泡沫紀行   作:みどりのかけら

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その風景は、都市の中心にありながら、
まるで時間に見放された異国の庭園のようだった。

私はただ、風の声に導かれ、ひとつの緑の記憶へと足を踏み入れた。

そこには、四季が同時に呼吸する、静謐な世界が広がっていた。


0027 緑風の輪舞

柔らかい風が、目の前をすり抜けていった。

水に触れたあとのような匂いが、鼻腔に淡く残る。

 

苔むした石の階段をひとつずつ下り、陽だまりの奥へと足を踏み入れると、そこには緑の大河が横たわっていた。

水ではない。草でもない。

それは、時間の流れそのものを編み込んだような、ひとつの静けさだった。

 

地面には花が咲き、枝の高みに鳥影が差し、風の通り道を示すように、白い花弁が舞っていた。

ここには季節のすべてが共にある。

芽吹きと熟れ、落葉と雪の余韻。

記憶というものが、もし形を持って漂っているとすれば、きっとこういう色をしているのだろう。

 

歩くたび、靴の裏で草の密度が変わる。

絨毯のように均された場所もあれば、うねるように盛り上がる丘もある。

ある場所では、白い花が風に合わせて踊り、

またある場所では、鮮やかな紫の花が静かに項垂れている。

 

遠く、ぼんやりとした水音が聞こえる。

それはどこからともなく流れてくる。

ひとすじの流れが、地面を裂いて進むわけではない。

水は、草の間をすり抜け、葉の上に溜まり、どこまでも静かに、しかし確かに動いていた。

まるでこの場所そのものが、緑の衣をまとったまま、深い眠りの中で呼吸しているかのようだった。

 

ひとつ、またひとつと、足元に咲いた花を数えるたび、

時が緩やかにほどけていく。

朝露の気配を残したままの草原に、やがて太陽の斜光が射し、光の縁がふるえて波紋をつくる。

 

左手には、噴き上がる水の背が見えた。

そのまわりには、風に合わせてそよぐ木々の集まりがある。

枝の上では、小鳥たちが短く尾をふり、しずくのような鳴き声を残してどこかへ消えていった。

 

水は上へ上へと昇り、空に触れそうなほどの高さで弾け、やがて無数の粒となって落ちてきた。

その一粒ひとつぶが、木々の葉に触れ、花びらに宿り、また地面へと還ってゆく。

 

足を止めて見上げると、空はどこまでも澄んでいて、薄く広がった雲の群れが静かに流れていく。

風はあいかわらず、音もなく吹いていた。

 

緑の大地を縫うように、ひとすじの道が続いていた。

それは土でできた道ではない。

誰かが通るたび、草が撫でられ、薄く寝かされたように生まれた、風と足音のあとだった。

 

草の海の中央には、小さな円形の広場がある。

中心には、白い石でできた柱が立っている。

特別な装飾は何もない。ただ、時間だけが彫り込まれている。

柱の影が刻むのは、文字でも数字でもない。

光と風が描く、目には見えぬ暦だった。

 

周囲には、静かに腰を下ろせるような大きな石がいくつか並んでいた。

苔がほどよく茂り、長い間、誰にも動かされていないことを語っていた。

そのひとつに腰をおろし、眼を閉じる。

 

風の音が、耳の奥に吸い込まれていった。

その奥に、小さな虫の羽音がある。

どこかで誰かが歩くような、柔らかな草のきしむ音も聞こえる。

 

そしてそれらの音は、すべて水音に吸い込まれてゆく。

 

再び歩き出すと、道の両側には背の高い木々が増え始めた。

枝先が空を覆い、地上には葉の影が揺れている。

木漏れ日が、揺れる音もなく、ただ静かに地面へ降ってくる。

 

その光に触れた草は、ほんのりと金の色を帯びていた。

風に揺れるたびに、草の一枚一枚が光の粒をこぼすようだった。

まるで地面そのものが、ひとつの大きな風鈴のように、

風にあわせて、音のない響きを奏でていた。

 

やがて、風が止んだ。

 

音もなく、葉の揺れもない。

虫も鳥も黙したまま、空だけがゆっくりとその色を変え始めていた。

 

淡い青から、柔らかな橙へ。

空が一日の最後の色を纏うとき、緑は静かにその輪舞を終える。

 

地面に咲いた白い花が、ひとつ、またひとつとつぼみ始める。

それは眠りの合図だった。

 

どこか遠く、木の葉の奥で、ひとつだけ風が抜ける音がした。

 

私はそれを追わず、ただ背中に受けたまま、足元の草を踏みしめた。

 

夜が来る前に、この緑の夢から、そっと抜け出さねばならない。




振り返れば、風の輪舞はまだ続いていた。

音のない光、揺れる葉、沈黙の水。

誰にも気づかれず、誰もが通り過ぎてしまう緑の魂。

その記憶だけが、歩いた足に確かに宿り、
今も胸の奥で淡く揺れている。
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