けれど、静かに歩くうちに、
それが“形”として存在する場所があると知った。
白が語る、無言の記憶。
昼を少し過ぎた頃だった。
陽が高いのに、光は優しかった。
私はひとり、風の導きに背を押され、
白と緑の境を歩いていた。
どこまでもまっすぐに続く、
一本の細い道。
その両脇に並ぶ木々は、すべて、白。
淡く、やさしく、けれど揺るぎない白。
それは、まるで無音の音楽だった。
見えない旋律が枝先をすべり、
葉の影が、まるで言葉のように
道の上に落ちては消えていく。
白樺という木は、風に弱くない。
細く見えるその幹は、
一度も揺れることなく、
空へ、まっすぐに指を伸ばしていた。
歩いても歩いても、
景色はほとんど変わらない。
だが、ほんのわずかに
空の色が濃くなった気がした。
私は時折、足を止めた。
静けさがあまりにも深く、
かすかな葉擦れすら
胸の奥に響いてきたからだ。
風がすり抜けるたび、
白樺の皮が剥がれ、地に舞った。
ひとひらの紙のように、
記憶の断片のように。
遠くで鳥の影が動く。
けれど、声はない。
全てが、ひそやかに、
自身の存在を息づかせている。
並木道の先には、
ぽっかりと空があった。
その空は、どこか柔らかく、
落ちるように広がっていた。
私はその空の下に立ち、
しばらく、何も考えずにいた。
風のにおいは土よりも甘く、
白樺の幹には陽がしみこんでいた。
ふと目を細めると、
白い幹の一本一本が、
過去に歩んできた年の輪を抱え、
まるで旅人のようにそこに立っていた。
この地に根を下ろし、
季節のすべてを見てきたものたち。
それらの沈黙の重みが、
私の足元から背にまで満ちてきた。
空を映す丘と呼ぶべきか。
それとも、記憶の道と呼ぶべきか。
その名はどちらでもよい。
ただ、ここには確かに永遠があった。
私はその永遠の片隅に
自分の影を重ねた。
風がまた吹き、
白い皮がひとつ、舞い上がる。
それを目で追いかけるうちに、
時間が失われていくのを感じた。
この道では、時間すらもまた、
白く、静かに剥がれ落ちていくのだ。
それでも、ほんの一瞬だけ
小さな水音のような記憶が脳裏をかすめる。
昔、この道に似た景色を、
誰かと共に歩いたような感触。
それが夢だったのか、
遠い記憶の戯れかはわからない。
だが、白樺の幹に触れたとき、
その冷たさの奥に確かな温もりを感じた。
この木々もまた、誰かを記憶しているのだろう。
風の名も、影の名も持たぬまま、
ただそこに立ち尽くしているだけで。
やがて、道の途中に
小さな切り株が見えた。
その上に落ちた白い皮が、
まるで誰かが書き残した手紙のようだった。
何も書かれていないのに、
なぜか読み終えたような気持ちになる。
この場所が伝えたかった言葉は、
読むのではなく、感じるものだったのかもしれない。
そうして、私はまた一歩を踏み出す。
風は背を押し、
空は変わらぬ青で、
白樺たちは変わらぬ姿で、
そこに、ある。
この旅は、
きっとどこにも辿り着かない。
けれど、辿り着かぬことこそが、
この道の目的なのかもしれない。
ゆっくりと、
私は歩き続けた。
白の記憶のなかで、
わたし自身も、少しずつ
透明になっていくようだった。
静けさには、輪郭がある。
それを歩くことでしか知れないときがある。
白に包まれたこの道で、私はただ、
風と記憶の重なりに身を委ねていた。