夕暮れの坂道を下っていた。公園での穏やかな時間が嘘のように思える。
あの時触れた温もりと笑顔がまだ指先に残っているのに、周囲の空気は粘つくほど重い。
「!」
嗅ぎ慣れてしまった異臭が鼻腔を突いた。腐った果実と湿った土が混ざったような甘苦い香り。
(未確認だ)
本能的に足を止める。道路脇の茂みから微かに揺れる影。
そこに佇んでいたのは女性だった。茶色のポニーテールにジョギングウェア。一見何の変哲もないランナーの装いなのに、肌には油膜のような不自然な艶があり、呼吸に合わせて唇の端から泡状の液体が零れている。
「こんにちは」
彼女が振り向いた。その眼差しに宿るのは純粋な好奇心──否、狩猟本能だ。
「少しお話しませんか?」
柔らかい声音とは裏腹に、口元が耳まで裂けるように歪む。女性の輪郭が蜃気楼のように揺らぎ始め──
「おい」
だが、それよりも俺は、怒りで眼を向ける。
「・・・お前、この先の子供達を狙うつもりか」
「へぇ、分かるの」
「あぁ」
俺の回答を聞いて嬉しそうにする。
「だったらどうするの?私を殺す?」
挑発的な微笑み。だが彼女の全身から立ち昇る瘴気は本物だ。
「答えによってはそうするしかない」
一歩踏み出すと、足元の枯葉が蒸気に変わって溶けた。この女はすでに怪人の因子を解放している。
「なら試してみて」
彼女が両腕を広げると同時に背中から巨大な花弁が出現した。ラフレシアのごとき禍々しい芳香を撒き散らしながら蕾が開く。内部からは針のように尖った花蕊が槍衾のように展開され、先端から滴る蜜が地面をジュッと溶かす音を立てている。
「子供達には手を出させるわけにはいかない」
変身しようとした刹那──
「待って」
女は突然踵を返すと、公園の方角へ猛スピードで疾走し始めた。裸足であるはずの足跡から紫煙が立ち上り、アスファルトを灰燼に帰していく。
(しまった)
あの動きは陽動だ。俺を惹きつけて子供達へ毒花粉を散布するつもりか。
「くそっ!」
全速力で追う。だが怪人はすでに数十メートル先で地面に根を張るかのように体勢を安定させ、公園に向かって筒状の花弁を突き出していた。先端から漏れる煙は虹色に煌めきながらも有害を隠さない。
「させねぇよ」
視界を覆うように跳躍する。
それと共に近くにある鉄パイプを手に持ち、瞬時に青の姿へと変わる。脚に力を込めて、そのまま走る。
アスファルトが融解し湯気を上げる地面を駆ける。視界の端で公園の滑り台が蜃気楼のように揺れていた。
未確認が背中の花弁を仰角九十度に持ち上げた。鮮血色の花托の中央で膨らむ球状器官。そこに密集する毒針の集合体が月明かりを受けて妖しく輝く。
(あれが弾頭か)
奴が花粉弾を射出するのは確実だ。だが変身完了まで十秒足らずいる。
しかし、俺は諦めない。
俺は、青の姿へと変わると共に、鉄パイプは刀に。
そして、飛躍し、襲い掛かる弾丸の前に。
「させるかァァッ!」
そう、毒を切り裂く事は出来た。
「ぐっ」
身体に感じる感覚。
そこから。
「毒が回っているようね」
そう、告げられる。