泡沫紀行   作:みどりのかけら

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白は記憶を包む。
言葉よりも先に心に届くのは、色ではなく、温度だった。

わたしが歩いたのは、どこまでも白に抱かれた静謐の地。
そこには名もなく、音もなく、ただ永遠のような気配だけが漂っていた。

冬、その深い静けさの中で出会ったのは、
雪よりも白く、風よりもしなやかに生きる者たち。

これはそのとき、
わたしの心に舞い降りた記憶のかけら。


0074 銀狐の宴

風が、乾いた雪の粒を舞い上げながら、地の声をさらっていく。

足元には、昨日の夢が積もっていた。

白い、静かな夢。

指先の感覚が消えていくほどの冷たさに、身体は小さくたたまれていくのに、心だけはどこまでも広がっていく。

 

丘を越えた先には、声なき祝祭が広がっていた。

その白い野に、音はない。

あるのは、吐く息と、空の色を反射した雪の輝き。

そして――その白を縫うように現れた、しなやかな影。

 

一頭。

また一頭。

まるで雪の粒が集まって形を成したように、銀の毛並みをまとった者たちが現れる。

その動きは軽く、音もなく。

まるでこの世界に存在することさえ許されていないかのように、静かに、しなやかに、風の中を生きていた。

 

白銀の野を斜めに切り取るように、細い足跡がのびていく。

それは記憶の裏側に、そっと言葉を残す詩のようだった。

誰にも読まれぬまま、やがて雪に消えていく詩。

それでも確かに、そこに生きていたという証を、彼らは描いていく。

 

わたしは足を止める。

目の前を、ひときわ大きな銀の影が横切る。

その尾は、まるで雪を照らす月光のように揺れた。

まなざしは、風よりも遠くを見つめていた。

この世界ではない、もっと遠いどこか。

時間の果てにさえ届いてしまうような、無垢な眼。

 

その姿を見た瞬間、胸の奥に残っていた熱がふっと消えた。

炎ではなく、氷のように。

けれど不思議と、それは温かい記憶の始まりだった。

 

風は、彼らの毛並みに語りかけているようだった。

そして彼らは、風の問いかけに静かに頷きながら、この地を舞う。

跳ねるたび、雪はほのかに光を散らし、世界は一瞬ごとに新しい形へと変わっていく。

 

わたしはその変化を、ただ黙って見つめていた。

言葉にすれば壊れてしまう儚さが、そこにはあった。

誰のためでもない宴。

誰にも見せるためではない舞。

 

それはきっと、永劫を超えるための祈りだったのだろう。

 

遠くで、風にのって雪がざわめいた。

それは拍手のようでもあり、別れの合図のようでもあった。

銀の尾がひとつ、またひとつ、白の中へと消えていく。

舞は終わった。

祝祭のあとには、ただ静寂だけが残される。

 

足元に刻まれた足跡が、すでに風に消えかけていた。

わたしはその痕跡を、目に焼きつけるようにして歩き出す。

 

雪はなお、音もなく降り続いていた。

降り積もる白の中、過去も未来も曖昧になる。

ただいまという言葉が、この場所では意味をなさない。

帰るべき場所など、本当はどこにもなかったのかもしれない。

 

それでも、わたしは歩き続ける。

彼らの消えた方角へと。

白の奥に埋もれた記憶を、ひとつひとつ掘り起こすように。

 

いつか、この旅が終わる時、

きっともう一度、

あの銀の尾がわたしを振り返る。

 

その時まで、

この静けさの中を歩いていく。

 

誰にも読まれぬ詩を、

胸に抱きながら。




彼らは、誰にも気づかれずに去っていく。
けれど、その足音の消えたあとに残る余韻は、
雪とともに、いつまでも胸の奥で鳴り続けている。

わたしは何も手に入れてはいない。
けれど、何も持たないまま、
あの白の中に、確かに息づくものに触れた。

旅は続く。
また別の白へ、別の静けさへ。

けれどあのときの光景だけは、
心の奥で、永久に凍ることなく、
静かに息づいている。
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