泡沫紀行   作:みどりのかけら

1661 / 1662
夜の薄膜は、歩みの前に静かにたわんでいた。
その歪みを踏み越え、名のない地の呼吸へと降りていく。
湿った風は皮膚の表面を撫で、まだ形を持たない記憶を運んでいた。


足元の暗は、沈黙の層として幾重にも折り重なっている。
踏み出すたびに、過去とも未来ともつかぬ温度が骨へ染み込む。
その重みは歩行を妨げず、むしろ歩みを深く沈めていく。


遠いどこかで、火のない火祭りが始まろうとしていた。
光はまだ現れていないのに、空気だけが微かに焦げている。
その気配の縁を辿り、闇の裂け目へと進んだ。



1661 闇夜を彩る火祭りの記憶庫

泡沫の縁を踏みしめ、薄い夜気の上を歩き出した。遠い湿気が肌を押し返すように滲む。

足裏には湿った砂のような時間の粒が沈み込んでいた。暗い粒が沈殿するように絡みつく。

 

 

遠い空は裂け目のように揺れ、淡い紫が滲んでいる。風が骨の間を抜けるように揺れる。

その下で風は重さを持ち、皮膚を撫でる刃のようだった。皮膚に冷たい記憶が触れる。

 

 

名もなき道は記憶の織物のように断続して続いていた。記憶の継ぎ目が軋むように響く。

歩くたびに過去とも未来ともつかぬ温度が足首に触れる。足首に冷えた余韻が絡む。

 

 

やがて影の谷間に、火の残響が微かに揺らぎ始めた。影が湿った呼吸を持つように漂う。

それは言葉ではなく、焦げた布の匂いに似た気配だった。布の匂いが空間に滲み続ける。

 

 

その気配に引かれ、地面の柔らかな沈みを辿った。地面が微かに脈打ち続けるように進む。

沈黙の奥で、見えない手が時間を畳んでいるようだった。時間の折れ目が軋むように響く。

 

 

闇は厚みを増し、耳の内側まで侵食するように満ちる。耳奥で風圧が膨らみ続ける。

その中で光は微細な粒となり、肌の表面に散らばった。粒が肌に吸い込まれていく。

 

 

遠景に、巨大な影の構造が立ち上がり始めていた。構造が呼吸するように揺れる続く。

それは輪郭を持たず、しかし確かな重力を放っていた。重力が皮膚に沈み込むように滲む。

 

 

私の歩みは次第に遅くなり、地面との接触が濃くなる。接触が深く呼吸に変わる。

靴底の奥で湿度が脈打ち、鼓動のように反響していた。鼓動が地面へ伝播するように続く。

 

 

風は火の記憶を運び、見えない火粉が頬を掠める。火粉が皮膚に降り積もるように触れる。

その熱は過去の祭りの残照のように冷え切っていた。残照が冷たく揺れ続けるように漂う。

 

 

闇の裂け目から、遠い祭具の影が断続的に現れる。影が断続的に呼吸するように揺れる。

それらは祈りの器ではなく、沈黙の器として並んでいた。沈黙が器の縁で鳴るように響く。

 

 

その間を歩き、存在の圧に胸郭が軋むのを感じる。胸郭が圧に沈み込むように軋む。

空気は密度を変え、呼吸そのものを測られているようだ。呼吸が密度に絡め取られるように重い。

 

 

足元に広がる地は、記憶の層が幾重にも重なっている。層が歩みに合わせて鳴るように沈む。

その層は踏むたびに微かに軋み、遠い音を返した。遠い音が皮膚を揺らすように残る。

 

 

火の気配は次第に集まり、暗闇の中心へと収束する。中心へ熱が収束し続けるように濃くなる。

私の皮膚には、見えない熱の網が静かに絡みついた。網が皮膚に絡み増殖するように広がる。

 

 

やがて巨大な会館のような影が、闇の中に浮かび上がる。影が空間を圧縮するように浮かぶ。

それは輪島キリコ会館の残像に似た構造を持っていた。構造が記憶を残響させるように震える。

 

 

その内部から、無数の火の記憶が層となって溢れ出す。記憶が層をさらに押し上げるように溢れる。

光は音を持たず、ただ圧として身体を満たしていく。圧が皮膚に沈殿していくように満ちる。

 

 

入口とも出口とも知れぬ裂け目に足を踏み入れる。裂け目が呼吸を吸い込むように開く。

内部は湿った熱に満ち、時間がゆっくり溶解していた。時間が溶けて流動するように漂う。

 

 

火祭りの痕跡は空間そのものに刻まれ、揺らぎ続ける。痕跡が空間に重なり続けるように震える。

それは誰の記憶でもなく、土地の呼吸そのものだった。呼吸が土地に溶け込むように広がる。

 

 

その中心で立ち止まり、歩くことをやめないまま佇む。歩みが境界を溶かし続けるように残る。

闇と火の境界が溶け、旅の意味だけが残響として残る。意味が残響として漂うように消えない。

 




火の記憶は静まり、空間は再び湿った闇へと戻っていた。
しかし消えたのではなく、層の奥へ沈降しただけだった。
皮膚の内側に残る熱が、まだ微かに揺れている。


歩みを止めないまま、その場の余韻を踏み続ける。
足裏には軽い振動が残り、見えない祭りの輪郭が響いていた。
それは終わりではなく、別の層への折り返しのようだった。


闇は再び均され、遠い空気の圧だけが残される。
その圧の中で、次の裂け目の気配を探り続ける。
旅は途切れず、ただ形を変えて続いていく。
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