泡沫紀行   作:みどりのかけら

1557 / 1557
薄い灰光の層が地面の奥から滲み出ている。
私はその上を歩きながら、まだ形を持たない記憶の気配を踏んでいる。
空気は湿度というよりも未整理の時間として肌に貼りつく。


遠くに硝子の輪郭が立ち上がる前兆がある。
それは視界というよりも皮膚の内側で予感される歪みである。
足裏の感触だけが、進行方向を確かに示している。


風は断片化された温度を運び、途中でほどけて消える。
私はそれを受け取りながら、名前のない箱庭へ近づいていく。
歩行は意思ではなく、記憶の残響に押されて続いている。



1557 記憶を蒐集する静寂の箱庭

薄硝子の記憶箱庭へと続く湿った道を歩く。

足裏に沈む灰土が微かな温度を返す。

風は影のように皮膚をなぞり消える。

 

 

呼吸のたび喉に冷えた粒子が積もる。

遠くで割れた光が地表に滲んでいる。

歩みは音を持たず湿度だけを増幅させる。

 

 

箱庭の外縁には記憶の沈殿が層を成す。

指先が空気に触れると重さだけが残る。

見えない圧が肩から静かに降下する。

 

 

硝子の壁に似た輪郭が地平へ伸びている。

そこに触れると過去の温度が微かに跳ねる。

足元の土は柔らかくも記録の硬さを孕む。

 

 

記憶を蒐集する静寂の場が近づいている。

音の欠落が逆に密度を増していく。

皮膚の表面に薄い膜が張りつく感覚がある。

 

 

透明な層の内側で時間が折れ曲がる。

歩くたびに膝裏へ冷気が遅れて届く。

視界は曇りではなく密度の変化で歪む。

 

 

硝子の箱庭は呼吸するように膨張と収縮を繰り返す。

その揺れが足裏の感覚と同調してくる。

境界がどこか曖昧にほどけていく。

 

 

私は記憶の堆積に足を沈めながら進む。

指が空を掴むたび過去のざらつきが残る。

温度のない風が背中を押し続ける。

 

 

沈黙の層には無数の痕跡が浮遊している。

それらは触れる前に形を失い流れていく。

皮膚は見えない擦過に満たされている。

 

 

箱庭の中心へ近づくほど重力が変質する。

歩幅がわずかに遅れ空間に引き戻される。

足首に絡む気配が記録のように重い。

 

 

硝子の地面は鏡ではなく吸収体として在る。

踏み込むたびに過去の断片が沈み込む。

その沈黙が胸の奥で微かに共鳴する。

 

 

私は触れ続けることでしか進めない。

空気の粘度が増し呼吸が細くなる。

それでも歩行は止まらず続いていく。

 

 

箱庭の壁面に無数の層が折り重なる。

記憶は文字ではなく温度差として保存される。

指先に触れた瞬間だけ輪郭が生まれる。

 

 

視界の端で透明な影が揺れては消える。

その揺れは私の体内の水分と同期する。

境界線が内側へと浸透してくる。

 

 

硝子の裂け目から冷たい風圧が漏れる。

そこに手を差し入れると時間が軋む。

軋みは音ではなく圧として残存する。

 

 

記憶の箱庭は静かに私を包囲していく。

足元の感触が次第に柔らかさを失う。

代わりに密度だけが増殖していく。

 

 

私は歩行という行為の輪郭を失いかける。

それでも皮膚は確かに空間を擦っている。

硝子の内側で何かが私を観測している。

 

 

最後の層は極端な静寂で構成されている。

そこでは重さだけが唯一の確かな現象となる。

私はその重さに沈みながらさらに歩を進める。

 

 

箱庭の中心で記憶は静止し流動をやめる。

触れた指先が過去と現在の境界を曖昧にする。

その瞬間だけ身体は世界と完全に一致する。

 

 

そして私はまだ歩いているという事実だけが残る。

硝子の内側でも外側でもない場所を通過する。

記憶を蒐集する静寂が皮膚の奥に沈殿していく。

 




硝子の内側で沈んだ時間が微かに再浮上している。
私はその揺れの中から、歩いた痕跡だけを拾い上げる。
足裏の感触はすでに境界を失い、均質な重さへと変わっている。


記憶の箱庭は閉じるのではなく、静かに密度を変えている。
そこに触れた指先の記録だけが、遅れて皮膚へ戻ってくる。
風はもはや流れではなく、薄い圧の層として残っている。


私はなおも歩いていたという事実の輪郭だけを抱えている。
硝子の向こうとこちらの区別は、湿度の差として溶けている。
静寂は終わらず、ただ形を変えて続いている。
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