山肌には、銀色の細い傷が走っていた。触れれば指先まで冷えそうな光が、雪の向こうから遠い未来の輪郭を静かに浮かび上がらせていた。
私は掌を岩へ置いた。氷の膜が体温に曇り、その向こうから、まだ姿を持たない巨大なものの重さだけが返ってきた。
冬の朝、私は白い息を踏みながら、谷へ続く細道をひとり歩いた。霜は靴底で薄く砕け、その音だけが、凍った空気の底へ沈んでいった。
山肌には銀色の長い傷が走っていた。雪を押し分けるように伸びるその筋は、どこまでも直く、空の端まで未来を穿っているようだった。
近づくにつれて、頬へ冷たい圧が触れた。風そのものとは違う、遠い場所から押し寄せる余波が、皮膚の薄いところを静かに震わせた。
私は掌を岩へ置いた。氷の膜は指先の熱でわずかに曇り、その向こうから、何か巨大なものが眠るような重さだけが返ってきた。
谷底には、白銀の殿が横たわっていた。壁も柱も見えないのに、雪面だけが不自然な角度で沈み、その形をかすかに縁取っている。
足首まで雪に浸かると、冷気が布を越えて骨へ届いた。私は歩みを遅くし、凍える痛みを一歩ごとの重さとして受け取った。
殿の前には細い空間が開いていた。そこを風が抜けるたび、低い残響が地中から持ち上がり、胸骨の奥を撫でていった。
音はないのに、音の跡だけがあった。遠い気配が何度も通り過ぎたように、雪の表面には浅い波紋が連なっていた。
私はその筋に沿って歩いた。左右の斜面から落ちる冷気が肩を挟み、身体の中心だけが、見えない流れに引かれていった。
空は淡い鉛色で、雲の切れ目から薄明かりが滲んでいた。銀の筋はその光を受けるたび、昨日ではなく明日へ向かう傷口のように白く浮かんだ。
途中、雪の上に小さな窪みが続いていた。誰かの足跡には見えず、ただ温度だけがそこに残り、触れれば消えてしまいそうな余韻を保っていた。
私は膝を折り、窪みに指を入れた。冷たさの底にわずかな柔らかさがあり、それが時間にも重さにも属さないもののように感じられた。
殿の中心へ進むほど、風圧は強くなった。胸を押され、耳の奥まで冷やされながら、それでも足裏だけは地面に縫い留められていた。
やがて銀の壁に細い亀裂を見つけた。そこから漏れる白光は影を生まず、私の手の甲だけを薄く透かして、骨の輪郭まで冬色に染めた。
光へ掌をかざすと、皮膚に細かな震えが走った。懐かしさに似た温度差が指の間を抜け、過ぎた季節の残響だけを置き去りにした。
そのとき谷全体が一度だけ沈んだ。雪も岩も樹影も、重い息を合わせたように低くなり、遠くで銀が走る気配がした。
私は目を閉じた。瞼の裏を白い線が駆け抜け、まだ存在しない朝の形を、冷たい圧だけで刻んでいった。
けれど私は追わなかった。未来へ伸びる筋に背を向け、来た道へ足を返すと、靴底の下で霜が小さく砕けた。
夕暮れには雪が細く降り始めた。銀の殿は薄闇に沈みながらも、なお遠くへ続く一本の光を抱え、私の背中へ冷たい余韻を送り続けていた。
山を下りる途中、掌にはまだ微かな震えが残っていた。それは記憶ではなく、輪廻へ戻ることを拒んだ一筋の冬として、皮膚の内側に静かに眠った。
山を下りるころ、雪は細く降り始めていた。足裏には一歩ごとの重さが残り、掌にはあの銀の震えがまだ消えずに眠っていた。
振り返ると、谷の奥で白い光がひとすじだけ残っていた。そこには誰の姿もなく、ただ過ぎ去った気配だけが冬の空気へ薄く溶けていた。
私は歩き続けた。未来へ走るものを追うことなく、戻ることもなく、冷たい大地に残る自分の足跡だけを静かに踏みしめていった。