泡沫紀行   作:みどりのかけら

1564 / 1573
雪塩を含む風が峡路へ満ち、私は濡れた石肌へ掌を添えていた。
冷えた岩の内側には微かな熱が残り、遠い潮騒に似た震えだけが指先へ伝わった。


白く曇る吐息が頬を掠め、肩へ積もる霜をゆっくり重たくした。
道端の浅い水溜まりには硝子色の空が揺れ、その底で細い麺影のような光が解けていた。


誰かの滞在した余熱だけが窪地に沈み、湿った布の匂いを薄く残していた。
私はその温度差を胸へ抱えたまま、白銀の霧が流れる坂へ足を踏み入れた。



1564 白銀潮騒の麺霧譚

岬めいた雪丘を越えるたび、足裏で砕ける霜が薄い鐘のように沈んだ。

海に似た白銀の湿気が膝まで絡み、濡れた布の重さだけが時を測っていた。

 

 

潮の匂いを含む風が峡路へ流れ込み、唇の端に細い塩の膜を残した。

私は指先を袖へ沈め、冷えた関節の軋みを静かに抱え直した。

 

 

崩れた石囲いの奥で、白い麺束のような霧がゆっくり揺れていた。

近づくほど空気は柔らかく伸び、喉の裏へ淡い温度が貼り付いた。

 

 

砂混じりの雪を踏むたび、踵に鈍い圧が返ってきた。

遠い残響だけが浜の形を保ち、誰かの滞在した湿度を薄く漂わせていた。

 

 

細長い木影が地面へ沈み、そこへ乳白の湯気が幾筋も絡んでいた。

私は掌を差し入れ、糸のような熱が皮膚を撫でる感触を確かめた。

 

 

湾に似た窪地では、水音ではなく柔らかな震えだけが続いていた。

その震えは腹の奥へ染み込み、空いた身体を静かに引き延ばした。

 

 

白布の切れ端に似た雲が低く垂れ、肩先へ湿った冷気を落としていた。

首筋へ沈む寒さは細い刃のようで、歩幅まで慎ましく変えていった。

 

 

石段の隙間から立つ湯煙は、折れた麺線の群れに見えた。

指で触れると輪郭は崩れ、濡れた熱だけが爪裏へ残った。

 

 

薄い潮騒が耳殻を擦り、内側へ灰色の明かりを満たしていった。

私は呼気の白さを抱えたまま、凍った路面へ慎重に体重を預けた。

 

 

窪んだ炉跡には琥珀色の湿りがあり、そこだけ雪が遅く溶けていた。

気配の余熱が脛へ滲み、遠ざかった時間の厚みを伝えてきた。

 

 

斜面を渡る風は細い麺帯のように絡み、脚へ幾度も巻き付いた。

歩き続けるほど衣の内側が温まり、逆に指先だけが白く痺れていった。

 

 

氷膜を張った水辺では、空の色が硝子片のように割れていた。

私は膝を折って覗き込み、冷えた吐息で頬の感覚を薄く失った。

 

 

白煙の漂う窪地には乾いた魚鱗の匂いが沈んでいた。

その匂いは舌へ微かな甘みを残し、空腹とは異なる空洞を揺らした。

 

 

雪明かりに濡れた石壁から、長い麺影のような筋が垂れていた。

触れると冷水が掌を滑り、皮膚の熱だけを静かに奪っていった。

 

 

峡路の奥では霧そのものが練られ、白い帯となって渦を巻いていた。

私は胸へ圧し寄せる湿気を受け止めながら、狭い道をゆっくり抜けた。

 

 

凍土の下から滲む水は、足裏へ鈍い柔らかさを返してきた。

沈み込む感触のたび、身体だけが別の深さへ降りていく気がした。

 

 

淡青の空は低く垂れ、麺霧の揺れを静かな波に変えていた。

肩へ積もる雪粒は軽いのに、旅嚢より重い沈黙を残した。

 

 

崩れた木戸の向こうで、細い湯気が幾層にも折り重なっていた。

そこには声ではない温度差だけがあり、去った気配の輪郭を保っていた。

 

 

私は白い霧束を掬うように掌を差し出し、その湿りを顔へ寄せた。

塩と麦に似た匂いが鼻奥へ広がり、冷えた胸郭を静かにほどいた。

 

 

やがて海に似た灰光が遠ざかり、麺霧だけが背後で長く揺れていた。

凍えた指を袖へ沈めながら歩くと、白銀の潮騒が靴裏で細く鳴った。

 




歩き去った峡路の奥から、なお白い湯煙が静かに揺れていた。
振り返るたび、塩を帯びた風が袖口へ入り込み、冷えた皮膚を柔らかく擦っていった。


雪明かりの残る浜では、麺線のような霧が波形を崩しながら漂っていた。
その淡い湿度は喉奥へ長く留まり、消えた気配だけを身体の内側へ沈めていた。


やがて潮騒に似た残響も遠のき、足裏には凍土の硬さだけが残った。
私は白く痺れる指を重ね合わせ、硝子色の冬空の下を黙って歩き続けた。
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