湿った土は草履の裏へ重く絡み、歩幅を少しずつ鈍らせていた。
谷間を渡る風には冷えた水気が混じり、袖口の布を静かに湿らせた。
遠くで砕ける波音はまだ小さく、それでも胸の奥へ細く届いていた。
岬へ近づくにつれ、空の青みがわずかに硝子めいて澄み始めた。
乾いた喉へ塩気が触れ、見えない海の輪郭だけが先に滲んできた。
波の退いた礫浜に、薄青い硝子の欠片のような石が沈んでいた。
乾いた潮風が唇を裂き、舌にわずかな鉄の味を残した。
崩れた崖肌から白い粉砂が流れ、足首へ淡くまとわりついた。
陽に温められた石を踏むたび、踵の奥へ鈍い熱が沈んだ。
海は濁りを持たず、深いところだけ群青に翳っていた。
背負袋を下ろすと、肩に残っていた重みが遅れて脈打った。
海鳴りは低く、胸骨の裏側へ湿った震えを押し込んできた。
浜辺には砕けた碧晶が散り、波に濡れるたび青白い膜を浮かべた。
拾い上げたひとつは冷えきり、掌の熱を静かに奪っていった。
濡れた指先には塩が結晶し、皮膚を細く裂いていた。
雲は高く、光だけが音もなく降り積もっていた。
遠い岬の影は海面へ細長く溶け、潮の揺れに合わせて崩れていった。
昼を越えるころ、砂混じりの風が脛を打ちつけ始めた。
歩みを止めるたび、衣の裾に溜まった湿気が肌へ貼りついた。
喉の奥には温い潮気が残り、水を飲んでも消えなかった。
波打ち際には藻の匂いが濃く漂い、腐りかけた甘さを含んでいた。
足裏の石は丸く磨かれていたが、ときおり刃のような欠片が混じっていた。
崖下の陰へ身を寄せると、冷気が脇腹を静かに刺した。
岩壁には透明な筋が幾重にも走り、濡れた鉱脈のように淡く光っていた。
触れた指先だけが冷え、腕の深くまで静かな痺れが広がった。
潮騒の隙間で、小石同士の擦れる音が絶えず鳴っていた。
その細い響きは、硝子器の底で砕ける霜に似ていた。
浜の端には黒い岩棚が突き出し、白波を幾度も噛み砕いていた。
濡れた岩を踏むたび、足裏から硬い冷たさが膝へ這い上がった。
海霧は低く漂い、袖口へ細かな水滴を縫い込んでいた。
雲間の陽が傾き始めると、碧い石の輪郭だけが急に濃く浮かび上がった。
乾ききった掌に乗せると、石は水を含んだ瞳のような重みを返した。
遠浅の海では、小波が幾重にも重なり白い筋を曳いていた。
その揺れを眺めていると、胸の内側に沈んでいた古い湿りまで揺れ始めた。
風は弱まり、耳朶に残る潮音だけがゆるやかに脈を刻んでいた。
浜へ流れ着いた流木には、長い歳月に削られた柔らかな窪みがあった。
指を滑らせると、水を吸った木肌がわずかに沈み、冷えた泥の感触を返した。
空の青みが薄れるにつれ、海面は鉛色へ静かに沈んでいった。
砕けた石の欠片だけが微かな光を留め、波間で淡く瞬いていた。
歩き続けた足は重く、脹脛の奥に鈍い熱を抱えていた。
湿った草を踏むたび、冷えた露が足袋へ染み込み、皮膚を縮ませた。
それでも潮の匂いは途切れず、背後から細く追いかけてきた。
崖上へ出ると、海は一枚の碧晶のように静まり返っていた。
風に削られた岩肌だけが白く乾き、夕闇の縁で骨のように浮いていた。
掌に残していた小石は、夜気の中でさらに冷えていた。
握り込むほど硬さは澄み、指骨の隙間へ静かな重みを沈めた。
遠くで波が砕け、その白さだけが闇の底に長く残っていた。
夜更けの浜では、波の白さだけが闇の底で静かに揺れていた。
掌に残る碧晶の冷たさは薄れず、骨の内側へ淡く沈んでいた。
崖道へ戻るころ、潮風は背から衣をゆるく押し続けていた。
濡れた石を踏むたび、小さな響きが足裏で乾いて砕けた。
海はもう見えなかったが、耳の奥には絶えず潮騒が残っていた。
その湿った余韻だけが、夜明け前の空気に細く溶け続けていた。