泡沫紀行   作:みどりのかけら

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雪に沈む森を抜けると、風が音を止めていた。

声なき世界、息を呑む白。

そこに現れたのは、夢よりも静かで、現よりも遠い、
時間さえも踏み入れをためらう雪の彫刻たちだった。


0037 雪花の迷宮

身体の底から凍りつくような風が吹き抜けたあと、目の前にそれは広がっていた。

まるで大地そのものがため息を吐き、その吐息が結晶となって空間を織り上げたかのように。

 

はじめは、ただの丘に見えた。

しかし歩を進めるごとに、その輪郭が変わっていく。

 

山ではなく、塔だった。

 

塔ではなく、神殿だった。

 

神殿ではなく、動き出しそうな幻獣だった。

 

何度まばたきを繰り返しても、真の姿にはたどり着けなかった。

雪でできたそれらは、形に縛られながら、形に抗っていた。

 

足元には、誰かの足跡が残されていた。

 

だが、それがどこへ向かったのかはわからない。

雪は黙って覆い隠し、すべての記憶を白く均す。

 

音も匂いも、熱も影も。

 

ただ、彫刻だけが残っていた。

 

巨きな鳥の羽ばたきが凍りついたようなアーチが、空を割るように立っていた。

その内側には、幾重もの尖塔が寄り添い、絡み、凍りついた瞬間の祈りのように佇んでいる。

空は、白と青の境を曖昧にして、まるでこの世界の時間がとっくに止まっていることを知らせているようだった。

 

そこに刻まれた模様は、まるで精霊の言葉だった。

読み解くことはできなかったが、確かにそれは、語りかけてくる気配を持っていた。

ひとつひとつの曲線が、光を受けてきらめき、そのきらめきがまた、新しい模様を作り出す。

 

雪はただの白ではなかった。

銀と青と、透き通る灰と、淡い水色と。

無数の白が、音もなく踊っていた。

 

歩くたび、足元がわずかにきしむ。

 

その音だけが、唯一の現実。

手をのばせば崩れそうで、触れることすら躊躇われた。

だが近づいてみると、意外なほど硬く、研がれた石のように冷たく滑らかだった。

それが氷なのか、雪なのか、あるいはもっと別の物質なのか、判断できなかった。

 

ふと視界がひらけ、広場のような場所に出た。

 

そこには、何かを迎えるための空間のような静けさがあった。

その中心に立っていたのは、まるで眠る獅子を象ったような彫像。

威圧するのではなく、包み込むような優しさを湛えていた。

 

その瞳には、雪では表現できないはずの深い翳りが宿っていた。

 

空を見上げれば、氷でできた蔦が絡まる天井が、空をかすかに覆っていた。

夜になると、それが月の光を吸い込み、すべてを柔らかく照らすだろうと想像できた。

光はこの場所のためだけに降りてくるのかもしれない。

この場所が、光の記憶を守り続けるからかもしれない。

 

壁面には、無数の人影のような彫刻が並んでいた。

顔はすべて違い、衣も姿も異なっていた。

 

誰かの記憶だろうか。

 

あるいは、訪れた者が忘れていった想いの残像か。

その中に、ふと、見覚えのあるような表情があった。

けれど、次の瞬間にはもう違う顔に見えていた。

雪は、記憶を模すことができる。

そして、それを永遠に留めることができない。

 

迷宮のように入り組んだ道を進んでいくと、時折、風が舞い上がる。

風は壁に当たり、響き、低く鳴った。

まるでこの地そのものが、遠い昔の唄を口ずさんでいるようだった。

 

いくつもの彫刻が、光に照らされていた。

どこから光が射しているのか、わからなかった。

だが確かに、彫刻の輪郭には影があり、

 

その影は、まるで自分とは別の生き物のように伸びていた。

 

氷のアーチを抜けると、最後の空間があった。

そこには、何もなかった。

 

いや、何も「造られていなかった」。

 

ただ風と雪だけが踊っていた。

無垢の白、空っぽの静寂。

すべての記憶が、この無に辿り着くために彫られていたのだと、なぜか思った。

 

立ち止まる。

 

すべてが止まる。

 

音も、光も、呼吸さえも。

ただ、雪だけが、永遠の名残のように降り続いていた。

 




心に降り積もるものがあるとすれば、
それは記憶ではなく、名を持たぬ感情かもしれない。

この場所は語らない。

ただ、黙って存在し、いつか誰かが忘れた「静けさ」を、永遠に映していた。
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