐いて、

もう一度、光が沈んだ場所を見つめた。

 

何も変わらないままの景色が、

なぜだか、とても懐かしかった。




どこまでも遠く、
どこまでも白く。

この世界の果てに、
言葉では届かぬ静けさが、
確かに存在していた。

その静けさこそが、
この旅の答えだったのかもしれない。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。