泡沫紀行   作:みどりのかけら

1585 / 1602
稲積山に似た傾斜は、まだ名もない湿度をまとっていた。
徒歩のまま、その曖昧な境界へと進入していく。
足裏に伝わる土は、過去の雨を密かに抱え込んでいた。


風は遠くで折れ曲がり、葉擦れの前兆だけを残している。
視界の奥には黄金に似た反射が微かに滲みはじめていた。
その光は形を持たず、ただ圧だけを先に運んでくる。


呼吸はすでに森の密度に触れていた。
皮膚の表面に薄い抵抗が生まれ、歩行の輪郭が揺らぐ。
まだ入口の外側にいるはずだったが、その確信は薄れていく。



1585 黄金葉の隠れ樹界

黄金葉の隠れ樹界へ足を踏み入れた。

稲積山に似た湿った斜面が靴底を沈ませる。

風は薄い硝子片のように肌を擦り抜けた。

 

 

樹冠は層を重ね、空の輪郭を曖昧にしていた。

落葉は黄金の沈殿となり、呼吸の間に揺れる。

 

 

足裏に伝わる土は、微かに温度を残していた。

見えぬ気配が枝の奥で折り重なる音を孕む。

視界の端に影の粒子が散り、集まり、また離れる。

 

 

樹皮は硝子質の層を内に抱き、触れると冷えが戻る。

歩くたび、靴底は乾いた記憶を踏みしめるようだった。

 

 

斜面の奥から湿度が波のように押し寄せてくる。

黄金葉は光を吸い込み、沈黙の色へ変わっていく。

喉の奥に残る空気が、わずかに鉄の匂いを帯びる。

 

 

枝間に張り巡らされた空隙が、距離感を歪める。

触れずとも皮膚に圧がかかるような森だった。

 

 

足元の葉層は沈み込み、戻る気配を持たない。

遠い場所で水の記憶が滴るような音が続く。

視線を上げると、樹界は層をさらに深く重ねていた。

 

 

硝子のような樹皮は微細なひびを光に晒す。

その裂け目に触れる空気が、冷たく指先を通過する。

 

 

黄金葉の下で、時間は厚みを持って滞留していた。

歩行のリズムは次第に森の呼吸へと同化していく。

自分の影だけが遅れて地面に沈む感覚がある。

 

 

枝の間から差す光は刃ではなく、柔らかな重みを持つ。

それが肩に触れるたび、内部の温度がわずかに変わる。

 

 

森の奥で、見えない層が呼吸のように膨らむ。

靴底の圧が増し、地面は柔らかな抵抗を返す。

黄金葉は風を受けるたび、鈍い光を反射した。

 

 

枝先に滲む影は、形を持たずに揺らいでいた。

その揺れが視界の奥で距離を崩していく。

 

 

歩みは重くも軽くもなく、森の密度に引かれていく。

湿った空気は皮膚の表面で薄い膜を作る。

そこに残る痕跡は、誰のものでもない温度だった。

 

 

樹間の奥に、沈黙の深度が折り重なっている。

その中心へ向かうほど、足音は吸収されていく。

 

 

黄金葉は地表を覆い、歩くたびに微かな崩落を起こす。

崩れた粒子は空気に溶け、視界の縁へ流れていく。

皮膚の内側に、見知らぬ記憶の圧が滲む。

 

 

樹界の奥で、硝子の反響が静かに増幅する。

それは音ではなく、圧として胸郭を満たした。

 

 

視界は黄金と影の境界で緩やかにほどける。

歩行はもはや方向を持たず、流れに従うのみ。

足裏に残る感触だけが、存在の輪郭を保つ。

 

 

森の終端らしき場所に、微かな開けが見えた。

そこには風の密度が変わる境目が横たわる。

黄金葉は最後まで沈黙の色を崩さなかった。

 

 

地表の温度がわずかに変わり、森の圧が緩む兆しを帯びる。

足元の葉層は薄くなり、空気の抵抗が減じていく。

それでも硝子の気配は背後に残響のように追随する。

 

 

最後の斜面を越えると、視界は静かな白に近い色へ溶けた。

そこには歩みを拒む硬さではなく、受け入れる柔らかさがあった。

黄金葉の隠れ樹界は背後でゆっくりと呼吸を続けている。

 

 

足裏に残る黄金の粒子が、なお微かな熱を帯びている。

その余韻のまま、森の境界は遠い層へと沈んでいった。

 




森を抜けた先には、沈黙の質が変わる薄い空隙があった。
黄金葉の重みは背後に残り、歩幅の中でゆっくりとほどけていく。
足裏の記憶だけが、まだ湿った温度を保っていた。


風は軽くなったのではなく、密度を失って拡散していた。
身体の輪郭は再び外界と分離しはじめるが、完全ではない。
樹界の圧が遠ざかるほど、内部の響きが逆に濃くなる。


振り返ると、隠れ樹界は層の奥へ沈み込み、光を吸い直していた。
そこに残るのは道ではなく、歩いたという痕跡の揺らぎだけだった。
その揺らぎを持ったまま、さらに先の無名へ足を進めていく。
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