鎌の一振りが空気を裂く音を聞いた瞬間、俺は咄嗟に右に転がった。
「ッ……!」
左腕を掠めた風圧だけで皮膚が切れた。痛みよりも驚きが勝る。まるで鋸が肉を抉るような感覚。見れば肘の内側に鮮血が滲み、傷口がジクジク疼く。
(普通の刃物じゃない……)
カマキリの前脚が変容した鎌が月光を受けて妖しく輝いている。刃の部分には微細な棘が無数に並び、まるで肉食昆虫の口器だ。奴が振るうたびに風圧で樹木の葉が粉々に千切れる。
「遅いな」
嘲笑と共に鎌が再び迫る。今度は避けきれず肩甲骨に接触した。
「ぐぅっ!」
衝撃でバランスを崩す。鎖骨にヒビが入ったかと思う鈍痛。
「僕の鎌は鋭くてね、切れ味が良すぎて困ることがある」
冗談めかした口調だが眼は笑っていない。奴の吐息に混じる硫黄臭が鼻腔を犯す。
「例えば……こんな風に」
地面に突き立てられた鎌が土を融解させる。白煙と共に腐食臭が立ち込める。
「鋼鉄ですら液体窒素に沈めたように脆くなる」
奴の説明を無視して跳躍する。瓦礫を足場に高く跳び上がる。
「空中は愚策だぞ」
鎌がしなる蛇のように追尾してくる。回避不能。咄嗟に背中の装甲で受け止めた。
「ゴアァッ!」
衝撃で骨盤が軋む。装甲越しでも刃が半分沈んでいる。
「クソッ……!」
力を込め引き抜こうとするも鎌が固定されたように動かない。
「抜けないだろう?僕の鎌は振るうときは鋭く、刺した後はロックされるんだ」
余裕の表情で近づく敵。その目には嗜虐的な光が宿っている。
「さて……どんな断末魔を聞かせてくれるのかな?」
奴の口角が吊り上がる瞬間。
俺は。
「避けるようになるだけだ」
それと共に、俺は緑の姿へと変わる。
緑の姿になった事で、視力を無くし、聴力を極限まで高める。
実際に、青の姿の方が避けやすいかもしれないが、斬撃が見えなければ意味はない。
だから、姿が見えなくても、斬撃を斬る時の音で方向を当てなければならない。
だが。
「クックック……なるほど」
それを知ったカマキリは余裕を見せる。まるで俺が予想した通りと言わんばかり。
その言葉の意味が分からないまま、戦いを続行する。
そして、斬撃が俺に向かって飛んでくる。
だが。
聞こえたのは風が吹いた音ではなく。
「斬撃を避けられて残念だったな」
何故か相手の声が聞こえる。
声を発した方向が分かったので振り返る。相手の姿は見えないが鎌の振り方は分かる。
だからこそ、相手の懐に向かって掌底を喰らわせる。
「グォオッ!」
呻き声をあげながら後方に飛んでいくカマキリ。その隙を逃さずに追撃を入れるべくさらに接近する。しかし奴も簡単にやられるつもりはないようで反撃を仕掛けてくるがこちらには通用しない。
鎌が空間を切り裂く音。風を切る音。金属が擦れ合う不協和音。耳鳴りがするほどの轟音の中で必死に情報を探る。空気の流れ。重心移動。筋肉の収縮音。全てを総動員させて攻撃を予測する。
(音だ……)
刃が高速回転する唸り。標的捕捉の蜂音。そして何よりも明瞭な───
「そこぉ!」
暗闇を切り裂く銃声のような連撃。躱しきれず脇腹を掠めた痛みが走る。傷口から溢れる血液の流動音が鼓膜に直接届く。
「やはり目が無いほうがよく聞こえるようだな」
敵の声が円周運動のように空間を回遊する。正面か背面か判断がつかない。
「だがね……」
突如として背後から降り注ぐ殺意の圧。脊柱に沿って冷気が走る。
「視覚が閉ざされているということは」
肩甲骨の間を狙った垂直落下攻撃。咄嵯に身を捩るものの鎖骨の関節に亀裂が入る激痛。
「こうやって死角から攻められることにもなるのだよ」
カマキリは続ける。
「面白い戦いだ。音を聞くなんて」
「・・・?」
何故か攻撃をやめて饒舌に喋るグロンギ。
だが、それが油断とは違う何かに感じた。
だからこそ。
俺はその隙を狙い蹴りを入れる。だが。
「やはりな」
見切ったかのように躱された。
その光景に嫌な予感がする。
「この攻撃スタイルは、実は使ったことがある」
何を言っているんだと思った。だが。
次の瞬間。
俺は、その言葉の意味を理解する。
「グゥッ!?」
腹を抉られたような激痛。内臓が焼けるような熱さ。何が起きた?瞬時に状況把握しようとするが思考が麻痺する。視界の隅に舞う血飛沫。腹の深部から込み上げる吐き気。
「音速を超える斬撃」
奴の囁くような声が聞こえた。焦点が定まらない視界に青い稲妻の残像。
「風切音すら残さない」
血溜まりの中に跪く自分の姿がぼんやりと見える。腹部から溢れ出す生命の証が地面を紅く染めていく。
「ただ光の速度で切断するだけだ」