暗闇。
瞼を開いても闇。指で触れても眼球の存在を確かめられるが、像を結ばない。
(何が……起こった?)
混乱する思考の中で、最初に感じたのは音だった。
ヒュン……風を切る音。羽ばたき。接近する重量。それらが一つのイメージを結ぶ。
「上か!」
叫ぶなり横へ跳ぶ。風圧が頬を撫でる。直前までいた地点を何かが通過した感覚。
だが何も見えない。完全な盲目。
「どうなってる!?」
焦りが声に出る。なのに思考は冴えわたっている。通常なら不可能な情報処理速度。耳から入る音、空気の流れ、微細な振動――それら全てが立体画像のように脳内で再生される。
(これが代償……?)
冷たい汗が額を伝う。感覚過敏と視覚喪失のトレードオフ。この力は強すぎる。使いこなせる自信がない。
再び風が動いた。今度は複雑な軌道。三次元的な動き。
「チッ……!」
地面を蹴る。前後左右を正確に把握しながら後退する。
不可解なのは――グロンギの攻撃が的確すぎて怖いということだ。
まるで私がどこにいるかわかっているかのように。
(なぜ……?)
疑念が浮かぶ暇もなく次の襲撃。今度は側方。体を捻る。衣擦れと空気の流れが攻撃軌道を教えてくれる。
「くそっ!」
反撃を試みるが視覚がないので勘頼り。腕が空を切る。当然敵は回避しているはずだ。
「この力……使えないのか?」
無力感に苛まれる。だが状況は待ってくれない。
奴は、こちらの様子が可笑しい事に気づいている。グロンギは空から徐々に下がる。まるで楽しんでいるかのように。
そして。
「来る」
低い唸りと共に急降下の音が近づく。だが今度は真っ直ぐ。単純な動き。罠か?
選択肢はない。私は構わず跳躍する。青い装甲の推進力で高く。闇の中でも平衡感覚だけは鋭い。宙返りをして敵の直上を取る。
次の瞬間。
「そこだ!」
音ではなく"気配"で位置を補足する。
なんとか蹴りを放つが――やはり当たらない。敵は容易く回避していた。しかもその速度は以前よりも上がっている。風の切り裂く音が耳元で響く。背後に回り込まれたか?
「逃げろ!!」
叫ぶと同時に転がる。直後、地面を叩く衝撃。コンクリートが砕け散る音。敵の爪か嘴か分からないが、致命的な一撃だったことは理解できた。
(駄目だ……)
視覚がないことで全てが不明瞭になる。攻撃パターンも読めない。頼れるのは感覚だけ。
だがその感覚が過敏すぎて思考が乱れる。
だが、逃げる訳にはいかない。
ここには、実加ちゃんがいる。
彼女を、守りらなければならない。
「飛び道具……」
呟きながら周囲を手探りで探索する。地面を這うように手を伸ばす。指先が何かに触れた。
(柔らかい……?)
サッカーボール大の物体。感触はプラスチック製のボールに似ている。公園にでも転がっていたのか。
「これを……」
両手で持ち上げようとするが――異変が起こる。
ピシッ……
触れた部分から微かな電流のような刺激。次の瞬間、球体が歪み始めた。グニャリと変形し、表面が硬化する感触が伝わる。
(まただ……!)
前回の刀同様だ。自分の意志とは関係なく物体が変質する。視覚がないためなおさら不安だ。
「何に変わる……?」
握りしめると球体は急速に密度を増す。柔らかかった表面が鉄のような冷たさと硬度を持つ。重みも増した。
「これは……鉄球……?」
耳を澄ませば内部に小さな振動音を感じる。金属粒子が再配置されるような超常的な音。
(この力は一体……)
疑問を抱く余裕はない。グロンギの羽音が迫る。
「そこか!」
振り返るが見えない。それでも音と空気の流れで位置を感知。
敵が地面スレスレに低空飛行で迫る。嘴を開く気配。
(投げるしかない……)
両腕を引いて勢いをつけ――鉄球を放つ。
ヒュン!
風切り音と共に質量のある物体が飛翔する。
「当たれ!」
祈るような気持ちで叫ぶ。
ズドン!
鈍い衝撃音と金属の軋む音が重なる。命中したようだ。敵の短い呻きが聞こえる。
(効いてる……?)
しかし視覚がないので状況判断が難しい。グロンギの動きが鈍くなったことは分かる。だがこれ以上追撃すべきか迷う。
(この力……コントロールできるのか?)
自分の身体と周囲の物体が不自然に変質する現象。まるで身体が特殊な磁場を発生させているかのように。
「まだだ……!」
鉄球を握りしめ直し構えを取る。視覚以外の感覚が鋭敏になっているとはいえ戦闘には限界がある。視力を奪われたまま長期戦は不利だ。
敵の羽音が不規則になる。痛みによるものか。それとも意図的な攪乱か。
(わからない……!)
困惑と焦りが増す。このままではジリ貧になる。一方で新たな力の可能性も感じる。
「どうすれば……」
思考が錯綜する中で。
反響音が命綱だった。
鉄球を放つたび、周囲の壁や床にぶつかる音が無数の針のように空間を満たす。その一つひとつがグロンギの位置を示す標識だった。
「ハァッ!」
もう一度投擲。今度は斜め上方へ。狙いは鉄骨。
ガンッ!
球が鉄骨にぶつかり跳ね返る。計算通りの角度で落下するはずだ。
羽ばたきが近づく。敵も学習しているのか、低空飛行に徹している。
「甘い」
天井からの鉄球が落下。
「キュアッ!」
グロンギが短く吠えた。直撃音ではない。掠めた音だ。だがそれで十分。
「効いてる……!」
ダメージは蓄積している。重い球体が幾度となく体表を叩くことでダメージは確実に積み重なっていく。
それと同時にボールという事で、他の武器を作りやすい。
「もう一発!」
壁に向かって投げつけた球が鋭角に反射する。反響波が次々と私に情報を与える。グロンギの位置、速度、高度。
「そこだ!」
三方向からの同時攻撃を模擬する。地面と二つの壁で跳ね返らせる複合攻撃。計算通りならば三発同時に襲うはずだ。
ガキン!
一発が命中。続けてもう一発が横腹に。
「ゲヒッ……!」
敵の呼吸が乱れる。明らかに疲弊している。だが最後の一発が逸れた。
(ミスったか?)
否。音源を辿る。壁際で跳ね返った球が低く転がって敵の足元へ。
「今!」
命令するように思考する。球体が突如加速し直上へ跳ね上がる。
ズドン!
重い音と共に後頭部に直撃。
「グハァッ!」
今度は明確な苦痛の声。効いた!
(この方法なら……!)
視覚はなくても時間差多角攻撃が可能だ。反響定位と精密な軌道予測が融合することで生まれる新戦術。
次々と鉄球を投擲。時に二段階反射、時には三方向同時攻撃。
「キュオオオォォ……」
羽音が乱れ始める。痛みによるものか恐怖によるものか。
(ここまで追い詰めた……!)
だが油断は禁物。盲目状態で長時間戦闘はリスクが高い。決め手が必要だ。
「だから、これで終わりだ」
その手にある鉄球を握りしめる。掌の中で異様な高温を帯びた球体が回転を始めた。最初は緩やかに、やがて目にも留まらぬ速度へ。
視覚がない分、他感覚が鋭敏になっている。掌の振動、球体内の金属粒子が渦巻く音。それらが渾然一体となって巨大な力場を形成する。
「これが……必殺の一撃だ」
周囲の空気が歪む。鉄球を中心に放射状の衝撃波が広がる。耳元で唸るような轟音。まるで宇宙の星雲が凝縮されるような不可思議な現象。
「受けろ!」
掌を開き鉄球を放つ。同時に全身の筋肉が反動を支えるべく強張る。
ギュアアァァーーーン!!
放たれた球は青白い閃光を曳いて空中を疾走する。速度は光速に近い。その軌道が空間を切り裂く音波となって耳朶を打つ。
「ギャァアア!」
グロンギの絶叫が断末魔の響きとなる。鉄球が胴体に激突する直前、一瞬だけ青白い爆炎が見えた気がした。
ドゴオオオォォン!
衝撃波が周囲を薙ぎ払う。
そして―
「ガハッ……!」
グロンギの悲鳴が霧散する。肉体が四散する音。骨と肉が粉塵と化す微細な響き。
数秒後。
爆風が収まり静寂が訪れる。
「……終わったか」
それと共にようやく見えた光を見ながら、意識は暗転する。