夕暮れの公園。子どもたちが遊具から帰り支度を始める時間帯だった。ベンチに座ってカップコーヒーを飲みながら、俺はぼんやりと雲の流れを追っていた。
数日前に倒したグロンギ――あのサイ型の化け物。その戦いの傷痕はまだ全身に残っている。特に五代さんと一緒に放った必殺技で酷使した右腕は、今も微かな痺れがあった。
「ふぅ……」
疲れなのか、それともグロンギの力を使いすぎたせいなのか。最近どうも感覚が研ぎ澄まされすぎて困る。風の匂いひとつで過去の戦場がフラッシュバックしたり、通り過ぎる影にグロンギの輪郭を見てしまったり。
今日は早めに帰ろう。そう思って立ち上がった時だった。
パチパチ……
拍手が聞こえた。
公園の入り口付近。木漏れ日のなかで小さな影が一つ。白い服。細くて小さな身体。歳は十歳くらいか。少年がこちらを見つめて無邪気に手を叩いていた。
パチパチパチ……
笑っていた。
その口元から覗く犬歯がやけに白く尖っているように見えるのは気のせいか?
いや違う。心臓が不自然に脈打つ。胃が捩れるような嫌悪感。知らないはずなのに――
その少年が放つ空気を俺は知っている。
ゾッとした。
ベンチから一歩後退った。脚が勝手に震える。理性では理解できない原始的な恐怖。
少年の手が止まる。拍手はやんだ。でも笑みは変わらない。
「すごいねぇ」
甲高い声。純粋無垢な子どもの声。
「ほんとにすごいよ」
俺は何も答えられない。舌が乾ききって動かない。全身の毛穴から冷たい汗が噴き出す。
公園にいた親子連れが奇異な目を向けながら去っていく。少年の周りだけ空気が歪んでいるようだった。
「リントに僕の力を別けたら、ここまで成長するなんて」
少年の足が一歩、こちらに踏み出した。それだけで空気が重くなる。まるで太陽が消えたような暗さが公園に落ちる。俺の全身の細胞が警告を発していた。「逃げろ」と。
「君がもらった『僕の欠片』……」
白い服の少年——いや、あれは断じて人間じゃない。
「すごく面白く育ってきたね?」
ダグバだ。
あの忌まわしいベルトが内側で蠢く。背骨を這い上がる電流のような痛みと、脳に直接響く嘲笑。
「なんで……こんなところに」
やっと搾り出した声は震えていた。脚が地面に釘付けになったように動かない。動きたくても動けない。
「なんで?簡単な理由だよ」
ダグバがくるりと回る。白い服の裾がひらひらと舞う。
「リントの箱庭で遊んでいるペットの様子を見に来たんだ」
ペット――その言葉が耳朶を打つ。俺の全身が恐怖で沸騰する。
「僕の力の一部をあげたリントがどう成長するか……それを見るのは最高の暇つぶしなんだよねぇ」
ニタリと笑う口元。その奥に並ぶ鋭い牙が夕陽に鈍く光る。
「ズの一番上をやっつけたんだって?うんうん……なかなか強いじゃない」
パチパチパチ――再び拍手。音そのものが毒のように肺に入り込む。
「でもね」
ダグバの笑みが深まった。無邪気な子供の表情から、突如として千年の歴史を積み重ねた老人のような深い眼差しへと変化する。
「本気を出してないでしょ?」
俺の額を一筋の汗が流れた。この生物は見抜いている。俺がまだダグバの力を全力で解放していないことに。
「もっと力を使ってよ。そうじゃないと……」
ダグバが掌を天に向けた。掌の中心に小さな稲妻が閃く。
「つまんなくなっちゃう」
ゴォッ!
俺の背後にある水飲み場が弾け飛んだ。コンクリートの破片が火花を撒き散らし、粉塵が舞う。狙ったのは俺じゃない。ただの挑発行為。
「遊びっていうのはね?」
ダグバが一歩近づく。俺の視界が狭まる。白い影だけが浮かび上がる。
「お互いに命懸けじゃないと面白くないんだ」
少年の姿で殺意を滴らせながらダグバが囁く。
「次に会うときは」
次の瞬間――
ダグバの指先が俺の頬に触れた。氷のように冷たい感触。
「君の体がどれほど僕に近づいたか……楽しみにしてるよ」
ズキンッ!
心臓が押しつぶされたような痛み。ベルトの欠片が跳ね上がり、まるで飼い主の命令に震える獣のように俺の全身を貫く。
「ああ……今すぐここで君を半殺しにしてあげるのもいいかもね」
冗談めかした口調なのに目は凍てついている。
「でも今日のところは挨拶だけにしようか」
ダグバが踵を返す。その背中は夕焼けの中に溶けていく。
「早く僕と同じステージに上がっておいで?じゃないと」
振り返った。
「僕の退屈が限界に達したら……」
風もないのにダグバの白い服が大きく翻った。その一瞬――
確かに見た。
顔が裂けるような笑顔。口は耳まで達し、瞳孔は横長に細まり、皮膚は灰色へ変色し始めた。グロンギ本来の姿の一端。
「君の大切な物、全部壊しちゃうからね」
少年の声に戻り、そのままダグバは公園の出口へ歩き去った。背後のブランコが勝手に揺れ出し、木々が不気味にざわめく。
俺は崩れ落ちそうになる膝を必死に支えた。呼吸が荒い。肺に鉛が詰まったようだ。
(あれが……)
(0号……)
全てのグロンギの頂点に立つ絶対者。俺の体内に潜む破壊の源泉。
「絶対に……」
声が嗄れる。
「負けるわけにはいかない……」
ベルトの痛みが疼く。恐怖と同時に決意が湧き上がる。人々を守るため。実加ちゃんを守るため。そして何より――
自分自身を取り戻すために。
夕暮れの公園は静寂を取り戻した。だが俺の周囲だけ濃密な死の気配がまとわりついていた。まるでダグバの足跡のように。