泡沫紀行   作:みどりのかけら

928 / 1189
秋の始まりの気が、まだ柔らかな冷えを含んで流れていた。
草の匂いを胸に吸い込みながら、静かな歩みを続けていた。
遠い空は高く澄み、淡い光が地へ静かに落ちている。
その光の奥に、白い糸のような気配が微かに揺れていた。


土はまだ温もりを残し、足裏にやさしく沈む。
乾いた葉を踏むたび、小さな裂け目の音が広がる。
その音は、見えない時をゆっくりほどいていく。
胸の奥には、まだ触れていない静けさが残っていた。


風が細く吹き抜け、どこか懐かしい匂いを運んでくる。
それは古い木肌と、白い繭の眠りに似ていた。
歩みを進めるほど、その気配はゆっくり濃くなる。
まだ姿を見せぬ何かが、静かに呼び寄せていた。


空の淡い光が、草の影を長く引き伸ばす。
その影の奥に、時の重なりがひそんでいる。
私はただ足裏の感触を確かめながら歩く。
遠い記憶の入口が、秋の風にほどけていた。



928 時を紡いだ白き糸の遺産殿

山裾を渡る秋の気が、薄く乾いた匂いを運んでくる。

足裏に触れる土はやわらかく、かすかな温もりを残していた。

朽ちかけた梁の影が、夕の光に長く沈んでいる。

白い糸の気配だけが、まだ空気にほどけず残っていた。

 

 

戸の外れた暗がりに、淡い繭の匂いが滞っていた。

指先で壁をなぞると、古い木肌が粉のように崩れる。

遠くの草が擦れ合い、かすかな音を静けさへ返していた。

 

 

歩み寄るほどに、床板の冷えが足裏へ沁みてくる。

乾いた葉が踏まれ、軽い裂け目の音を残して沈む。

梁の上には薄い光が溜まり、白い埃がゆっくり漂う。

繭を包んでいた季節の息が、まだここで眠っている。

 

 

掌を柱へ当てると、冷たい年輪が沈黙を返す。

古い繭殻がひとつ、床の隅で静かに割れていた。

薄い糸の残り香が、喉の奥でかすかにほどける。

 

 

空は高く澄み、乾いた光が奥まで差し込む。

その光の粒が、見えない糸を探るように漂う。

足元の板はわずかに軋み、低い震えを返した。

触れた指に、繭殻の軽さが淡く残っていた。

 

 

崩れた壁の隙間から、細い風が入り込む。

その風は白い糸の匂いを遠くから連れてくる。

胸の奥で何かがほどけ、静かな余白だけが広がる。

 

 

床に残る細かな粉が、靴裏にさらりと絡む。

乾いた繭殻を拾うと、羽のように軽く震えた。

遠い日差しがその白を透かし、淡い影を落とす。

手のひらに残る感触が、静かな温度を呼び戻す。

 

 

日が傾き、梁の影がゆっくりと重なり合う。

白い埃は光を離れ、深い色の中へ沈んでいく。

胸に触れる空気が、少しだけ柔らいでいた。

 

 

外へ歩み出ると、草の香りが濃く満ちていた。

足裏に残る木の冷えが、まだかすかに続いている。

背後の静けさから、細い糸の気配が漂う。

それは風にほどけながら、夕暮れへ溶けていく。

 

 

遠い空の淡さが、白い余韻を引き延ばす。

掌に残る軽い繭殻の感触が、歩みに寄り添う。

秋の気は深まり、見えない糸を静かに結び直していた。

 

 

夕の光が淡く残り、空は深い藍へ傾いていく。

足元の草は冷えを帯び、触れるたび静かに折れた。

背後の影の奥で、白い糸の記憶がまだ揺れている。

風は低く流れ、薄い匂いを胸の奥へ置いていった。

 

 

歩みはゆるやかに続き、土の粒が足裏へ移る。

乾いた葉が擦れ、細かな音を闇へ返した。

遠くの草むらから、かすかな湿り気が昇る。

その気配は、白い糸の眠りに似ていた。

 

 

小さな石を踏むと、鈍い硬さが骨へ伝わる。

冷えた風が頬をかすめ、薄い震えを残した。

掌を見下ろすと、粉のような白がまだ残る。

それは繭殻のかけらのように、淡く光っていた。

 

 

やがて風は静まり、空の色が深く沈む。

歩むたびに、胸の内へ静かな空洞が広がる。

その空洞は、白い糸を受け取る器のようだった。

 

 

枯れ草の束が足に触れ、乾いた痛みを残す。

しゃがみ込み土を触れると、冷えた粒が指に絡む。

その冷えは、長い時の底に触れた感触だった。

 

 

薄い雲が空を流れ、淡い光をほどいていく。

見えない糸がその光を集め、遠くへ導く。

足の重さはいつしか軽くなり、歩みが静かに揺れる。

胸の奥に残る白が、ゆっくり広がっていった。

 

 

夜の気が近づき、風はわずかに湿りを帯びる。

草の先が頬へ触れ、ひやりとした感触を残した。

耳を澄ますと、細い擦れ音が地を渡っていく。

それは糸がほどける響きに似ていた。

 

 

足元の影は濃くなり、土の色が闇へ沈む。

それでも胸の奥には、淡い白が残っている。

歩みとともに、その白は静かに形を変えた。

 

 

夜露が草へ落ち、冷たい粒が指に触れる。

その透明な重みが、繭殻の軽さを思い出させた。

掌を閉じると、静かな温もりが残る。

それは細い糸が、内側で結ばれる感触だった。

 

 

遠い空の奥で、淡い光がひとつ揺れる。

足裏の土はやわらぎ、歩みを静かに受け止める。

白い糸の気配は風へ溶け、深い夜へ続いていた。

 




夜の深まりが、静かな冷えを地へ落としていた。
草の先に宿る露が、かすかな光を抱えている。
足裏には、長く歩いた土の温もりが残っていた。
その温もりは、白い糸の余韻のように続く。


遠くの空は暗く澄み、淡い星がひとつ滲んでいる。
風は弱く流れ、乾いた匂いを静かに運ぶ。
胸の奥には、ほどけた糸の軽さが残っていた。
それは何かを失った重さではなかった。


指先にはまだ、繭殻の軽い感触が眠っている。
触れれば崩れるほどの薄さなのに、消えはしない。
歩みの奥で、その白は静かな輪を描く。


振り返らずとも、背後には深い静けさがある。
その静けさの中で、細い糸は時を渡っていた。
足裏の土がやわらかく沈み、歩みを受け止める。
秋の夜気は深まり、白い余韻だけが続いていた。
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