その薄い重なりの上を歩き続ける。
足裏に伝わる湿度は、始まりとも終わりともつかない揺らぎを帯びていた。
遠い天嶺の輪郭が、折れた紙の端のように揺れている。
そこに向かう道は描かれていない。
ただ歩くことでのみ補完される空白が広がっていた。
石動の名残が風の中でほどけていく。
崩れた記憶は地形に沈み、まだ温度だけを保っている。
その温度に導かれるように足を進めた。
旅は薄い白霧の層を踏み分けて続く。
足裏に沈む湿りは地の呼吸のようだ。
天嶺の影が遠くで裂けて見える。
霧の奥で何かがほどける気配がある。
石を含んだ風が肌を擦過していく。
呼吸の奥で冷えた匂いが遅れて立つ。
その遅延に歩幅を合わせる。
冷えは骨の内側へ遅れて届く。
崩れた山城の痕が霧の下に潜む。
石は階段の記憶だけを残していた。
触れれば崩れるほどの脆さが漂う。
踏むたびに瓦礫は眠りを返す。
白炎と呼ばれる現象が天嶺に滞留する。
熱は光より遅く私の皮膚へ染みる。
焼けない温度だけが輪郭を持つ。
光は炎の形を借りて漂うだけだ。
歩きながら時間の傾きを測る。
足音は吸い込まれ音にならず消える。
それでも地は確かに応答していた。
歩行そのものが記録へ変換される。
谷の裂け目から湿った風が噴き上がる。
その流れは記憶の継ぎ目のように重い。
そこにしばし身を預ける。
湿度が衣の内側に重なっていく。
砦の外郭は半ば雲に溶けていた。
輪郭は保存されず温度だけが残る。
見えない壁が歩みを押し返す。
境界は視界の端で折れ曲がる。
掌を伸ばすと石の冷えが跳ね返る。
冷たさは過去の密度を孕んでいた。
その密度に指を沈める。
冷気は記憶の裂け目をなぞる。
天嶺の上空は白炎で満ちている。
それは燃えずに空間だけを歪める。
視界は薄く溶けて遠近を失う。
空の圧がゆっくりと降下してくる。
足場は崩壊と再生の間で揺れている。
その不安定さを歩行で縫う。
縫い目から微かな光が漏れ出す。
不安定さは足裏で脈打っている。
石動く山の名残が岩肌に刻まれる。
名は声を持たず湿度として残る。
その湿りを辿り上へ向かう。
風圧が背を押し沈黙を厚くする。
言葉なき圧力が呼吸を整列させる。
ただ進む以外を知らない。
白炎の中心に砦の核が沈んでいる。
そこは熱と冷の境界が剥離する場だ。
触れる前に手が揺らいでいる。
地面は柔らかくも鋭い記憶でできる。
歩くたびに過去が微細に軋む。
その音なき悲鳴を聴く。
霧は私の輪郭を遅れて追い越す。
存在が後から追記される感覚だ。
それを受け入れて進む。
砦内部には風の通路だけが残る。
空洞は形よりも深さで語る。
深さに足を落とさぬよう歩く。
白炎は触れずとも肌を焦がす。
焦げ跡は透明で痛みだけが残る。
痛みを地図として読む。
天嶺の頂はまだ遠く揺れている。
距離は折り畳まれ伸び縮みする。
その揺らぎに身を任せる。
崩城の最後の気配が背後で沈む。
振り返らずとも消失は確かにある。
白炎の中へ歩みを続ける。
白炎の縁で空気の層が静かに剥がれる。
剥がれた空気は霧となり足元へ沈む。
その沈降に合わせて呼吸を浅くする。
遠い地鳴りだけが一定の間隔で続いている。
砦の核から細い光が地面へ流れ落ちる。
光は石の隙間を選び記憶の底へ潜る。
その軌跡を目で追いながら歩く。
足元の冷えが少しずつ形を持ちはじめる。
天嶺の頂から白い風がゆっくり降りてくる。
風は霧を押し分け私の肩を越えていく。
その向こうで崩城の影が一瞬だけ立ち上がる。
影が消えたあとも歩みだけは残り続ける。
白炎は消えたのではなく、密度を変えて残っている。
それは光でも熱でもなく、空間の癖のようなものだ。
その癖を身体の奥に持ち帰っている。
天嶺の頂は、いまや歩行の外側にある。
距離は均され、始まりと終わりの区別は曖昧になった。
ただ地面だけが確かに私を支えていた。
砦の痕跡は風の層に溶け、名前を失っている。
それでもそこに在った重さを知っている。
歩き続ける限り、その重さは消えないままだ。