泡沫紀行   作:みどりのかけら

1508 / 1515
まだ形を持たぬ朝の気配が、薄い膜のように世界の輪郭を覆っている。
その内側で、歩みは始まりとも終わりともつかぬまま静かに揺れている。


風は遠い記憶を撫でるようにして、見えない道筋へ微かな誘いを残す。
胸の奥では硝子の響きがかすかに鳴り、まだ名もない高みを予感している。


雲の層は重なりながら薄く裂け、光はそこに滲むような門を描き出す。
その裂け目を見上げる視線だけが、静かに内側の時間を押し広げていく。



1508 天界眺望の雲門

硝子の魂を背に、風の細い道を一歩ずつ歩き続ける。

夏の空は澄み渡り、大地は遠い記憶のように揺れる。

 

 

風は肌を撫で冷たさと熱を同時に運び込んでくる。

呼吸のたび胸の奥に光の砂が積もっていく感覚がある。

 

 

雲は重なり合い空に門の影を形づくりはじめている。

その門は揺れながら開閉を繰り返し視線を誘い込む。

 

 

石の硬さが足裏に響き歩みを現実へと繋ぎ止めている。

砂の微かな音が靴底に擦れ乾いた響きが心へ残る。

 

 

言葉のない沈黙が胸の奥へ広がり思考を水底へ沈める。

 

 

光は雲を透かし山肌へ幾重にも層を描き出している。

時間の輪郭は揺らぎ歩みそのものが溶けていくようだ。

 

 

岩肌を覆う苔は湿りを含み柔らかな触感を思わせる。

緑の奥には水の気配が潜み静かな律動を感じさせる。

 

 

高みに近づくにつれ呼吸は浅くなり胸に重さが積もる。

澄んだ空気が内側を削ぎ落とし余計なものを消していく。

 

 

背に宿る硝子の魂は微かに軋み境界を薄く反射させる。

ひびの奥の光が記憶を集め見えない像を浮かべている。

 

 

風はさらに強まり骨へ直接触れるように流れ込み続ける。

その圧は歩みを押し戻しながら前へ進む意志だけ残す。

 

 

雲の切れ間が開き空の深い青が姿を現し始めていく。

その広がりは終わりなき入口のように視線を引き込む。

 

 

脚は重さを増しながらも地を離れず歩行は祈りへ変わる。

筋肉の奥に震えが続き存在そのものが試されていく。

 

 

内側の濁りが剥がれ落ち透明な感覚だけが残りはじめる。

それは静かな空白として広がり思考の輪郭を消していく。

 

 

雲は細い回廊のように連なり空と大地の境界を曖昧にする。

通路を進むたび時間は後方へ滑り落ちるように遠ざかる。

 

 

誰の気配もない高みで孤独は透明な膜として満ちている。

 

 

雲門の中心に近づくと空気は静かに重みを増していく。

境界を越える瞬間身体は未知の均衡へ置き換えられる。

 

 

硝子の魂に走るひびが広がり世界へと溶け出していく。

個の形を失いながら風と雲の間にかすかに留まり続ける。

 

 

高みの静けさは永遠のように広がり時間の概念を解く。

残された感覚だけが余韻となり見えない道筋を消していく。

 

 

雲の奥で硝子の輪郭はゆっくりと溶け、光の粒へほどけていく。

身体の重さは消え、風の流れに沿って記憶だけが浮遊している。

境界を持たない感覚が静かに広がり、空と同じ呼吸を始める。

 

 

残響のような歩みの感覚だけが、まだ足元にかすかに残っている。

雲門の余白は閉じることなく揺れ続け、静寂は深さを増していく。

 

 

すべてが溶けたあとに残るのは、風に似た沈黙だけであった。

その沈黙は境界を持たず、呼吸の奥へとゆるやかに沈み込んでいく。

 




硝子のかたちはもはや遠く、光の粒となって空間に散っている。
触れたはずの高みは、指先の温度だけを残し静かに消えている。


歩みの記憶は雲の奥でほどけ、ひとつの流れへと還っていく。
残された意識は名もない余韻となり、空の深さに溶け続けている。
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