泡沫紀行   作:みどりのかけら

1605 / 1629
泡沫の層が重なる縁を、まだ名のないまま踏み越えようとしていた。
空は薄く伸び、境界という概念だけがわずかに温度を持っている。
歩き出すたびに、地の記憶が遅れて足裏へ追いついてくる。


風は輪郭を持たず、肌の上を滑るだけで意味を残さない。
遠くの光は固まりきらず、溶けかけた色彩として揺れている。
その揺らぎの中に、まだ見ぬ炎の気配を探していた。


秋と呼ばれる気配が、乾いた湿度として空間に滲んでいる。
焼かれる前の沈黙のような重さが、歩行の内側へ沈み込む。
その先に、継ぎ接がれた夢の入口があるとだけ知っていた。



1605 炎彩を封じた錬成の宝庫

泡沫の街路を、徒歩で渡り始めた。

秋の気配は乾いた灰のように足裏へ沈む。

 

 

継ぎ目のない空は薄く歪み、遠い熱を帯びている。

風は肌の表面を撫で、見えない圧だけを残して過ぎる。

 

 

やがて道は釉薬のような光沢を帯び、地面の輪郭が溶ける。

歩みごとに靴底へ冷えた湿度が滲み込んでいく。

 

 

沈黙は音ではなく、重さとして肩に積もっていた。

それを払いのけず、ただ前へと足を出す。

 

 

層のように折り重なる空気の中で、時間の密度が変わる。

過ぎたはずの影が、遅れて背後を追い越していく。

 

 

炎彩を封じたという噂は、地層の奥で脈打っていた。

その気配は熱ではなく、微かな痛覚として伝わる。

 

 

地面は陶片の記憶を含み、踏むたびに乾いた響きを返す。

その響きは耳ではなく、骨の内側で受け止められる。

 

 

九谷と呼ばれる残響の場へ近づいていた。

色はまだ見えず、しかし濃度だけが増していく。

 

 

空気は次第に冷え、呼吸の輪郭がはっきりしてくる。

吸い込むたびに、過去の熱が微かに混じり込む。

 

 

足元の砂は細かく、指先のような感触で絡みつく。

歩くこと自体が、何かをほどいている感覚へ変わる。

 

 

遠くで割れるような静けさが連続していた。

それは陶の乾燥に似た、不可逆の気配だった。

 

 

見えない壁面に触れたような圧を受ける。

その圧は拒絶ではなく、内部への誘導に近い。

 

 

色彩の断片が遅れて視界へ滲み始める。

赤は熱を失い、青は深さだけを残している。

 

 

歩みは重くなるが、同時に確かさを増していく。

地面はもはや地ではなく、記憶の層だった。

 

 

陶工の痕跡のような気配が、空間に沈殿している。

触れずともそこに手の温度が残されている。

 

 

炎彩を封じた宝庫の入口へと到達する。

扉はなく、ただ濃度の差が境界として立っている。

 

 

一歩踏み入れると、光は音を失ったように静まる。

その静寂は耳ではなく皮膚で聞くものだった。

 

 

内部では色が呼吸し、ゆっくりと形を変えていた。

その変化の只中に身を沈めていく。

 

 

過去の焼成の記憶が、熱ではなく重さとして流れる。

それに押されながらも、歩行をやめない。

 

 

最後に残るのは、名のない色の余白だけだった。

その余白を踏みしめ、さらに奥へと進んだ。

 

 

色の余白に足を沈めると、地面の概念がほどけていく。

輪郭を失ったまま、それでも歩行の癖だけを保っていた。

周囲では炎彩の残響が、呼吸の間隔に合わせて脈打っている。

 

 

熱はもはや温度ではなく、薄い膜として皮膚に貼り付いている。

その膜の内側で、誰でもない重さへと変わりつつあった。

足裏に触れる感触だけが、かろうじて現実の縁を示している。

 

 

さらに奥へ進むと、色は沈黙を纏いながらゆっくり崩れていく。

崩壊は終わりではなく、別の層への移行のように静かだった。

その変化に逆らわず、ただ歩幅の記憶だけを頼りに進んだ。

 




炎彩の奥で崩れた色は、もはや視覚ではなく圧として残っていた。
その圧の中を通過し、輪郭の薄い自分へとほどけていく。
歩行の記憶だけが、最後まで形を保っていた。


熱は静まり、代わりに冷えた余白が空間を満たしていく。
触れたはずのすべてが、遠い陶片のように沈黙へ沈んでいく。
そこに留まることなく、ただ余韻の層を渡り続けた。


やがて色も重さも均され、境界は最初から無かったように薄れる。
残されたのは、歩いたという感覚だけが持つかすかな振動だった。
その振動を抱えたまま、さらに遠い泡沫へと溶けていった。
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