泡沫紀行   作:みどりのかけら

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秋の風はいつも、静かな秘密を運んでくる。

歩みを止めて見上げると、空は遠く澄み渡り、落ち葉は柔らかな光をまとってゆく。
足元に広がる黄金色の景色は、時を超えて今ここに在る確かなものの証のように感じられる。
その輝きは言葉にできない想いを秘め、静かに語りかける。

ただ一歩ずつ、季節の深まりとともに歩を進めるだけで、心は自然と揺らぎ、深い余韻に包まれてゆくのだ。


0160 千年を見守る黄金の巨樹

草の香りが滲む細道を、土にしみ込む水音を辿って歩く。

踏みしめるごとに、足裏の柔らかな泥がゆっくりと沈み、背後に残る足跡は、やがて霧に滲んで消えていく。

 

梢をなぞる風の指先が、露をはじいた。

風は低くうねりながら、木々の隙間を泳ぎ、肩の上にふとした寂しさを落としていく。

それは名もない鳥の影だったのか、風そのものの吐息だったのか、確かめることもできずに、ひとはただ、歩くことしかできない。

 

まばらな落葉が、音もなく頬をかすめる。

橙とも黄ともつかぬ色彩は、空からこぼれた忘れもののようで、拾い上げれば指の間で脆く崩れる。

それは季節の記憶の一部であり、枝から手放された時間の抜け殻でもあった。

 

坂を登るにつれて、空は鈍く、深く、金色の光をひそませる。

雲の合間から差し込む斜陽が、褪せた苔の岩肌にじわりと溶け込み、湿り気を帯びた大気が、肺の奥にまで染み渡る。

 

細い獣道をひとつ越えると、空が開けた。

そこに立っていた。

 

黄金の樹。

 

根元はうねり、隆起し、幾重もの時を巻き込みながら、地を抱いていた。

その表皮はところどころ剥がれ、古い皮膚のように乾いていたが、なおも温もりを帯びていた。

近づけば、幹から漂う微かな甘い匂いが鼻先をくすぐる。

それはどこか懐かしく、名前のつかない感情のかけらを思い起こさせた。

 

枝は空を覆い、陽の光を何千もの葉に分けて投げかけていた。

そのひとひらひとひらが風にそよぎ、やわらかな金の音を奏でているようだった。

音は聴こえないはずなのに、耳の奥で確かに揺れていた。

 

幹にそっと手を触れると、ざらりとした感触が指先に残り、その奥に、脈のようなものを感じた。

それは木の命なのか、土の鼓動なのか、自らの血流が呼応しているだけなのか、判然としない。

ただ確かなのは、その巨きな存在が、何も言わずにそこに在り続けてきたという事実だけだった。

 

風がまた吹いた。

黄金の葉がざわりと揺れて、頭上から降る光が肌に触れた。

日が傾きはじめたのだと気づく。影が長く、柔らかく地面を撫でてゆく。

 

足元に、ひとつの実が落ちていた。

黄の混じった緑色で、丸く、硬く、温度を残していた。

拾い上げると、その小さな命のかたまりが手のひらで震えるような気がして、思わず息を呑んだ。

それは明らかに、時の断片だった。

 

ひとは何を信じて歩いているのか。

何を遺し、何を忘れてゆくのか。

 

それを知っているのは、この巨きな樹だけなのだろう。

 

葉が一枚、はらりと落ちた。

肩をすべり、指先にふれ、足元へ舞い、地に還る。

その一連の動きに、どこか祈りのような静けさがあった。

 

千年という言葉が頭をよぎる。

しかしそれは数字ではなく、感覚だった。

幹に宿る深い皺の一本一本が、名もなき日々の記憶を閉じこめている。

そしてそれを語ることもなく、ただ立ち尽くしていた。

 

大気が静まり返る。

 

ここには音がない。

鳥も声を潜め、風も葉をなでるだけ。

土はひとつも叫ばず、ただ濡れて、眠っている。

 

金の葉が、空を泳いでいる。

どこか遠い星の灯りをまとって。

 

陽が完全に傾く前の薄明かりが、世界を少しずつ溶かしていく。

影が伸び、ひとつの輪郭がゆっくりとぼやけてゆくなかで、黄金の巨樹は揺らぐことなく在り続けていた。

 

手を幹に押し当てると、冷たさとわずかな温かみが交差する。

それはまるで、時そのものが肌の中でさざめくような感触で、触れた者の心も、ゆっくりと時の輪郭から解き放たれてゆく。

 

一枚、また一枚と葉が舞い落ちる。

その細やかな動きがまるで小さな物語の断片のように、空間を震わせている。

耳を澄ませば、乾いた落葉が積もる音がかすかに響き、世界の終わりと始まりを告げているように感じられた。

 

背中に感じる冷気が、秋の深まりを知らせる。

肌を撫でる風はやわらかく、どこか遠い記憶の海から潮が寄せては返すように静かだった。

足元の苔は湿り、踏むと薄い緑の香りが鼻をくすぐる。

 

目を閉じると、黄金の葉が星の欠片に変わる。

遠い星々の息遣いが耳の奥に届き、胸の奥にほんのわずかなざわめきを生む。

それは言葉にならない感情の波紋であり、どこかに置き忘れた魂の微かな揺らぎのようだった。

 

時は静かに溶けていき、空気は透明な絵の具のように色を変えてゆく。

木々の間から覗く空は、深い瑠璃色に染まり、まるで静かに眠る星たちの眼差しが降り注ぐ湖のようだった。

 

足元の葉の感触がしっとりと伝わる。

その冷たさが、まだ消えぬ陽の余韻と混ざり合い、全身を包み込む。

心がどこかでひそやかに動き出す。

それは悲しみでも歓びでもなく、ただ透明な感覚が淡くゆらめくだけだった。

 

再び目を開けると、黄金の樹はただそこにあった。

揺るぎなく、静かに、千年の時をその胸に抱きしめている。

幹に刻まれた無数の年輪は、言葉にならぬ詩を織りなす。

 

遠くで、またひとつ葉が落ちた。

それは波紋のように広がり、静かに全てを包み込む。

終わりでも始まりでもない、ただ無限の循環の一片。

 

夜の帳が降り始める。

星の灯りが、ひそやかに木の隙間を縫いながら降り注ぐ。

その黄金の巨樹は、静かな星の詠み手となって、千年を見守り続けている。

 

踏み出す一歩は重く、しかし確かで、影が揺れ、風が囁く。

ここにあった時間は、まるで永遠のようにじっと胸に残る。

 

目に見えぬものの輝きが、ゆっくりと魂の奥を照らしている。




日が沈み、世界が静寂に包まれるとき、記憶はより鮮やかにその姿を見せる。
目に映るものの一つ一つが、ゆっくりと胸に刻まれていく。

黄金に染まるその瞬間は、決して戻らない時間の中でひっそりと輝き続ける。

歩き続ける先にあるのは、ただ静かに息づく自然の営みと、その中に溶け込む儚い光の残響。
言葉にならない感情が風の中で揺れ、心の奥底に長く染み渡ってゆく。
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