私は凍った枯草を踏み分けながら、山肌に浮かぶ淡い青光を追っていた。
その光は遠ざかるたび濃くなり、胸の奥へ湿った重みを落としてきた。
谷間へ降りる風には古い香木の匂いが混じり、外套の隙間から皮膚を静かに削いだ。
指先は感覚を失いかけていたが、掌だけが見えない熱源を探るように疼いていた。
雪原の彼方には、龍の背骨に似た黒い稜線が沈黙したまま横たわっていた。
石段の入口へ辿り着くころ、辺りの気配は異様な静けさへ変わっていた。
誰かの祈りが朽ちたあとの余韻だけが、凍気に混じって漂っていた。
私は白く曇る呼気を抱えたまま、その深部へ足を踏み入れた。
峠を越えるころ、雪は乾いた灰のように肩へ積もり、外套の縫い目へ静かに染みこんだ。
谷底から昇る白い息が膝裏を撫で、歩幅だけが沈黙の深さを測っていた。
杉に似た黒木の列は、凍った水脈を抱えたまま空へ伸び、その枝先から硝子片のような霜を落としていた。
頬へ触れた欠片は熱を奪い、皮膚の裏側に薄い痺れを残した。
山腹には龍の骨格を思わせる石段が埋もれ、雪の下で微かな起伏だけを浮かべていた。
足裏へ返る硬さが不規則で、踏むたびに眠りの浅い獣へ触れている気配があった。
古い門に似た影を潜ると、空気の重さが変わり、肺の内側へ冷えた水が満ちる感覚に襲われた。
柱の裂け目には藍色の氷が張りつき、曇った光を静かに呑みこんでいた。
境内らしき広がりには雪が均され、誰かの歩行を消したあとだけが淡く残っていた。
その消え際の輪郭へ靴先を寄せるたび、胸骨の裏で細い振動が返ってきた。
軒から垂れる氷柱は短い刃の列となり、風の揺れに合わせて鈍く軋んだ。
耳へ届くその擦過音は声にならず、乾いた祈りだけを周囲へ滲ませていた。
石畳の裂け目には暗い水が眠り、覗きこむと深部で青白い鱗のような光が揺れた。
屈んだ膝へ冷気が絡みつき、立ち上がる頃には感覚の境目が曖昧になっていた。
堂の奥へ続く回廊は異様に長く、歩くたび床板の下で遅れた鼓動が返った。
掌を壁へ当てると、湿った木肌の内側に低い熱が封じられていた。
天井近くには煤けた龍影が残り、その眼窩だけが雪明かりを吸っていた。
視線を向けるほど肩の重みが増し、首筋へ細い圧が沈んでいった。
回廊の終端には浅い池があり、水面は凍結せず黒い鏡のまま揺れていた。
縁石へ腰を触れさせると、石の冷えが骨盤を通って背骨へ昇った。
池の中央には硝子質の花弁が散り、風もないのに微かに位置を変えていた。
その移動の軌跡だけが白く曇り、誰かの残響のように長く尾を引いた。
奥の壁面には無数の爪痕が刻まれ、古い雪の匂いがそこへ沈殿していた。
指先で溝をなぞると、乾いた痛みが爪裏へ入り込み、血の温度だけが際立った。
吹き抜ける夜気は香木に似た甘さを含み、喉へ触れたあと静かに冷えていった。
その匂いの底には、水底で眠る巨大なものの湿った体温が潜んでいた。
私は中庭へ降り、積雪へ膝まで沈みながら崩れた石塔のそばを巡った。
雪の内部から遅れて返る冷たさが脛を締めつけ、歩行の輪郭を鈍らせた。
空には薄い月が浮かび、その輪郭だけが青く滲んでいた。
見上げるたび瞼の裏へ淡い鱗模様が残り、視界の奥でゆっくり脈打った。
堂の背後には洞穴めいた裂け目があり、内部から温い霧が流れ出していた。
近づくほど掌の汗が冷え、指関節に細かな震えが集まってきた。
裂け目の奥では、水音とも呼吸ともつかぬ揺らぎが断続していた。
私は壁へ肩を預け、その振動が肋骨へ染み込む速度だけを黙って数えた。
やがて雪は細かな灰へ変わり、境内全体を淡く覆い始めた。
来た道を戻るころには足跡の半分が埋まり、眠れる龍の気配だけが背後で静かに目を閉じていた。
霊域を離れたあとも、肩には冷えた圧だけが薄く残っていた。
山道へ戻ったはずなのに、足裏にはなお石畳の硬質な感触が貼りついていた。
雪は静かに降り続き、来た道の輪郭を淡く埋めていった。
夜明け前の空は硝子を削ったような青灰色に沈み、遠い峰々を曖昧に霞ませていた。
耳を澄ませるたび、水底で身じろぐ巨大なものの残響だけが胸骨へ触れてきた。
私は外套を掴む指へ微かな震えを感じながら、歩行の速度を変えずに進んだ。
やがて山裾の霧が濃くなり、背後の霊域は完全に白へ呑まれて消えた。
それでも瞼の裏には、あの黒い池と龍影の青白い輪郭が沈み続けていた。
凍えた呼気を吐くたび、硝子の魂に似た静かな冷たさだけが肺の奥で揺れていた。