講義資料をファイルに挟み直し、溜息が零れる。午後の三限は必修科目だ。階段教室の席取り競争に負けたのが痛かった。エレベーターを待つ列に並びながら時計を見る。五分遅れ――教授は遅刻厳禁主義だ。
「……暑い」
5月も下旬だというのに、ビル内の空調が妙に緩慢だ。スーツ姿のサラリーマンがハンカチで額を拭きながら足早に横切る。壁掛けテレビでは地方局の情報番組が流れていた。リポーターの女性が桜祭りの終焉を残念そうに伝えている。だが画面隅に表示されている数字――湿度89%が気にかかる。
エレベーターホールに差し込む西日に埃が踊っている。受験勉強で徹夜明けの瞼が重い。その時だった。
「次の演習問題は……」
教科書のページをめくる。古典文献学の山田准教授は単位取得の鬼だ。レポート提出期限も分厚い専門書の引用を求められる。
ピーン
上昇音と共に扉が開いた。八階から降りてきたエレベーターには若いOL数人と小学生三人組が詰め込まれていた。小学生たちは地元の体験学習らしい。算数ノートを広げたまま談笑している。
「六階……七階……」
数える声が聞き取りやすい。彼らの父親世代くらいのサラリーマンが苦笑いを浮かべながら順番を譲っていた。なんとか乗り込めそうな雰囲気だ。
「このペースなら間に合うか」
内心で計算する。学生証を定期入れに仕舞い直し、スニーカーの紐を結び直す。その作業が終わるころにはさらに五人ほど列が増えた。就活中の女子学生。パンフレットを小脇に抱えた初老の社員。皆一様にスマートフォンを弄っている。
ピーン
再びエレベーターの音。扉が開くと清掃員がダンボール箱を抱えて出てきた。新品のコピー用紙らしき包装紙に「オフィスファースト」と印字されている。空いたスペースに五人ほどが慌てて滑り込む。
「狭いですね」
「お気遣いなく」
押し合いへし合いのうちに扉が閉まる。しばらく待つ。階段を選ぶ学生もいるが、この人数差では時間がかかる。
ピーン
五分経過。次は十九階から降りてくるエレベーターだ。普段なら五秒で到着する区間なのに四十五秒も待たされる。夕刻の混雑とはいえ異常だ。
「故障?」
小声で呟く。列の先頭にいた主婦風の女性が管理室に電話しようと携帯を取り出した瞬間――
ドゴォオオオン!!
天地が逆さまになる錯覚。腹の底から突き上げる轟音と共に足元が激しく揺れた。エレベーターの鋼索が弾ける音。天井スピーカーが割れる破裂音。人々の悲鳴が交差する。
「落ち着いて!」
制服姿の警備員が走り込んでくる。しかし揺れは収まらず、周囲の植木鉢が転がりガラス片が散乱する。非常灯が点滅しはじめた。
(地震か?でも震度4どころじゃない……)
柱にしがみつく。心臓が早鐘を打つ。ビル全体が傾いている気さえする。そして異変は続く。
ズザァアア……!
隣接する非常階段の防火扉が強烈な力で押された。錆び付いた金具が軋みを上げて歪む。暗闇から現れたのは――
黒光りする巨体。筋肉質な二の腕が人間の倍はある。丸い頭部には短い剛毛が逆立ち、額に盛り上がった隆起が見える。肩胛骨が瘤のように膨れ上がり、ゴリラを想起させる輪郭。
(なんだ……あれ)
言葉が出ない。警備員が慌てて警棒を構えるが腰が引けている。怪物の眼光が列の後方にいる幼児二人組を捉えた。母親が反射的に我が子を庇う。
「危ない!」
俺はとっさに前に出ると共に。
「超変身!」
そのまま、俺は変身すると共に、そのグロンギをエレベーターの中へと押し込む。
それを合図に、扉が閉められる。
それによって、狭いエレベーターの中で対峙する。