まるで時間に見放された異国の庭園のようだった。
私はただ、風の声に導かれ、ひとつの緑の記憶へと足を踏み入れた。
そこには、四季が同時に呼吸する、静謐な世界が広がっていた。
柔らかい風が、目の前をすり抜けていった。
水に触れたあとのような匂いが、鼻腔に淡く残る。
苔むした石の階段をひとつずつ下り、陽だまりの奥へと足を踏み入れると、そこには緑の大河が横たわっていた。
水ではない。草でもない。
それは、時間の流れそのものを編み込んだような、ひとつの静けさだった。
地面には花が咲き、枝の高みに鳥影が差し、風の通り道を示すように、白い花弁が舞っていた。
ここには季節のすべてが共にある。
芽吹きと熟れ、落葉と雪の余韻。
記憶というものが、もし形を持って漂っているとすれば、きっとこういう色をしているのだろう。
歩くたび、靴の裏で草の密度が変わる。
絨毯のように均された場所もあれば、うねるように盛り上がる丘もある。
ある場所では、白い花が風に合わせて踊り、
またある場所では、鮮やかな紫の花が静かに項垂れている。
遠く、ぼんやりとした水音が聞こえる。
それはどこからともなく流れてくる。
ひとすじの流れが、地面を裂いて進むわけではない。
水は、草の間をすり抜け、葉の上に溜まり、どこまでも静かに、しかし確かに動いていた。
まるでこの場所そのものが、緑の衣をまとったまま、深い眠りの中で呼吸しているかのようだった。
ひとつ、またひとつと、足元に咲いた花を数えるたび、
時が緩やかにほどけていく。
朝露の気配を残したままの草原に、やがて太陽の斜光が射し、光の縁がふるえて波紋をつくる。
左手には、噴き上がる水の背が見えた。
そのまわりには、風に合わせてそよぐ木々の集まりがある。
枝の上では、小鳥たちが短く尾をふり、しずくのような鳴き声を残してどこかへ消えていった。
水は上へ上へと昇り、空に触れそうなほどの高さで弾け、やがて無数の粒となって落ちてきた。
その一粒ひとつぶが、木々の葉に触れ、花びらに宿り、また地面へと還ってゆく。
足を止めて見上げると、空はどこまでも澄んでいて、薄く広がった雲の群れが静かに流れていく。
風はあいかわらず、音もなく吹いていた。
緑の大地を縫うように、ひとすじの道が続いていた。
それは土でできた道ではない。
誰かが通るたび、草が撫でられ、薄く寝かされたように生まれた、風と足音のあとだった。
草の海の中央には、小さな円形の広場がある。
中心には、白い石でできた柱が立っている。
特別な装飾は何もない。ただ、時間だけが彫り込まれている。
柱の影が刻むのは、文字でも数字でもない。
光と風が描く、目には見えぬ暦だった。
周囲には、静かに腰を下ろせるような大きな石がいくつか並んでいた。
苔がほどよく茂り、長い間、誰にも動かされていないことを語っていた。
そのひとつに腰をおろし、眼を閉じる。
風の音が、耳の奥に吸い込まれていった。
その奥に、小さな虫の羽音がある。
どこかで誰かが歩くような、柔らかな草のきしむ音も聞こえる。
そしてそれらの音は、すべて水音に吸い込まれてゆく。
再び歩き出すと、道の両側には背の高い木々が増え始めた。
枝先が空を覆い、地上には葉の影が揺れている。
木漏れ日が、揺れる音もなく、ただ静かに地面へ降ってくる。
その光に触れた草は、ほんのりと金の色を帯びていた。
風に揺れるたびに、草の一枚一枚が光の粒をこぼすようだった。
まるで地面そのものが、ひとつの大きな風鈴のように、
風にあわせて、音のない響きを奏でていた。
やがて、風が止んだ。
音もなく、葉の揺れもない。
虫も鳥も黙したまま、空だけがゆっくりとその色を変え始めていた。
淡い青から、柔らかな橙へ。
空が一日の最後の色を纏うとき、緑は静かにその輪舞を終える。
地面に咲いた白い花が、ひとつ、またひとつとつぼみ始める。
それは眠りの合図だった。
どこか遠く、木の葉の奥で、ひとつだけ風が抜ける音がした。
私はそれを追わず、ただ背中に受けたまま、足元の草を踏みしめた。
夜が来る前に、この緑の夢から、そっと抜け出さねばならない。
振り返れば、風の輪舞はまだ続いていた。
音のない光、揺れる葉、沈黙の水。
誰にも気づかれず、誰もが通り過ぎてしまう緑の魂。
その記憶だけが、歩いた足に確かに宿り、
今も胸の奥で淡く揺れている。