風は進む先ではなく歩いてきた道から流れ、私の影だけを静かに追い越していく。
秋は色ではなく重さとして枝先へ積もり、空気は眠りを抱えた布のようにたわんでいた。
そのたび足裏はわずかな沈みを覚え、まだ姿を持たぬ夢の輪郭が地面から伝わってきた。
やがて木立の向こうに、森自身が抱え続けた舞台の気配が淡く浮かび上がる。
息を浅く整え、誰にも踏み継がれていない静寂へ、ひとつずつ歩幅を預けた。
森へ踏み入るたび、足裏の土は薄い幕のようにたわんだ。
踏み返す重みが遅れて戻り、眠る舞台へ招かれている気配だけが残った。
梢のあいだから淡い秋色がほどけ、葉脈は古い筋書きを抱えて揺れた。
肩へ落ちた一枚の葉は、乾いた温度より深い余韻を皮膚へ置いていく。
開けた空間には円く磨かれた床があり、苔は縁を縫うように広がっていた。
踏み込むと足首まで静けさが満ち、空気そのものが幕を持ち上げた。
風は正面からではなく、背後の影を押し出すように流れた。
首筋へ触れた冷えが、継ぎ接がれた夢の縫い目をなぞっていく。
樹皮へ指先を当てると細かな震えが返り、誰とも知れぬ残響が湿度へ溶けた。
言葉ではなく、長く保たれた間だけが森を満たしていた。
落葉は重ならず、見えない歩幅を避けるように散っていた。
その隙間へ靴底を沈めるたび、身体の輪郭が少しずつ薄れていく。
舞台らしき広がりの中央には浅い窪みがあり、露が静かに集まっていた。
掌をかざすだけで冷気が脈を包み、遠い幻劇の息遣いを映していた。
枝先は互いへ触れず、それでも影だけを結び合わせていた。
胸へ落ちる薄暗さは重石より柔らかく、歩みを深いところへ導いた。
湿った苔へ膝を預けると、衣越しにゆるやかな冷えが染み広がった。
その感触は忘れた景色ではなく、まだ生まれていない記憶に近かった。
森の奥から淡い光が滲み、輪郭だけが幾重にも重なった。
近づくほど距離は伸び、呼吸は細い糸となって漂う。
袖を払う風圧は軽いのに、肩には見えない幕布の重さが宿った。
立ち尽くす足元で土が柔らかく波打ち、静寂は深く息づいた。
倒れた幹には細い裂け目があり、そこから淡金の霧が滲んでいた。
指を近づけるだけで温度が裏返り、夢の断片が肌理へ縫い込まれる。
影は私より半歩遅れて歩き、落葉の海を静かに渡った。
追いつこうとするたび、踵へ柔らかな抵抗が絡みついた。
空には雲より薄い幕が幾枚も重なり、森全体が息を潜めていた。
その圧が額へ触れるたび、胸の奥で季節が静かに折り畳まれた。
乾いた枝を越えると、床面は鏡のような湿りへ変わった。
映る姿は私ではなく、歩幅だけを残した淡い気配で揺れていた。
指先へ降りた露は冷たさより軽く、やがて温度だけを置いて消えた。
掌には何も残らないのに、重さだけがゆっくり増していく。
森は目覚めるのでなく、長い眠りの形を少し変え続けていた。
その変化へ足を合わせ、呼吸を崩さぬよう歩き続けた。
舞台の縁へ戻るころ、風は幕を閉じる代わりに葉を浮かせた。
散りゆく色は終わりではなく、次の夢へ継がれる縫い糸となった。
振り返っても道はなく、湿度だけが私の背を静かに押していた。
残響は耳ではなく骨の深いところで淡く揺れ続けた。
森を離れてなお靴底には柔らかな土の温度が宿っていた。
泡沫の世界は足跡を消しながら、幻劇だけを目覚めたまま抱いていた。
森を抜けても、肩へ触れた冷気だけは旅の衣から離れなかった。
歩くたびにその温度は静かに揺れ、見えない幕が背後で閉じ続けているようだった。
夢は目覚めたのではなく、私の内側へ居場所を移しただけだったのかもしれない。
靴底に残る柔らかな土の感触は、新しい道へ触れるたび、かすかな残響となって滲んでいく。
泡沫の世界には終着などなく、継ぎ接がれた断片だけが季節を渡り歩いている。
その欠片を拾い集めることもせず、ただ次の静かな風景へ向かって歩き続けた。