警察署内は地獄絵図と化していた。窓ガラスは割れ、壁には巨大な引っかき傷が刻まれ、床には血溜まりが広がっている。その中心に立つ二体の異形。
(な……なんだ……こいつら……)
俺は震える足で壁際に寄りかかる。自分と同じ異形の姿をした者たちが、互いに距離を保ち睨み合っている。一体は鋭い角を頭に持つ戦士のような白い怪物。
もう一体は蜘蛛のような脚を背中に生やし、鋭い爪と口から伸びる糸で武装した怪物だった。
白い怪物が低く唸る。蜘蛛の怪物は牙を剥き出しにして唾液を垂らす。両者は動かない。互いの実力を測っているのか。
それとも第三者である俺を警戒しているのか。
その膠着を破ったのは、銃声だった。
「止まれ!動くな!」
警察官が拳銃を構え、震える声で警告する。だがそれは最悪の選択だった。
蜘蛛の怪物の咆哮と共に口から銀色の糸が噴射される。それは弾丸のような速度で警察官の胴体に絡みつき、容易く持ち上げてしまった。
「うわああっ!」
宙吊りになった警官の首に、グムンの爪が迫る。
俺の脳裏に遺跡での惨劇がフラッシュバックした。友人たちの無惨な死体。赤黒い血の海。そして嗤うダグバの姿。
(だめだ……また……犠牲者を出しては……!)
恐怖を押し殺し、俺は咆哮を上げて突進した。
「グゥオォォ!!」
蜘蛛の怪物の横腹に跳び蹴りを叩き込む。
巨体が吹き飛ぶが糸は切れず、警官は空中に固定されたままだ。同時に白い怪物が動いた。彼は素早く駆け寄り、右腕を振るうと火花と共に警官を拘束する糸が千切れ飛んだ。
「ギャウッ!?」
解放された警官が地面に落ちる。彼は呻きながら這いずり退避していく。
(今のは……この白い怪物が……?)
俺は訝しむ。
この異形は人間を守ろうとしたのか?蜘蛛の怪物は怒りに燃えながら再び糸を繰り出す。俺と白い怪物がほぼ同時に対応。
俺が盾となり受け止め、白い怪物が爪で引き裂く。
「ケェ!ケェ!ケェ!」
蜘蛛の怪人は嗤う。まるで面白そうな玩具を見つけた子供のように。だがその目に映るのは、俺が理解できる異国の言葉だった。
《ほう、興味深い……新しい獲物が増えたのか?》
俺は愕然とする。白い怪物には伝わらないその言葉が自分には聞こえる。自分は一体……?
《どちらにしても丁度よい……》
蜘蛛の怪人が両腕を広げた。背部の蜘蛛脚が蠢き、口と脚から大量の糸が放射状に噴出する。
「くそっ!」
俺は咄嗟に左腕を振り抜く。白い炎が奔り糸の束を焼き払うが、全ては防げない。残った糸が二人を縛り上げる。
「うぐっ!」
「グルァ!」
抵抗する間もなく、蜘蛛の怪人は太い糸を束ねて槍のような形状に変え、それを全力で振り回した。囚われた二人が凄まじい勢いで宙を舞う。
「ギャアァー!!」
断末魔のような悲鳴と共に彼らは吹き飛ばされ、ビルの壁面に激突―そしてその上階のバルコニーの庇を破壊し、さらに上昇し―最終的に建物の頂上に叩きつけられた。
蜘蛛の怪人は満足そうに嗤いながら飛び上がり追跡してくる。
屋上に仰向けに倒れた俺と白い怪物。彼らを照らす日の明かりの中、憎悪と殺意に満ちた蜘蛛の異形が舞い降りてくる。
俺の白い紋様が疼き始めた。
「君はあいつらとは違うのか」
「人の言葉っ!?という事はあんたはあいつらとは違うのか」
「俺も分からない、けれど、ベルトを装着したら」
そう、白い怪物は、自分の腰にある物を見せる。
それを聞いた瞬間、理解する。
目の前にいる白い怪物は、自分と同じく人間から怪物になった事。
だからこそ。
「今はあいつを止めないとっ」
そうしている間にも、蜘蛛の怪物が屋上に来て、襲い掛かる。
「フシューッ……!」
蜘蛛の怪人は裂けた口から濁った息を漏らしながら、俺と白い怪人を見下ろした。その八つの目が爛々と輝いている。
《いいねぇ……抵抗する獲物は好きだ……》
その言葉が俺の鼓膜を打つ。やはり彼だけに理解できる異質な響きだ。
「……お前なんかに……殺されてたまるかよ……!」
俺は地面を蹴って立ち上がる。左腕の白い紋様が熱く脈打ち、思考より先に身体が動く。白い怪人も同様に低い唸り声を上げながら膝を立てた。
最初に動いたのは怪人だった。
「ケェェェ!」
奇声と共に、その巨体からは想像できない敏捷さで突進してきた。六本の脚がアスファルトを抉り、巨大な鉤爪が閃く。
「くっ!」
俺は咄嗟に左腕を盾代わりに掲げた。ガードの隙間から鋭い牙が覗く。
同時に白い怪人が側面から躍り出る。素早いステップで懐に潜り込み、右ストレートを放つ。
鈍い衝撃音。確かに当たった。だが蜘蛛の肉体はゴムのように衝撃を吸収し、ほとんど効いていないようだった。
「グルァ!?」
予想外の硬度に白い怪人が僅かに怯んだ隙を突いて、グムンが尻尾のような器官から糸を放射状に撒き散らす。網のように広がったそれは二人を纏めて包み込もうとする。
「逃げろ!」
俺が叫ぶが、既に遅かった。視界が真っ白に染まり、身体の自由が奪われる。ギチギチと筋肉が悲鳴を上げる。呼吸さえ苦しい。
《ふははっ!どうだぁ?私の糸の味は!》
グムンが哄笑しながら近づいてくる。その指先が徐々に変形し、禍々しい鉤爪へと変わっていく。
その時だった。
「ウアァ!」
俺が咆哮する。左腕の紋様が一際強く輝き、熱波が爆ぜた。周囲の糸が焦げ付き、一部が千切れ飛ぶ。
白い怪人も負けじと右拳を振り回す。直接叩くのではなく、拳の風圧で糸を切断しようと試みる。原始的だが効果はあるようで、絡み付いていた糸が少しずつ緩んでいく。
「離れろっ!」
俺が叫び、二人は同時に地面を蹴った。蜘蛛の糸が辛うじて解けた瞬間を狙い、それぞれ別方向へと跳躍する。蜘蛛の怪人は苛立ちを露わに咆哮すると、口から高圧縮された糸の弾丸を連射した。それはコンクリートを容易く穿つ威力だったが、
2人は両腕を交差させて、その攻撃を受け止める。
だが、身体にダメージを受け始める。
しかし、それでも倒れない。
轟音と共にプロペラの風が屋上を薙ぎ、一台の小型ヘリが旋回してきた。
《警告する!武器を捨てて投降しろ!》
外部スピーカーから響くアナウンスは蜘蛛の怪人には届かない。ただ煩わしい羽虫の音程度にしか認識していないようだった。だが次の瞬間、機体の窓から突き出された銃口が火を噴き、麻酔銃の矢弾が異形へ向かって放たれた。
「ゲギャッ!?」
予期せぬ攻撃に蜘蛛の怪人が大きく後退する。矢弾自体は硬い皮膚に弾かれたが、プライドの高い彼にとって見知らぬ「人間」からの反撃は許しがたい侮辱だった。
《ちぃ……小賢しい真似を……!》
忌々しげに歯噛みすると、その標的は地上の二人から空の乗り物へと移った。大きく開いた口から猛烈な勢いで蜘蛛の糸が吐き出される。それはまるで生き物のように空気を切り裂き、高速で飛翔するヘリへと迫る。
「まずい!」
俺が叫ぶより早く、蜘蛛の怪人が疾駆を開始した。
凄まじい加速でヘリへ一直線に向かう。蜘蛛の糸は既に機体の側面に絡み付き始めている。
「させるかっ!」
白い怪人が雄叫びを上げて地面を蹴る。俺も左腕の紋様を煌かせて追随する。二体は全く異なるフォームでだが、同じ目的のために異形の狩人に迫る。
蜘蛛の怪人の八つの目が下方の脅威を捉えた。しかし彼は躊躇せず、口から放たれる糸を鞭のように操り、己の身体ごとヘリへと引き寄せた。
ゴオォォッ!
金属が擦れる耳障りな音を立てて、蜘蛛の怪人の鋭い爪がヘリの翼に食い込む。バランスを失った機体が激しく揺れる。
《ヒャッハァァ!さあ逃げ惑え!》
愉悦に浸る蜘蛛の怪人の嘲笑が響き渡る。
「くそっ……!」
俺は歯を食いしばり、迫る鋼鉄の嵐を睨む。ヘリの機体が悲鳴を上げて歪み始めるのが見えた。このままでは墜落は免れない。
「……任せろ!」
突如、白い怪人の低い声が俺の耳に届いた。言葉を理解したわけではない。だが、その意志は確かに感じ取れた。
「行くぞ!」
俺が吼え、大地を蹴った。彼の身体が弾丸のように加速し、白い怪人の真正面に位置する。そして。
「フンッ!」
俺が右足を前方に突き出す。まるでスプリングボードのように。
白い怪人は一切迷うことなく、俺の足裏を力強く踏みしめた。その反動で彼の身体は驚異的な角度と速度で空へと跳ね上がる。風を切る音だけが響き渡る。
「グオォォォ!」
俺が踏み台となり跳躍した白い怪人は、蒼穹に弧を描く流星のごとく上昇し続け、ヘリに取り付いた蜘蛛の怪物目掛けて一直線に落下した。
蜘蛛の怪人の六つの眼球が上方の脅威を捉える。だが回避する暇はない。
「ケ……ギャ……ッ!?」
防御姿勢を取る間もなく、白い怪人の鋭い蹴りが蜘蛛の異形の胸郭に炸裂した。骨格が軋む嫌な音が響き、蜘蛛の怪人の巨体が紙屑のように弾き飛ばされる。
《馬鹿な……こんな……力…が……》
断末魔の喘ぎと共に蜘蛛の怪人はヘリから剥がれ落ち、凄まじい速度で地上へと真っ逆さまに墜落していく。
ズドォォォンッ!!
轟音と共にビル群の一角が激震に包まれた。道路を割り砕く破壊音と粉塵が舞い上がり、周囲の窓ガラスが音を立てて割れ落ちる。
「キャアアァ!」
通行人たちの絶叫が街路に木霊する。幸いにも人的被害は報告されないようだが、恐怖と混乱は瞬く間に伝播していた。
一方、蹴りを放った反作用でコントロールを失った白い怪人もまた、重力に従って落下していく。
「しまった……!」
俺が慌てる間もなく、白い怪人の影が急速に小さくなっていく。このままではコンクリートに叩きつけられる。
「間に合え……!」
俺は雄叫びを上げると同時に全力で地面を蹴った。彼の身体が信じ難い速さで加速する。常人の反射神経では到底不可能な軌道修正。
バシャッ!
俺の剛腕が寸分違わず落下する白い怪人の右腕を捉えた。接触の瞬間、凄まじい衝撃が俺の腕を走る。肩関節が軋み、筋繊維が悲鳴を上げるが、彼は歯を食いしばり耐えた。
(おかしい……俺は……人間だったはずだ……何故こんな力が出せる?)
俺の心に一抹の不安がよぎるが、今は考える余裕はない。彼は白い怪人を引き寄せつつ、自らの勢いを利用して滑空し、どうにか屋上に軟着陸した。激しく息を荒げながら、俺は掴んだ腕を凝視する。
白い怪人は困惑したように彼を見返していたが、やがて短く「ありがとう」と発した。
俺は無言で頷くしかない。
眼下では依然として煙と混乱が渦巻いていたが、少なくとも最悪の事態は回避できた。二人の異形は互いの存在を完全には信用し切っていないものの、確かな連帯感が芽生え始めていた。そして彼らの視線は自ずと、瓦礫の底で蠢く蜘蛛の怪物へと向けられる。
だが。
「いなくなっている」
「あいつらは一体」