泡沫紀行   作:みどりのかけら

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砂は記憶を持たないという。
それは形を留めず、風の気まぐれに委ねられ、
昨日の足跡さえ、今日には消えてしまう。

だが、私は信じている。
消えたものの中にこそ、永遠は宿るのだと。

この旅の途上、
ただひとり歩いた白の世界で、私は
“残らないもの”の美しさと出会った。
それは声を持たず、名を持たず、
ただ風と光の中に漂っていた。

この物語は、その時のこと。
ある日の、静けさの中で出会った、忘れ得ぬ白の記憶である。


0089 幻砂の浜辺

足元で、乾いた砂がかすかに鳴いた。

風が吹くたび、それはかすかな音楽のように、耳の奥で震えた。

砂は白く、冷たく、どこまでもやわらかく。

歩けば沈み、戻れば痕跡も残さぬ。

 

曇り空に滲んだ光は、境界を忘れた朝の色をしていた。

太陽はまだ、空のどこかに在るだけで、姿を見せぬまま。

だが、確かにそこにいた。

この風の、肌に触れるあたたかさが、それを語っていた。

 

背後には、見渡す限りの原野が広がっていた。

草はすべて低く、風に擦られて磨かれたように艶を帯び、

群れず、頼らず、ただ孤独を受け入れながら立っていた。

そして草々の間には、音もなく伏せる水たまりがいくつも眠り、

空を真似て、ただ黙して広がっていた。

 

けれど、前を向けば世界は変わる。

その先には、砂があった。

何もない、ただそれだけの白。

風はその上に指を走らせ、

幾千もの波紋と曲線を、絶え間なく生み出していた。

まるで目に見えぬ大きな手が、静かに舞を続けているかのように。

 

私はただ、そこを歩く。

ただそれだけで、十分だった。

歩くたび、空気が揺れ、時間が遠のいていく。

風の音に、私の足音が吸い込まれていく。

 

砂丘と呼ぶには低すぎる丘がいくつも連なり、

けれどその一つひとつに、名のない物語が眠っているようだった。

斜面には、うねりながら描かれた模様があった。

幾重にも重なった風の筆跡。

それらは過去の風の記憶であり、

まだ訪れていない風の予兆でもあった。

 

私はふと足を止め、膝を折って、その一つに指を添えた。

指先が触れる前に、それはさらりと崩れた。

儚さが、ここでは常に先にある。

何かを手に入れるより前に、それは形を変えてしまう。

 

遠くで、鳥の影がひとつ、風に乗って揺れていた。

その羽ばたきは見えぬまま、ただ影だけが流れていく。

空と地とを繋ぐものは、あれしかないと思った。

 

足元には、泉の名残のような湿りがあった。

砂の間にほんのわずかな水が滲んで、光を帯びていた。

その水は動かず、言葉もなく、ただそこにあった。

澄んだまま、濁らず、触れればすべてを静かに映すのだろう。

 

しばらく歩いた先に、風の影が一層濃くなった場所があった。

そこには一面の白が広がり、砂の海のようだった。

境界のない海。

波のない、ただ風だけが泳ぐ場所。

 

私はそこで立ち尽くし、風に髪をゆだねた。

肌の上を、過去と未来がすれ違うのを感じた。

この地の風は、すべてを知っているようだった。

それは語らないが、すべてを抱いている。

 

太陽はまだ姿を見せぬまま、空に光を散らしていた。

まるで、沈黙という名の祈りを捧げているようだった。

 

私はこの地で、何も持たず、何も求めずに立っていた。

ただ白の記憶の中に溶け込むように、

この無音の風景の一部となっていくように。

 

そして、何も変わらぬまま、私はまた歩き出した。

砂の音と、風の記憶を連れて。




風がすべてをさらっていった。
それでも私は、確かにそこを歩いた。

何も語らず、何も与えず、ただ在るだけの景色に、
私は心の深いところを差し出した。

砂の模様は、もうとっくに風の中に消えてしまった。
だが私の内には、あの時の沈黙がまだ残っている。

永遠とは、続くことではない。
消えてもなお、確かに心に触れていること。

私はまた歩き続ける。
この記憶が、どこかの静かな風景へと続いていると信じて。
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