それは自分の記憶であって、誰かの記憶でもあるような、不思議な感覚だ。
音を吸い込んでしまう白い世界では、言葉よりも沈黙のほうが真実に近い。
私はその沈黙を拾い集めるように、歩き続けた。
そして出会った、白に包まれた灯の町。
それは、まるで時間が眠る場所だった。
踏みしめるたび、雪が音をたててほどけてゆく。
そのたび、足元の白はわずかに沈み、また形を変えて凍る。
冷たいというよりも、静けさが肌に触れる感覚だった。
まるで時間そのものが、ここではひとつの結晶になっているかのようだった。
空は白く、灰にも似たうすい銀で覆われていた。
曇天ではなく、光を含んだ雲が、頭上で音もなく広がっていた。
それはまるで、どこまでもやさしい沈黙の天蓋のようで、歩く者の心の奥までをも包みこんでいた。
道の端には、雪に押し黙った古い柵が並んでいた。
その向こうには、雪に眠る並木が立ち並び、幹のすべてが白の衣を纏っていた。
枝の先まで凍りついたような沈黙のなか、ただ風だけが、姿を持たぬ影のように通り過ぎていく。
町は、白に包まれていた。
屋根も、道も、石垣も、影さえも。
ただ、あちこちに灯るやわらかな光だけが、その静寂にわずかな温度を与えていた。
それは灯りでありながら、灯火ではなかった。
光の源は見えず、ただ雪の面に淡く映り込んでいた。
道ばたの柵のひとつ、足跡の消えた小径の先、空へとのびる煙のない煙突の根元。
白の中に浮かぶそれは、まるでこの町そのものが放っているかのようだった。
ひとつの門が、雪のなかに沈むように佇んでいた。
重く厚い扉は半ば埋もれ、扉の上には削られたような模様が浮かんでいた。
けれどそれも、積もる雪の輪郭に呑まれ、いまや白い皺のようにしか見えなかった。
門の向こうへと足を進める。
その先には、凍てつく長い石の道があり、左右には均等に積もった雪の段が連なっていた。
まるでその場所自体が、時の流れを測る秤のようだった。
風が止まると、すべてが凍る。
音が消えると、記憶すらもそのまま雪のなかに閉じ込められる。
この町に吹く風は、遠い日々の声を運んでくる。
けれど声はすぐに消え、ただ、雪の面に残るのは、誰かの歩いた形跡だけだった。
やがて、小さな広場に出た。
そこには、円を描くように並んだ古い柱がいくつか、まるで囲むように立っていた。
柱の上には何もない。
けれど、雪が風に舞うたび、その円の中心には見えない何かが確かにあった。
それはたとえば、永遠の記憶のかたち。
それはたとえば、灯らぬ光のあたたかさ。
白のなかに浮かぶ、名前のないやすらぎだった。
その広場の端には、今にも崩れそうな階段があった。
雪が段差を埋め、石と雪とが見分けのつかぬほどに重なり合っていた。
ひとつ、またひとつと、足をかけるごとに、わずかに違う音が響く。
それは石の声なのか、雪のささやきなのか、あるいは時の澱なのか、わからなかった。
上りきった先に、白い屋根があった。
ただの屋根だった。
だがその形は、何かをずっと待ち続けているようにも見えた。
雪が、空から降り続けていた。
同じかたちをしたものは、ひとつとしてなかった。
それでも地上に降りると、みな同じ白に溶けていった。
ここにいると、人の存在もまた、雪のひとひらのように感じられた。
触れれば消えてしまいそうで、けれど確かにこの世界の一部であった。
それはとても心地よい孤独であり、深いところでつながるぬくもりだった。
足元には、いくつかの足跡が残っていた。
それはもう固まり、薄い氷の膜をまとっていた。
どれも少しずつ方向が違い、まるでそれぞれの旅が、ここに一度重なった証のようだった。
どこまでも静かで、どこまでも深い場所だった。
白の奥にあるものが、決して語られることなく、ただそこに存在していた。
灯りはひとつもなく、それでも白はやさしく、景色を包んでいた。
ふと見上げると、空に浮かぶ光が、雪を透かして瞬いていた。
それは、忘れられた季節の記憶か、それともこれから来る何かの予感か。
ただ確かなことは、
この町が、永遠に白を抱いて生きているということだった。
人の記憶はやがて雪のように降り積もり、輪郭を失っていく。
けれど、確かにそこにあったものは、かたちを変えて、静かに残り続ける。
この町で見た白は、そんな記憶の重なりのようだった。
触れられず、名づけられず、それでも確かに心に灯るもの。
旅はまた次の地へと続いてゆくが、この白だけは、永遠に、私の中に降り続けるだろう。