店を出た瞬間、朝の光が眩しくて目を細めた。ガラスドア越しに五代さんたちの姿が見える。カウンター越しの二人の表情が悲しみに満ちている。胸が締め付けられた。
(逃げないと……)
無意識に歩調が早くなる。通りを曲がると自動販売機の鏡面が視界に入った。そこに映る自分を見てゾッとした。
銀色の髪が斑に混じった黒髪。蒼白な肌に浮かぶ無数の痣。戦いの傷痕が癒えないまま重なっている。
(こんな醜い姿を見せられない)
自嘲的な笑みが漏れる。頬に触れた指先は乾いた感触しかない。
徐々にだが、確実に怪物に。
グロンギとなっていく。
そんな自分を今は誰にも見せたくない。
それを自覚すると共に、どうしようもなく恐怖に苛まれる。
(このままじゃきっと……)
あの0号のように。
本能と欲望のままに暴れ狂う化け物へと成り果てる。
それを想像して震えた。歯の根が合わないほどの恐怖に支配される。
「ははは……情けねぇな」
独り言が虚しく路上に消える。手の甲で涙を拭うと、塩気を帯びた湿り気に顔を顰めた。指先にはまだあの珈琲の温もりが残っているのに。
「でも……」
踵を返す勇気もない。
バイオリンの音色が聞こえたのは偶然ではなかった。
初めはかすかな摩擦音。次第に旋律へと成長したそれは、朝靄の中を滑るように拡散していく。
(美しい……)
立ち止まり、耳を澄ませる。弓が弦を引く柔らかな感触。震える弓毛が生み出す倍音の繊細さ。どこかで聴いたことがあるようで、決してこの世のものではない調律───
「ッ!」
反射的に後ずさりした。革靴が枯葉を踏みしめる音が響く。
音が、近づいている。
建物の陰から顔を出すと、小さな公園の中央で演奏者はいた。黒い燕尾服に身を包んだ長身の人影が、背を向けて弓を操っている。しかし明らかにおかしい。彼の周りだけ空間が歪んでいるように見える。
公園全体が彼を中心に暗く沈んでいる。朝の光が届かない領域。
(違う……)
脳裏で警鐘が鳴り響く。本能が警告している。
これはただのバイオリニストじゃない。
その証拠に───
彼が振り返った瞬間、朝の光が逆光となり輪郭だけが浮かび上がる。
「やあ」
低くも透き通った声だった。燕尾服の青年は流れるような動作でバイオリンを肩から下ろす。革靴の踵がかちりと音を立てた。
「演奏を楽しんでくださったようですね」
丁寧に一礼する仕草。非の打ち所がない紳士的な振る舞い。だが───
(止まった……)
演奏を中断した瞬間の空白が異様に長い。余韻どころか一切の余波すら消え去る完全な断絶。弓と弦の接点が微粒子単位で切断されたかのような鮮烈な終わり方だ。
頭を下げた青年がゆっくりと顔を上げる。逆光から抜け出した表情が露わになった。
「ッ!」
息が詰まる。瞳だ。翡翠色の虹彩が縦に細長く引き絞られ、猫科動物のような冷たい光を湛えている。しかも左の瞳孔だけが異形だった。黒点が左右非対称に歪み。
「まさか、そちらから来るとはな、ンの力を持つリントが」