朝の靄は低く流れ、枯れ枝の先だけを白く隠していた。
古い道には細かな砂利が浮き、草履の裏へ冷えを染み込ませた。
遠くで水の落ちる音が続き、その響きだけが空の深さを知らせていた。
乾いた喉へ山風が触れ、胸の奥まで静かに澄んでいった。
杉の並ぶ坂を見上げると、暗い梢の隙間に淡い春の色が滲んでいた。
湿りを帯びた土の匂いは重く、旅の埃をゆっくり沈めていった。
湿りを含んだ風が山裾から流れ、草履の裏に淡い泥を貼りつけた。
杉の根元にはまだ薄い雪が残り、白さだけが朝の暗みから浮いていた。
低い雲がゆるやかに崩れ、軒先から垂れた水が石を細く打っていた。
濡れた袖口は冷え、指先だけが遅れて季節を悟った。
長い坂を踏み上がるたび、胸の奥で鈍い息が揺れた。
苔を噛んだ石段は柔らかく沈み、足裏に古い水気を返してきた。
乾ききらぬ土の匂いが、衣の内側まで入り込んでいた。
深く組まれた木の影は静かで、見上げるほど暗かった。
細い隙間を抜けた光だけが、床の端に白く滲んでいた。
戸口に触れると、冷えた木肌が掌に重く残った。
爪のあたりまで冷気が沁み、わずかに肩が縮んだ。
奥から漂う香の淡さは、雨水に濡れた灰のようであった。
濡れた庭土に白い花弁が散り、薄皮のように貼りついていた。
踏まずに歩こうとするほど、裾が湿りを吸い込んでいく。
風が止むたび、耳の奥だけが不思議に明るくなった。
柱に刻まれた傷へ指を沿わせると、細かな裂け目が乾いていた。
遠い年月のざらつきが皮膚へ残り、歩幅まで静まっていった。
薄暗い廊の隅で、小さな火がゆっくり揺れていた。
煙はまっすぐ昇らず、低い天井に淡く滞っていた。
その揺れを見ていると、旅のあいだ胸に溜めたものが、少しずつ沈んでいった。
山から流れてきた水音が、床下の空洞で細く響いていた。
耳を澄ますほど遠ざかり、また近づいてくる。
冷えた板の上に座ると、腰骨へ硬さがじかに伝わった。
白い花を抱えた枝が風に擦れ、乾いた音を零していた。
その響きは夜更けの衣擦れに似て、胸の奥でゆるく揺れた。
曇り空がわずかに裂け、濡れた瓦へ薄陽が差した。
淡い光はすぐ陰へ呑まれ、それでも木肌だけは静かに艶を返していた。
雨上がりの匂いに混じり、若い草の青さが鼻先をかすめた。
歩き疲れた脚を伸ばすと、脛に鈍い熱が溜まっていた。
草履を脱いだ足裏には細かな砂が残り、指先へざらりと触れた。
軒下に落ちた雫は途切れず、同じ場所へ小さな輪を作っていた。
それを見つめていると、眠りかけた記憶の底で白い影だけが揺れた。
風が抜けるたび、堂内の暗みが静かに動いた。
誰も触れていないはずの灯が、ひと息ごとに細く痩せていった。
冷えた空気の重さだけが、肩へ柔らかく積もっていた。
杉の梢から落ちた水が頬を打ち、薄い冷たさを残した。
空はまだ灰色のままで、山並みも淡く霞んでいた。
それでも湿った土の奥には、やわらかな芽吹きの気配が沈んでいた。
坂を下りるころには、衣の裾が歩みに合わせ静かに乾き始めていた。
振り返った先の屋根は霧へ溶け、白い花だけがぼんやり浮いていた。
暮れ残る空は淡く濁り、山際だけに細い光が留まっていた。
濡れた石畳は冷えを抱えたまま、歩幅に合わせ静かに鈍く光った。
遠ざかる屋根の影は霧へ溶け、白い花だけが夕闇へ浮いていた。
袖に残った香の匂いは薄れながらも、指先の冷たさだけを消さなかった。
風が止むたび、耳の奥で小さな水音が揺れていた。
坂を下りきった頃には、草履の裏の泥も乾き始めていた。
振り返る先にはただ暗い木々が重なり、その奥に淡い春の気配だけが眠っていた。