未だに、分からない。
グロンギ達の目的。未だに何も分からない。
あれから数日。
グロンギに襲われる恐怖を毎日感じながら生活を続けていた。
「けれど、今、俺に出来るのは……」
胸の奥で疼く何かが、また熱くなる。
その時だった。
冷たい風が頬を撫でた。
普段と変わらない住宅街の通り。
なのに今日は違う。
空気が澱んでいた。
湿ったような、鉄錆びたような匂いが鼻腔を刺す。
俺は思わず立ち止まった。
「……ッ!」
嫌な気配が背筋を駆け抜けた。
まるで大きな獣がすぐ傍らを横切ったかのような気配だ。
(ここからだ)
直感が働く。
足は自然とそちらへ向かっていた。
靴の裏で小石が軋む音さえも響くほどの静寂。
曲がり角。
息を飲んだ。
壁一面に巨大な血痕。
壁に付着したそれは鮮血の色ではなく、濁った茶褐色だった。
乾きかけているがまだ生暖かい臭気を放っていた。
周辺の塀は剥がれ落ちて凹んでいる。
普通の人体ではありえないような力による傷跡だ。
大型トラックでも突っ込まないとこうはならない。
間違いなくグロンギの仕業。
その瞬間、地面が震えた。
「ッ!?」
振り向いた視界いっぱいに巨体が迫っていた。
クマだ。
正確にはクマ型のグロンギ。
全身を茶色い毛皮に包まれ、腕は丸太のように太い。
二本脚で立っているが身長は3メートル近くありそうだ。
両手の指は鈎爪状に尖り、胸板には奇妙な文様が刻まれている。
『ゴ……ドゥ……ワァ……』
低い唸り声。
歯茎が見えるほど開いた口からは唾液が滴り落ちている。
視線は俺を捉えて離さない。
(こいつ……最初から俺を探してた!)
逃げる隙はない。
恐怖で脚が竦む。
だが脳裏に浮かんだのは被害者の姿。
無残な死体。
こんな奴らがこの街を彷徨いている事実に吐き気を催す。
だからこそ。
「お前にこれ以上、殺させない!」
恐怖よりも、俺は走り出した。
「変身!!」
叫びに合わせて、俺はダクバの姿になる。
白地のボディに漆黒のアーマーが装着されていく。
黄色のマフラーが夜風に靡く。
グロンギも動き出した。
『ブォォォォオオオン!!』
咆哮と共に振り下ろされた右腕!
凄まじい怪力の一撃だ!
咄嗟に俺は左腕で防御したが、衝撃で肩に電流が走るような痛み。
一瞬で足が地面から離れ吹き飛ぶ。
コンクリート壁に背中を叩きつけられた!
「がはっ……!」
肺から空気が搾り出される。
視界がチカチカする。
しかし敵は休ませてくれない。
巨体が跳躍し、今度は両手を組んだ張り手の形で迫る。
俺は必死に転がって回避する。
風圧だけで塀が砕け散った。
「クソッ……!」
反撃しようとした時だった。
足元に違和感。
血溜まりの中に何かが落ちている。
小さなペンダント。
誰かの持ち物だろう。
見覚えのある模様が刻まれている。
(これは……)
考える間もなく次の攻撃が飛んでくる。
爪が頬を掠めた。
俺は跳び退きながら思考を巡らせる。
クマなら嗅覚も優れているはずだ。
音や臭いで獲物を捕捉する。
つまり真正面からの力押しでは不利。
搦め手を取るべきだ。
俺は周囲を見回した。
この狭い路地裏での有利は何か?
遮蔽物はあるか?
壁際に積まれた古いドラム缶を見つけた。
「こっちだ!!」
挑発するように叫びながら疾走する。
予想通り、敵は追ってきた。
巨体故に小回りが効かない。
俺は曲がり角を利用して敵の死角に入り込んだ。
しかしクマのグロンギはすぐに方向転換。
鼻孔がヒクヒクと動き、俺の位置を特定してきた。
(クソっ……予想以上の嗅覚!)
絶望的な状況だ。
だが諦めない。
ドラム缶を蹴飛ばし視界を遮ると同時に、
壁を蹴り上がって建物の屋根へと登る。
見下ろすと奴が唸り声を上げて見上げている。
その時だった。
俺の左手に熱い感覚。
紋章が脈打つ。
漆黒のアーマーが一層硬質になり、
金色の模様が浮かび上がる。
背中に風が巻き起こる。
(この感じ……前と同じ……!)
「もう一度だ!!」
意識が加速する。
視野がクリアになり、敵の動きが緩慢に映る。
奴の咆哮が遅れて聞こえる。
俺は屋根から飛び降りた。
風切り音と共に落下。
地上20メートルからの自由落下エネルギーを利用した必殺キックを繰り出す。
クマのグロンギが両腕をクロスさせてガード態勢を取った。
衝撃音!
鉄筋コンクリートが粉塵を撒き散らす。
奴の両腕にひび割れが走る。
だが貫通しない。
「こんなもの……かッ!!」
俺の蹴りは防がれたが威力は半減しなかった。
敵を吹き飛ばし壁に激突させる。
さらに追撃を加えるべく接近しようとしたその時!
奴の全身から蒸気が噴き出した。
「なっ……!?」
体表の毛が逆立ち、
腕部の筋肉が肥大化。
まるで臨戦態勢に移行した野生動物のようだ。
『ヴゥオオオーンッ!!!』
怒号と共に跳躍してきた。
巨体の迫力に圧倒されそうになるが踏み止まる。
両腕を交差させて防御。
衝撃に膝が折れかけるが耐えた。
「く……このままじゃっ」
グロンギが両腕を組み直し、咆哮を上げる。血管が浮き上がるほどの力こぶが脈打っているのが見て取れた。
(ヤバイ……このままじゃ押し潰される!)
背筋を氷が這い上がる感覚。本能が警鐘を鳴らし続けている。
そのとき──左手首に刻まれた紋章が再び灼熱を帯びた。今度は前よりも強く、鋭い閃光が迸る。
「また……っ!?」
視界が一瞬白く染まる。
俺の装甲が淡い青に包まれて分解し、再構成される。黒と金の装飾が剥げ落ち、表面は砂嵐に晒された古鋼のように荒れ果てていく。
だがその荒涼とした姿から漏れるのは、驚くべきことに凛然とした清冽さだった。
風を裂く音と共に装甲の変容が完了する。青を基調としながらもところどころ錆びつき、あるいは苔むしたかのような質感。両肩には波打つ布切れが翻る。
「はぁっ……!?」
自分の声さえ他人のもののように軽やかで透き通る。四肢が一気に軽量化された感覚。まるで重力そのものが弱まったかのようだ。
クマグロンギが猛然と突進してくる。
牙を剥き出し、怒涛の勢いで拳を振り下ろす。だが──
身体が勝手に反応していた。
腰を落とし、滑るように横へ回避する。地面が抉れる音が背後で響く。
(動ける……信じられないくらい!)
即座に跳躍。瓦礫の山を軽々と飛び越え、反対側のビル壁面に着地する。爪先だけでバランスを保てるこの安定感。
クマグロンギが巨体を揺さぶりながら追跡してくる。
「ふっ……来いよ!」
煽るように両手を開くと、彼は咆哮と共に渾身の張り手を繰り出した。空気が爆ぜるほどの衝撃波。だがそれを紙一重で避けた俺は彼の背後へ回り込んでいた。
反撃チャンス!
だが──
「……!」
左腕を振り上げた刹那、不安が走った。この体の軽さ、脆さ。全力をぶつけたら逆に自分が壊れるのではないかという直感。拳を握る力がどうしても中途半端になってしまう。
案の定。
俺の放ったパンチはクマグロンギの毛深い背中に命中したものの、鈍い音しか響かなかった。敵の肩が僅かに揺れた程度だ。
『フゴッ……?』
振り向きざまに鼻で嗤われた気がする。侮蔑を含んだ視線が痛い。
「クソッ……やっぱダメか!」
それでも再び距離を取り、次の攻撃態勢へ移るしかない。軽やかなステップと高速回避でクマの執拗な攻撃を躱していく。時には転がりながら、時には逆立ちのまま蹴りを繰り出しながら。
しかし決定打にならない。
何度も繰り出すが、どれも浅すぎる。
(このままじゃ埒が明かない!)
汗が噴き出す。体力消費は思った以上に激しい。一瞬の油断で捕まったら終わりだ。焦燥感が募る。
クマグロンギが地面を揺らしながら再び接近してくる。巨躯をもて余し気味に旋回させながら大回転張り手を繰り出す気配だ。
「またあの技か!」
だが今回は前回よりも広範囲。回避経路が少ない。
(ならば……!)
俺は敢えて真正面に飛び込み──彼の股下をスライディングで潜り抜けた。背後の空気が炸裂する音を耳にしながら素早く立ち上がり反転する。
そのまま間合いを詰めようとするが──
奴はすでに向き直り、待ち構えていた。
「っ!」
咄嗟に跳躍。上空へ逃れる。
屋上へ到達し、息を整える。眼下ではクマグロンギが鼻息荒くこちらを見上げている。
(どうする……この力不足じゃ倒せない……!)