あれからちょうど一ヶ月。風薫る季節に変わりゆく街角で、俺は自分の異変を嫌というほど実感していた。
先週の定期検査で医師に告げられた言葉が耳に焼きついている。
「白血球数が通常の二十分の一……免疫系が崩壊しています」
「これは人間の範疇を超えています」
そんな会話で、そんな身体の変化を聞きながらも、俺はどこか自虐していた。
そんな時、聞こえて来たのは笑い声。
俺が、今、ここにいるのは公園だ。
そして、公園にいるのは、どうやら幼稚園の子供達だったらしい。
「お兄ちゃんみてみて〜!すべり台すごいよ!」
「僕の方がはやいもん!」
砂場で泥団子を作る女の子。ブランコを漕ぎすぎて転倒し、それでもすぐ起き上がって駆け出す男の子。ベンチでスケッチブックに夢中な少女。
ありふれた日常。穏やかな幸福。どれもかつての俺が当たり前に享受していたものだ。
(これが守りたかったものだ)
喉の奥が熱くなった。掌を見ると、血管が浮き上がり始めていた。
(この手で何度も命を刈り取ってきたのに)
赤や青や緑や紫の色彩が眼球の裏で瞬く。
「守れる」という確信。同時に「壊す」という衝動。
矛盾する二つの感情が内臓を引き裂く。
ふと足元に視線を落とすと、小さな水たまりがあった。水面に映るのは―――
「あ……」
そこには、人間と化け物の中間とも呼べる顔があった。
白髪が増えた額。瞳孔が猫のように縦長になりつつある瞳。耳朶から伸びかけた牙の萌芽。全部を総括すれば、ダグバとそっくりであった。
(これ以上変身を続ければ……)
怖い。0号みたいになるのが怖い。でも戦いは終わらない。誰かが止めない限り永遠に続く。
「こんにちは」
不意に掛けられた声に我に返った。
「あっ」
その瞳は、どこか警戒している様子。
同時に、俺自身を改めて見る事が出来た。
白髪の男で、明らかに不審者な人物。
それを見れば、今の情況を考えれば。
「すいません、ご迷惑でしたね」
「えっいやいや、そんな事はないですよ」
こんな不気味な奴を見れば、未確認だと疑うのは無理はない。
これ以上、不安をさせないように、俺はその場を立ち去ろうとする。
その瞬間だった。
「わぁっ!」
甲高い悲鳴。砂場の端で、淡い黄色の帽子を被った男の子が盛大に転んだ。膝小僧が砂利と接触し、赤い染みがじわりと広がる。
「ッ!」
反射的に足が動いていた。変身していないのに身体が軍用機械のように俊敏に反応する。数メートルの距離を瞬時に詰めると、しゃがみ込んで男の子を抱き起した。
「痛かったな。立てるか?」
膝の傷口を軽く払ってやる。俺自身の爪が伸び始めていることに気づき、思わず掌を引っ込める。
「うん!」
意外なほどしっかりした返事だった。少年は自分の力で立ち上がると、膝小僧をペチペチ叩きながら満面の笑みを見せる。
「ちょっところんだだけだよ!」
その明るさに救われる。だが同時に、こんな純粋さを護るために自らを危険に晒している現実に胸が痛む。
「ほんとに大丈夫?」
念押しすると、男の子はピョーンとジャンプして見せた。軽くよろめきながらも歓声を上げて駆け出す。その姿は太陽に向かって羽ばたく蝶のようだ。
「ありがとうございます」
後ろから楓先生の声。振り返ると、彼女は子供たちが遊ぶ様子を見守っていた。
「あの子、いつも無茶するんです。怪我をしても泣かないで、笑ってるんですよ」
遠い目をしている。教師として日々直面する子供たちの無謀さと健気さを思う表情だ。
「子供って強いですよね」
同意を求められ、俺は曖昧に頷いた。この一ヶ月間、自分の中で膨らむ「力」が他人を傷つける可能性ばかり考えていた。でも今、目の前の幼い魂が示す生命力に比べたら些末な問題なのかもしれないと錯覚してしまう。
ふと袖を引かれる感覚。転んだ少年が戻ってきていた。
「おにいちゃんもあそぶ?」
純真無垢な瞳に射抜かれる。保護欲と罪悪感が同時に湧き上がる。
「おじさんは見てるだけで充分だよ」
優しく頭を撫でようとした手を途中で止めた。爪が食い込みそうで怖かった。
少年は残念そうな顔をする。だが友人たちの呼ぶ声に振り向くと、弾丸のように駆け出していった。
「改めて……ありがとうございました。あなたが通りかかってくれて助かりました」
深々と頭を下げる彼女の仕草に、思わず後ずさりしそうになる。こんな風に謝意を向けられる資格は自分にはない。
「いや……」
照れ隠しに視線を泳がせながら曖昧に応じる。だが内心では全く別のことを考えていた。
すると、名札が見える。
「五代みのり?」
「あっはい、私、五代みのりと言います」