泡沫紀行   作:みどりのかけら

1547 / 1553
薄青い霧が海辺の低地を覆い、湿った塩気が喉の奥へ静かに沈んでいた。
私は崩れた石畳を踏みしめながら、遠くで脈打つ蒼い灯を見つめていた。


風は冷えているのに、その灯の周囲だけが淡い熱を孕み、夜気を歪めていた。
外套の裾を揺らす圧の向こうに、誰かの残した体温に似た気配が滲んでいた。


黒い砂を踏むたび、靴底へ硬質な震えが返り、骨の芯まで細く軋む。
私はその脈動へ導かれるように、硝子色の谷へ歩みを進めた。



1547 蒼焔の鋼心炉

濡れた砂丘の縁を歩くたび、足裏に冷えた粒子がまとわりつき、脛の奥へ鈍い重みを沈めた。

灰色の入江には蒼い焔が低く漂い、波ではなく呼気のような揺れで岸壁を湿らせていた。

 

 

潮気を含む風が肩を押し、外套の内側へ細かな熱を流し込む。

遠くに積層した硝子塔群は、曇天を映しながら脈のような明滅を繰り返していた。

 

 

浜辺に残る黒い粉を指で払うと、鉄を擦った後のような匂いが爪先へ残った。

その粉は風に散らず、むしろ足首へ絡みつき、歩幅を測る秤のように沈んでいく。

 

 

低地へ降りる途中、地面の奥から鈍い震えが続き、踵に細かな痺れを伝えた。

草は一方向へ伏し、見えない流れが谷全体を押し広げていた。

 

 

蒼焔は夕刻になるほど濃くなり、青磁の割れ目から滲む灯りのように湿っていた。

その明るさは空を照らさず、胸骨の裏側だけを淡く熱してくる。

 

 

硝子質の崖へ触れると、表面は冷えているのに内部だけが脈打っていた。

掌を離した後も、指先には薄い振動が長く残響していた。

 

 

水脈の干上がった溝には、焼けた金属片に似た石が沈み、霜を帯びた光を返していた。

踏むたびに硬い音が靴底へ跳ね返り、膝の裏を乾いた緊張が走る。

 

 

谷底の空気は重く、呼吸を吸うたび肺の内壁へ煤けた温度が貼り付いた。

どこかで巨大な炉心が脈動しているような気配だけが、霧の深層から滲み出していた。

 

 

崩れた堤のそばには、幾重もの足跡が化石のように固着していた。

そこに並んでいたはずの気配は既に失われ、残るのは体温の抜けた凹みだけだった。

 

 

夜へ傾く頃、蒼い焔が海霧を押し上げ、空の低い部分を硝子色に変えていく。

頬へ当たる湿気は温く、それでいて骨の芯を冷やした。

 

 

私は細い石路を辿り、黒鉄に似た岩壁の裂け目へ身を寄せた。

岩肌は濡れており、背中へ染み込む冷たさが静かな圧となって広がる。

 

 

裂け目の奥には円形の窪地があり、その中央で蒼焔が静かに回転していた。

炎でありながら燃える音を持たず、水面のような滑らかさで揺らいでいた。

 

 

窪地を囲む柱状の鉱層は、内側から照らされた骨格のように青白かった。

触れると微かな熱があり、掌紋の奥まで細い痺れを沈めてくる。

 

 

足元には硝子化した砂が広がり、踏むたび靴裏で薄く軋んだ。

その響きは遠い残響を呼び覚まし、誰かの祈りに似た密度を空気へ混ぜた。

 

 

私は焔の近くへ膝を下ろし、滲む熱へ両手を差し出した。

熱は皮膚を焼かず、むしろ冷えた血流をゆっくり持ち上げ、肩の奥で淡く揺れる。

 

 

天井の裂け目から落ちる雫が蒼焔へ触れるたび、短い閃光が窪地を満たした。

その一瞬だけ、硝子壁の内側に無数の影が立ち現れ、すぐに霧へ溶けていく。

 

 

影たちは輪郭を持たず、ただ温度差だけを残して消えた。

私はその余韻を胸へ受け止めながら、硬く冷えた地面へ指を押し当てた。

 

 

やがて焔の回転は緩やかになり、谷全体を包んでいた震えも静まっていく。

湿った風だけが頬を撫で、遠い潮騒に似た圧を耳の裏へ残した。

 

 

窪地を離れる頃には、硝子化した砂の光も薄れ始めていた。

それでも靴底には青い熱の感触が残り、歩くたび静かな脈動となって足裏を打った。

 




谷を抜けた頃には、蒼焔の明滅は背後の霧へ静かに沈み始めていた。
それでも肩口には微かな熱が残り、冷えた夜気の中で淡く揺れていた。


湿った風が海面を撫で、遠い潮騒に似た圧を断続的に運んでくる。
振り返った先には何も見えず、ただ硝子質の空だけが青白く曇っていた。


歩き続ける足裏には、あの炉心の脈動がまだ薄く残っている。
私は乾いた砂丘へ影を引きずりながら、次の霧へ静かに沈んでいった。
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