泡沫紀行   作:みどりのかけら

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白き山肌が裂け、あたたかい息を吐きつづける。

その静けさの奥に、永い祈りの声が聴こえた。


0019 火山の祈り

脚にわずかな疲労がたまっていた。

 

朝露のぬかるみに靴底を沈めながら、森を抜ける。

低く曇った空が、陽を拒むように広がっていたが、風が穏やかで、歩みに迷いはなかった。

 

やがて、木々の隙間から、白に染まった尾根が姿を現した。

 

そこは、まるで遥かな昔から呼吸を続けている大きな心臓のようだった。

 

 

幾重にも重なった白と灰色の斜面が、

空へとせり上がり、ところどころ赤茶けた傷跡を露わにしている。

 

まるで神々の爪が走ったように、斜面は深く裂け、

そこから熱を含んだ湯気が絶え間なく昇っていた。

 

 

音はない。

 

 

ただ、煙と熱が生き物のように山肌を撫でては消え、また湧き上がる。

 

一歩ずつ近づくにつれ、空気に微かな鉄の匂いが混じりはじめる。

地の底で燃える何かが、そっと呼吸をしている。

 

草木はそこから距離を取り、静かに輪を描くように生えていた。

それでもなお、しがみつくように咲いた小さな花々が、裂け目の縁で風に揺れていた。

 

まるで、生と死のあいだに祈りを捧げているかのように。

 

かつてここには、大きな揺れがあったのだろう。

地が裂け、岩が崩れ、形を変え、声を上げるように煙を噴いた日が。

だが、いま目の前にあるのは怒りではなかった。

 

それはまるで、深い眠りに落ちた巨人が、微睡みながら時折息を吐いているような——

どこか安らぎに満ちた風景だった。

 

山のすそ野には、丸く盛り上がった丘のような塊があった。

それは不自然なほど滑らかで、まるで大地が一晩で形を変えて産み落とした、何かの胎児のようだった。

 

まだ熱を残しているのか、表面からは薄く湯気が立ちのぼっていた。

 

 

触れてはならぬ何かを守るように、周囲の空気さえ張り詰めていた。

 

 

足元の大地は、黒く焦げ、灰に染まっていた。

 

だがその中に、確かに命が芽吹いていた。

緑の芽が、炭のように砕けた土を割って伸びている。

 

過去の災厄を忘れぬようにと刻まれた地面が、それでも未来に手を伸ばしている。

 

風が吹くたび、

空に昇った煙がかたちを変え、龍のように尾を引いて流れていく。

 

その姿を目で追っていると、

足元の小石ひとつひとつまでもが、

遥かな過去の欠片のように思えてくる。

 

 

どれほどの時がここに積もり、

どれほどの記憶が、煙とともに空へ昇っていったのだろう。

 

 

頂に目を向けると、そこには不思議な静けさがあった。

 

白く、

 

そして赤く、

 

まるで雪と血が交わったような色彩が、言葉を拒むように広がっていた。

裂け目から昇る蒸気は、空と山の境界を曖昧にし、この世のものとは思えない景色をつくりだしていた。

 

 

 

ひととき、そこに立ち尽くした。

 

 

 

歩みを止め、風に耳を澄ませる。

 

なにかが聴こえる。

それは音ではなかった。

ひとつの鼓動。

遥かな地の底から伝わってくる、

 

熱を帯びた記憶。

 

それがこの山を支え、今なお形を保ち、息づかせている。

 

 

時間が止まっているようだった。

 

鳥の声も、虫の囁きも、ここでは遠く、ただ風と煙と土の匂いだけが漂っている。

空に手を伸ばすと、湯気が指先を包むようにすり抜けていった。

それは温かく、そして確かに生きていた。

 

歩き続けてきた理由を、ここに来て初めて思い出す。

 

ただ風景を見たかったのではない。

この地の奥に宿る、目に見えない何かに触れたかったのだ。

 

それは祈りのようであり、悔恨のようであり、

あるいは希望の欠片のようでもあった。

 

陽が傾き、煙の尾が金に染まりはじめる。

 

山肌が鈍く光り、その一瞬、かつてこの地を揺るがした力と、それを抱く静けさが、ひとつに溶けあったように思えた。

 

 

 

遠くに、冷たい水を湛えた湖が見えた。

その湖面には、この火の山の姿が揺らぎながら映り込んでいた。

 

 

大地と水、熱と静寂。

それらすべてが、ひとつの時の中に溶け込んでいる。

 

 

 

そしてまた、歩き出す。

 

 

 

背を向けたその瞬間、煙がまた新たな形をとって空へ昇っていった。

 

まるで名もなき誰かの記憶が、静かに天に還っていくかのように。

 

 




この地には、語られぬ物語が積もっていた。

燃え、
裂け、
眠り、

再び芽吹く。

ただそれだけを繰り返しながら——
世界は、今日も静かに、息をしている。
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